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ナースママの私が起業決意したワケ 

はじめまして、自然治癒力活性家の 
村上和子(むらかみかずこ)です。
看護師歴20年、小1と小4の姉妹ママです✨

これまでの患者さんたち数万人の方との出会い、
数十万回のケアを通して
自分らしく生きる、をモットーにしてきました💡

と、同時に、女性特有の不調に、
心と体の両面からアプローチし、
最終的には、
自分の不調は自分で整えることができる、
女性を増やしたい!と思うようになりました💪

起業は私にとって、必然・自然なこととして、
今静かなワクワク感の中、
準備を始めているところです♪



突然ですが、ミドルエイジクライシスという言葉を、
ご存知ですか?
= 中年の危機 
心理学で使われる言葉です。

人生折り返し、後半に入ってくると、
一見、根本解決ができないと感じるほどの問題が
自分の人生にふりかかり、
それらを乗り越えていくことで、
より多面的に物事をとらえ深みが増し、成熟していく。

突き詰めていくと、
自己実現に繋がっていく、
生き方を変える、
価値観の大変換が起きる、
とも言い換えることができます。

幼少期から20代独身時代まで、
自分の心を置き去りに、ひたすら頑張り続けてきた、
私の人生では、30歳の右眼失明の危機を機に、
様々なミドルエイジクライシスが起こり、
価値観の変容が促されてきました。

この過程を経て、
なぜナースママの私が起業を決意したのか、
点と点が、線に繋がってきた、
この感覚。

今日から、ひとつずつ、
自己紹介をさせていただきます😊

序章

20代看護師時代 


~看護師としては幸せだけど、

トータルの人生では?を感じていた~


今から20年前の医療現場は、
まだまだ体育会系の、ど根性精神が良しとされる時代。

夜勤ありの2交代制勤務。
夜勤は16時間拘束、
休憩なしのノンストップ勤務もたまにあり、、、
(今思い出しても怖すぎる ( ´∀` )

気付いたら、30000歩は軽く歩ている、
そんな過酷勤務が、通常運転、
フツーの感覚で仕事をしてきました。

体育会系の代表的なこととして、
例えば、うっかり発熱してしまったとします。

心の中では、

『 やばい!!自己管理がなっていない、と
 怒られるに決まってる。
 ロキソニンで熱を下げて、出勤しよう。』

となり (笑)

ロキソニンの効果が、出始め効いているであろう時間を、
熱の最中計算し、
何とか思考が止まらない状況を作り出します。

熱が出たら、体を休める、
なんて当たり前のことが、医療現場で働く看護師たちには
許されない風土が、「 当たり前 」の世界にいました。

SOSが出せない、出しはていけない、が
無意識に刷り込まれ、、、

看護師としては、
集中治療室勤務から始まり、
将来は出世コースだね〜
10年に一度の逸材だ!、なんて
他者評価が高かった、
20代の看護師時代。

自立していて自分は完璧な人間だ!(こわ~(笑)
と、大きな勘違いをしてしまっていました。

過酷勤務は続き、本音の部分では、

『 このまま現場の仕事を続ける?
 いや、何か自分を活かせることをしていきたい…』

漠然ではあるものの、現場看護師としての将来性は
自分の中では見いだせない20代でした。

今思えば、自分の体を労ることなく、
過ごしている自分に
違和感を感じていたのかもしれません。

そして、30歳の時に、
突然右眼の失明危機が身の上に起こります。

これが冒頭で触れた、1回目のミドルエイジクライシス。

『 西洋医学だけで、本当に良いのか 』

価値観の変容が余儀なくなされました。


続きは次回✨✨
目にとめていただきありがとうございます。


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