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私を棄てる

コロナで自粛していると本屋への立ち入りも遠慮しがちになり、
心も弱りがちなのか、救いになる本を期待するでもない。
 三冊だけになっていた平積みの本を取りあげると、村上春樹。
 この作家の新刊が話題になっていないはずもないだろうに、私はよほど文学のかやの外にいたのだろう。美しい装丁の本だ。中の挿絵もたくさんあって美しい、薄い本だ。
 と、いちいちに驚いた。村上春樹でなくてもジャケ買いしたかもしれない。
 そして、肝心の、話に引きずり込まれた。

 作家の本当の話。

遠景のように遠い思い出がクローズアップされてきて、過去の自分の状況や心理が呼び起こされるのは、心地よいことだ。美しいモノトーンの挿絵が想像を補完してくる。
淡々と、自分の昔日が想起されていく。
彼の記憶(いやそれも正確な事実ではないかもしれないが)が、自分の記憶を呼び覚まして、この本を忘れがたい本としてしまった。
戦禍を残しつつ、いっぽう比類なく発展する日本のなかで、
戦争と深く関わった親と、戦争とかけ離れて育つ子が家族となって、社会と繋がり、色濃く日本という国に反映されていく。
その時代、どの家族も大なり小なりそういう時代を生きた。
そして、そのことを掘り起こすのにおよそ50年もかかるということだ。

猫は捨て(棄て)られたものの、「棄て(捨て)ただろう」と責めることもなく、また、この家で生きていく。

しかし棄てたほうには、棄てたことのなにがしかの罪悪感との共存があったはずだ。
かすかな傷(つけること)と在ること。それが淡々と描かれて心地よい。

 私自身の傷(つけたこと,つけられたこと)もまたあぶり出されてきた。

 私という水をたたえたコップの表面で、きらりきらりと光るのは、自分が折り合いをつけている幸せだとすると、コップの底で深く沈んだ澱は気取られぬよう隠してきた傷だろう、この作品を読んでいると、勝手にコップはかき回されて、白濁の様相をていしてきた。

 深く沈めていたのは、血族、特に母親との葛藤だ。そこを抜きに、生きていくことを許していけなくなった。

 こんにちは!私の来し方。死ぬるまでは生きざるを得ない未来(の行く末)!


 この作品によって、自分に拘泥していられる最後の贅沢を得たというべきだろう。自分やじぶんにまつわる祖先係累に関して考えはじめる。
 私には負のスパイラルと思える母親との関係。ないがしろにしてきた先祖への敬慕など。


コロナ禍のぼんやりとした不安と自粛製生活の余剰の時間も手伝っているかもしれない。この時期にこの本が出たことは、この作家に時世の流れが味方しているということだ。

この後、コロナの二次感染三次感染がおこるときには、もはや自粛では追い付かない経済破綻、恐慌から発する戦争等で,わが身を顧みる余裕もなくなるのでは…。

 作者は、ようやく戦争に漬かった負の時代ににき生きた父親を解き明かした。
ところで、また時代は負の時代となりつつある。

 けれど、この本はあくまでも静かにうつくしい。


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