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【二輪の景色-15】幻のアートギャラリーで。

 そのアートギャラリーは一風変わっている。オートバイにまつわるものならなんでも取り扱う。バイクの絵画もあれば、シリンダーを取り外したナンバープレート付きのピカピカな不動車まで堂々と売られている。書類完備とあるが、ナンバーを取得しても動かないバイクに、どれだけの価値があるというのだろう。あるいは、足りない部品はバイクをいじれるフリークの最後の詰めのお楽しみとして取ってあるというのだろうか。
 マニアの嗜好は理解に苦しむものが多い。

 思い出コーナーには、ライダーたちの魂の複製が並んでいた。
 どれどれ、これは?
 ひとつ手に取ると、水晶の中にヤマハのバイクの鍵が閉じ込められていた。鑑定書には『本物を手に入れたければ、携帯電話にご連絡を』と書いてあった。果たして記述されている文言が鑑定の範疇のものなのか疑問を払拭し得なかったが、どうやら稼働するバイクも手に入れられるということを言いたいらしい。手続きは煩雑になるものの、労を惜しまなければバイクに関するあらゆるものが手に入るということなのだろう。

 思い出というものは不思議なもので、思い出が詰まった品は手放しても、思い出のほうはずっと持ち主だった人に残り続け、細い糸で思い出の品とつながっている。およそ新品というものから距離を置いた品々がそろえられたこのギャラリーは、手放してしまったライダーの念が断ち切られずに残っている別れを告げられた品物▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼がたどり着いた終着地のようなものだった。見る角度を違えれば、ここはバイク乗りの即売機能つき思い出博物館のようでもある。
 何らかの理由で手放された思い出の品々は、ここを基点に新たなオーナーの手に渡って、土台に堆積させるように新たな思い出を重ねはじめることになる。このギャラリーは、アイテムに刻まれた歴史を受け継ぐ者に委ねながら新たな歴史を重ね塗りするように積み上げていくための、後世につなぐハブの機能を担っている。だからおおかたのアイテムやバイクには鑑定書がついているし、バイクの出自や経歴、込められた思いが綴られた記録が添えられている。

 来訪者には、他人の思い出なんかに興味はないとおっしゃる御仁もいる。そうした余計なしがらみにとらわれたくない向きには、お祓いサービスで抱え込んだ歴史を払い落とすことができるようになっていた。ただし、かなりお高い。人の思い出を消し去るということは、それなりの覚悟を支払うお金で証明してみせなさい、ということだ。
 なお、お荷物の除去には予約が必要で、神主様の都合と折り合いがつかない場合は後日調整させていただきますとあった。これは、心変わりするかもしれない新しくオーナーになる者への猶予みたいなものである。オーナーの心変わりは、ギャラリーにとって歓迎すべき改心であった
 いったんお祓いが執り行われると、経歴は二度と元に戻すことはできない。ギャラリーのキュレーターは「可能な限り残しておいたほうがいいですよ」とアドヴァイスすることになっている。出自の消えたオートバイは、価値が半減するどころではなく暴落することがあるからだ。変動具合は車種やアイテムにもよるし、お祓いをした経緯に左右されることもある。
 なお、お祓いにより出自や経歴もろもろが消し去られても、お祓いされた記録は残る。

「整備工場に入っているバイク、あれは売り物なの?」とキュレーターとは別のギャラリースタッフ訊いてみた。
「ああ、あれですか。整備車両です。ここでは修理の腕を見込まれて壊れたバイクをお預かりすることがあるんです。限られた方からの依頼に限定されておりますが」
「では売り物ではないということですね。わかったわ、ありがとう」そう言って視線をはずすと、そのギャラリースタッフが慌てて「ちょっとお待ちください」と言う。「そういえばオーナー様がそろそろ売り時かなということをおっしゃったことがございまして。今、ご本人が来られていますから、訊いてまいります。しばらくここでお待ちいただいてよろしいでしょうか」
 もちろん。

 10分も経たないうちにオフィスに消えたスタッフが戻ってきた。
「お譲りするのはやぶさかではありませんが、直接お話をしたい、それから決めさせていただきたいと、オーナー様がおっしゃっています。お会いになりますか?」
 目に留まったバイクを軽い気持ちで尋ねただけなのに、いきなり話が重みを持った。欲しいものが心を占めはじめた時、念願レベルまで感情を高め覚悟を決めて購入することがある。邁進型物欲煽動工程を経て得る物欲充足だ。対して、欲求はそれほど高まってはいないのに、出会いは運命的なものとして受け入れ、手に入れてしまうことがある。神のお告げ型衝動購入である。
 もしかしたら、買うことになるかもしれない、と私は直感した。ならば、オーナーと会わないわけにはいかない。
「会わせていただけるかしら」私はスタッフに伝えた。

