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noteの公に晒されない中途半端な仲間たち。

 noteの下書きに、公開されないコンテンツが、置き去りにした書棚に塵が積もるようにして溜まっていく。厳選の末の落ちこぼれ集団とも言えるが、完成を待つ未完の卵ともとれる。
 それらは川の流れのように下流に向かう人生の淀で渦を巻くだけで出口を失い、途方に暮れている。流木の一枝でも気まぐれに迷い込めば拡散され嵌まった罠から抜け出せるのだろうが、運命が滅多なことでは変わらないように、淀は淀として同じところで相変わらず渦を巻く。

 人は誰も生命体としての旅の途中にある。その誰もが劇的に生きていたら、スリルに満ちたサスペンスに息を飲もうとは思わなくなるし、落ちそうで落ちない意中のあの子へのアプローチドラマに焦れたりしたいとも考えない。わりと平坦でのっぺりとした平地を行くから、幻想の、危険を伴わない安全圏から駿立の谷底を覗き込む。
 だけどそんなたゆたう川の安泰な人生にも淀はできる。 

 寝かす音楽家がいた。作曲したてを完成とせず数日寝かせてから被せた蓋をそっと開ける。発酵食品と違って作品は勝手にクリエイティブ世界で成長してくれないから、作品は蓋をされた容器の中で淀となり、進展のない渦を巻いている。
 そこにあるのは紛れもなく「あの時に出来上がった作品」のはずだけど、たいていの場合、出来上がってはいないことが蓋を開けた瞬間に判明する。発酵するのは曲ではなく、作曲家の創り上げるべき▼▼▼▼▼▼▼イメージの中の作品のほうだ。
 この作業を通じて淀から救われる作品もある。音楽家はハナからそのつもりで、淀に囚われた作品を救い出そうとする。そしてほとんどの場合、音楽家の思惑はみごとに的中する。
 このようにして途中経過にあるほとんどが救出されることになるが、彼がいかに優秀な音楽家だとしても、中には嵌まった淀から出てこない作品もある。

 人はそれぞれ歩いてきた道の途中に淀を残していく。落ち度はないのに部下の凡ミスでヒヤリハットのスリルを味わわされることもあれば、恋愛に泣く天中殺もある。一般市民が出遭うそれらは劇的な映画やドラマの劇中アトラクションに比べればはるかに凡庸ではあるが、虫眼鏡で覗き込めばそれなりのマダラを描く込み入った紋様が見える。なだらかな人生の紋様の川にも、ところどころに淀がある。

 noteに残る公開されずに取っておかれる淀とはそのようなものだ。
 人それぞれの心にとどまり、決して表には出てこないもの。そうした淀がnoteに息をひそめて堆積されていく。

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