些事の奇跡。
気遣い、遠慮があるうちは、真の仲間と認めてくれないものさ。飛び込まないと。
飛び込みの勢いが強すぎると、仲間の壁は執拗に固くなり、破れないものになるものさ。押したら引いて、生じた隙間からするり中に入り込まないと。
遠慮が過ぎる性分でそんなことできない、ですって?
そういう人も確かにいるさ。そんな時は仲間はいらない。ひとりでいいさ。たったひとつのアドヴァイスはあるけどね。それは、入り込みたい仲間の誰かひとりをつかまえて、どうしてひとりでいいのかぼやいてみること。すると、もしかしたらもしかして、向こうのほうから歩み寄ってくるかもしれないよ。
不器用だからそれは無理、ですって?
そういう人も確かにいるさ。そんな人は無理しなくていいさ。たったひとつのアドヴァイスがあるけどね。入り込みたい仲間の誰かひとりをつかまえて、ひとりはイヤだとボソッと本音をこぼしてみることさ。すると、高く掲げた仲間壁の敷居をすとんと落とし、中に入れてくれるかもしれないよ。
仲間の入り口はいつだって些事。意識すると緊張が自己防御壁となって立ちはだかって、自ら蒔いた壁で前に進めなくなっちまう。小さな小石を拾うように、地面に屈んで拾い上げて見上げてみるといいかもね。低姿勢と上目遣いはなんだか謙虚に見られてさ、固く閉ざした扉も気を許して鍵開けて、開いた戸口の隙間からするりとくぐり抜けていくかもしれないよ。
いくつもの仲間が構築されてきた。
仲間になると、いきなり距離が近くなる。そういう関係を築き上げたいとずっと考えていたからね。
きっかけの些事を待つ。または些事を起こす。
あのね、待ちの姿勢じゃ埒があかないというけどね、人生そうでもないんだよ。待っていても些事は割とひんぱんに起こりうる人生の奇跡。
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