 オーナーは小学生の高学年にしか見えない幼い少年だった。
「君がオーナー?」
「いけませんか?」
「そんなことはないけど」
「ないけど、何か? 続きがありそうですが、伺ったほうがよろしいのでしょうか。話を伺うにしても、伺う前にこちらから申し上げておきたいことがひとつ。僕はまだ免許を取れる年齢に達してはいません。こうした状況だと戸惑われるのも当然かと思います。それに不都合がありそうな顔が今、いちだんと不都合的に見受けられたのですが、話を進めても? 失礼を申しているのなら謝ります。でも、売る意志はないわけではありません。あれは父の形見なのです」
 少年が口にした情報量はあまりに多く、咀嚼して腑に落とすのには時間が圧倒的に足りなかった。行間に込められた意味も可視化しなければならず、瞬時に把握できるものではない。
「ちょっと待って。お父様の大事な形見をあなたは手放そうとしている、そういうこと?」いちばん大事なところだけを抜き出して尋ねた。「わざわざ修理に出すほど手をかけているのに?」次に重要だと思われることを段階的に尋ねた。
「不具合のないほうが高く売れますから」
 少年はあっさりと答えた。まるで出されたフルコースを瞬く間に平らげ「ああ美味しかった」と澄ました顔で言うみたいな平然さで。
 バイクは特段欲しい車種ではなかった。手元にあってもいいし、なくてもいい。そのバイクを手に入れるとしたら、所有欲とは別の購入理由が必要だった。だけど、なかなか決定打が思い浮かばない。
「一期一会です。今、決めて頂かなければ、一生あなたに売る機会は巡ってこないでしょう」
 脅されているのかと思うほどの迫力で迫られた。背中に冷たいものが流れた。私は今、小学生に気押されている。まるで腕利きの営業マンの常套的な売り込みに、丸め込まれようとしているみたいだ。
 押し切られるのではいけない。そして、押し切られたのではない。
「いただくわ」
 なぜ購入しようと決めたのか。それは少年にどこか懇願みたいなものを感じたから。引き受けなければひとつの命が終わってしまう。そんな気がしてならなかったから。それが私が購入をしようと決めた理由。
 決めたはいいものの、いくらの値段がつけられるのか、わからなかった。とんでもない値だったら、諦めざるをえない。そんな考えが頭をよぎる。
 ここは、魂を引き継げる者が集う場所。ここで引き受けられたら、それも何かのご縁。引き継げなかったらそれもまたご縁だったと諦めるより仕方ない。だけど少年が言ったように、ここでチャンスを逃したら、二度とそのバイクに巡り会えなくなるばかりか、このギャラリーの敷居さえまたげないだろう、ギャラリーの入り口も見つけられなくなる、そんな予感が、極めて確信に近いところで私を脅かしていた。
「教えて。君のお父さんがどのようにあのオートバイに乗っていたのか。そしてお父さんが君にどんなことを話してくれたのか。君がなぜあのバイクを引き継ぐことになったのか。そして君が売ろうと決心した覚悟というものを」

 そこまでひと息に話すと、少年は呆気にとられた顔で私を見つめていた。
「初めてだ」と少年は感嘆の声をあげた。「僕はそんなに人生を長く生きてはいないし経験もまだそんなに多たくさん積んでいるわけではありませんが、短い人生なりにその中で理解してくれる人がこんなにも早く現れるとは思ってもいませんでした。
 父は、同じことを、僕の体に染み込ませるようにして繰り返し言い聞かせてくれたのです。いずれこのバイクを引き受け繋いでくれる人が名乗りをあげる。必ず現れる。その人には売り渡すなんてことをしてはいけないよ。引き継いでもらうんだ。こんなことを言っても、今はまだお父さんの言っていることが理解できないかもしれない。理解できなくて当然だ。自分で経験してみて、通ってきた道を振り返ることができるようになった時に初めて気づくことだからね。引き継いでくれる人が現れたら、譲ったあともずっとその人を追ってみてごらん。お父さんの言ったことがいずれわかる。
 お父さんはそう言っていました」
 少年はそこまで言うと、バイクに目を移した。眩しそうでもあり、悲しそうでもあり、輝かしくもあった。それから瞳を私に戻すと、右の手のひらを広げてみせた。
「見える?」
 少年の小さな手のひらしか見えなかった。
「君の小さな手が見える」
「それだけ?」
 じっと見つめていたら、影が現れ、金属の光沢が空中から舞い降りてきたみたいに集まってきて、形あるもが浮かび上がってきた。オートバイの鍵だ。
「見えた」
「よかった。安心しました。間違ってはいなかった」そう言うと少年は手の鍵を私に差し出した。
「ありがとうと言うべきかしら?」
「お礼はいりません。感謝というものがあるのなら、それは受け継いでもらったことのほうにこそ」
 私はこけらが落ちるみたいに強く、自然に、新鮮に、こくりと頷いた。輝かしい瞬間が訪れたのだと思った。
 私はこの時、バイクを、積み上げられてきたものを正式に引き継いだ。
「もし」と少年が言った。「引き継いでもらったバイクが再び誰かの手に渡るようなことが起こったら、真っ先に僕を探してもらえませんか。その時までには僕も免許を取って、バイクに乗れるようになっているはずです。お渡しする条件はそれだけです」
 鍵を受け取ったばかりの状況で、バイクを手放す未来のことなんて少しも考えられなかった。だけど私はそこで肝に銘じておかなければならないことを少年に課されたのだ。きっとそれは、引き継ぐ者の最後の試練に違いなかった。
「必ず」と私は返した。
「約束だよ」
 そう言って少年は鍵を握った手を返し、私の手のひらにバイクの鍵を落とした。
 私が鍵を握りしめると、少年は小さな両の手のひらで、私の鍵を握った拳を包み込んだ。

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