無印良品


誰も幸せにならない日記。



なぜだろう。わたしは初めて無印良品というお店を知った時から、違和感を感じていた。違和感、という表現で合ってるかどうかもわからないけど。

無印良品をいくつの時に初めて知ったか曖昧で申し訳ないがとにかくなにか胸のあたりがモヤモヤする、すっきりしない気持ちになる、そんなお店が無印良品だ。

店内にいつもいい匂いのアロマが焚かれていて、民族音楽みたいなのがテュラテュラテュラランランって感じで永遠流れているのも、なんか不安になる。


無印良品、と聞いて思い浮かべるフレーズは、一般的には整理整頓、丁寧な暮らし、シンプルイズベスト、ミニマリスト、などではないだろうか。

頻出ボキャブラリー28位ぐらいが「しゃらくせえ」なわたしにとって、マジで「しゃらくせえ」の煮こごり、それが私にとっての無印良品だが

今日話したいのは、丁寧な暮らしを揶揄する的なことではない。丁寧な暮らしは私もやりたいし、大歓迎だ。

とにかく、わたしは、無印良品に対して、言いようのないモヤモヤを抱いている、それはつまりのところ、怖い のだ

怖いの成分を分解したら、それはよくわからないことに対しての恐怖という部分が大きいとかいうじゃないですか。無知の恐怖。

その、得体の知れない恐怖に追い討ちをかけてきたニュースといえば、ちょっと前にはなってしまうが、中国との強いつながりを持っているために色々と有耶無耶にされていた、新疆綿を使っていた件である


これにはきっと多くの意見があると思うし、この一件でもう無印良品を使わないと判断した人もいると思う。

きっと、議論も意見も出し尽くされているとは思うから何も言わない。

しかし、無印良品がこれまで消費者に丁寧に丁寧に植え付けてきたであろうイメージとはかけ離れている印象を受けた出来事だった。

国をまたぐ膨大な組織ゆえに、不透明さを感じる。これも、「知らない」からくる怖さがある。


そして話がそれてしまったので戻すが、そもそも無印良品の提案する「暮らし」には、あまり生活感を感じなくて、窮屈な印象を、私は受けているのだと思う

無印良品は、木とか、ちょっと茶色い紙とかをやたらと使ってきて、温かみがあるでしょう!!ね!!と、見えない圧を感じるし、はい、と言うまでぶん殴ってきそう。

そして、これが丁寧な暮らしですよ!!となんかこう、押し付けがましいんだよな

実際、無印良品オンリーでコーディネートした部屋も好きになれない。丁寧な暮らし感を押し出してるのに、実際出来上がるのは無機質なディストピア部屋なんだもん。。


と、とっ散らかった部屋の中から説得力ゼロの、文字を打っています。整理整頓できない人間の戯言だあ







あーもう最初言いたかったこと、言いますね

こういう、わたしのおもう無印良品みたいな人っていて、ほんとーーーに何考えてるかわかんないけど、見てくれだけは、めっちゃ良い人そうなんだよ

でも、ほんとーーーに何考えてるかわかんなくって、接してみると、初めて無印良品に抱いたあの感情と、全く同じ気持ちを味わうの。そこはかとない不安。

きっとこの人は、表面をよく見せることに長けている、寄せ集めツギハギだらけな人なんだろうなぁって…

いい匂いしちゃってるし清潔感もあるし、でもなんか言ってることとやってることが伴っていない、そんな人。

笑顔は素敵だけど、目が笑ってない。

そういう人と無印良品、被ります。










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