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棄てられた猫を拾う。

 似たものというものがある。偽か、真か。亜種としてなら本物でいられる。
 血統書がなんぼものもんよ。「宇宙でたったひとつ咲いた猫月。唯一無比の存在だぜ」
「子どものころはちびトトロと言われてちやほやされたものよ」
「髪の毛が3本のトレードマークも、いまや化石のお化けだい。ネコQとはおいらのことだい」
「従兄妹の兄貴ニャかなわニャいけど、やるべきときが来たらやってやろうじゃニャいの。3分で決着をつけてやるニャ」

【どんな猫にも大切な命がひとつ入っている】

 猫に限らず、人にもそれぞれバックボーンがある。生きてきた道のりは歴史であり、後ろ盾だ。背骨のように貫かれたバックボーンは語るに誇れる価値である。
 そのことに私たちは薄々気づいているのにさ。耳にできたり、目にしたりできる数はあまりに少ない。
 語るべき者が無口なせいではない。見せる者が照れ屋だからでもない。縁が結ばれぬ限り、深層心理へ続く階段の所在が知れないからだ。

 万が一、遠巻きにでも見つめる機会に恵まれたなら。あとづけでいいから意味と意義で包んであげたってかまわない。でしょ? 誰に迷惑をかけるでもなし、自己完結するならば。
 
 飼えもしないくせに、棄てられた猫を見かけたら拾いたい衝動に駆られるだろうな、と想像してみた時に考えたこと。

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 どんなことが書かれていたか内容はぶっ飛んじゃったけど、こんな↓タイトルの物語があったことで起こった物語↑。

単行本収録前『文藝春秋』に寄稿された。




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