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サンタをいつまで信じていたか

遅いかもしれないが俺は小3のクリスマス。

小2まで「クリスマスってお父さんなんでしょ?」と聞いても否定し続けた父親が、小3の年になって俺が今年ほしいクリスマスプレゼントの話を夕食時に口にしたところ、「それはお父サンタは買えないなあ」と、何かとお父サンタ、お父サンタ、と懐事情を明かすように自分がサンタであることを仄めかし始めた。

その年の俺はとあるゲーム機が欲しかった。

俺としては、父親はお父サンタがどうとか言っているものの、サンタはいつもお願いした物をくれるものたと思っていたので、「ゲーム機がほしい」と手紙を書いて寝た。
翌朝目覚めてワクワクしながら枕元を見て包みを開けるとハリーポッターの最新刊が置かれていた。ねだったものでもなく、そもそも俺に本を買うような人間は母親しか思い当たらなかった。ここでやっとサンタは本当に「お父サンタ」、つまるところ両親だったのか、と知った。

ただ、ゲーム機が手に入らなかった子ども達(俺には兄弟がいて、兄弟二人で同じゲーム機を欲しがった)の落胆具合を見て気を悪くしたのか、その翌朝には枕元にそのゲーム機があった。演出はサンタ風だったがこれは流石に両親だと分かった。


なお、後から知ったのだが、その年、父親は職場の上司と口論を起こして仕事を実質上クビになるような形で辞めていたらしい。仕事を辞めていたことは俺たちには知らされていなかった。母親の稼ぎのみで家計を支える形となり、本当にゲーム機を買える余裕が無かったのだろう。

そして、それ以降父親は定職に就いていない。当時男親が働いていない家庭というのは俺の育った田舎では母子家庭以外にはほとんどなかった。「お父さんは何をしているの?」という何気ない質問を受け、働いてないと言うと場の空気が凍るためその話題にだけはならないよう知人との会話の際には細心の注意を払った。
割と我が家の家計は追い詰められたようで、母親には1,000円以上の服を2着欲しいというと苦い顔をされ、靴下に穴が空いても新しい物を買って欲しいと言い出せなかった。母の苦労もあってか、税金公共料金学費の滞納等は無く、かつ田舎特有のお裾分け文化により食べ物は近所や親戚から貰えたため、教育と食と住に困ることはなかった。


一方で父親は酒にバイクに煙草に趣味の音楽のCDにと趣味嗜好への支出を遠慮せず、家事もろくにしない割には母親に小遣いをせびったりする様子まで見せていたので何かと納得の行かない思春期を過ごしたのだがそれはまた別の話。

要約するとサンタがいないことを知ることになった背景は父親が無職になり家計が苦しくなったことでした。
もし父親が仕事を辞めてなかったら俺は多分友人に馬鹿にされるまで夢を見ていたのかなと思う。

noteを読むような世代は恐らくサンタになる側の方々だと思うので、せめて子どもに夢を見させてあげてください。

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