変化するコロナ禍の遠隔介護で知るイチローさん(父89歳)施設逃亡!?死ねない時代の老いとの向き合い方
変化するコロナ禍の遠隔介護で知るイチローさん(父89歳)とテルコさん(母90 歳)の夫婦のあれこれ VOL1に続く愛の話VOL2を書こうとしたその矢先、突然施設にいるイチローさんから電話がかかってきた。
『帰る』
えっ、どこへ?
イチローさんが施設に入る時、棲家は、電気と水道を残して(片付けのため)もう住めるようにはしていない。
『お前はどこにいる?』
今、東京。
『じゃあ、弟のうちに行く』
どうしたん?
『ウクライナじゃ』と言って電話は切られた。
「ウクライナの戦争」→「施設の夕食がまずくなった」ということがまずは気に入らなかったらしい。時事ネタ?!(笑)。ウクライナの戦争で材料の原価が上がり、食事の値段を上げられない施設のメニューが日に日にクオリティがダウンしてきたという。(原因はウクライナだけじゃないとは思うけど)。
イチローさん電話を切るとすぐに、義妹に電話して、弟の家に移動。
わたしもすぐに岡山に。
弟の家で少し落ち着いたように見えたが、2日目から急にゴキゲンが悪くなる。このあたりの変化がよくわからない。
そして、自分の家に籠城。住めないはずが、布団があったのがよくなかった。最初は鍵だけかけていたが、ちょっと目を離すとチェーンをかけ、「ここで死ぬ」と声を荒げる。
「お前の顔もみとうねえ」と言われながらも傍にいると、小さな声で
「ハンストしようと思っても、腹がすくのには勝てん」
確かに、、、。いつの間にかスーパーで豆パン買ってる(笑)
「この手を見てくれ、こんな皺だらけの手になって、医者に行ったら、年相応と言われた」
いやあ、歳のわりにきれいだと思うけどなあ。
「テルコさん(母 認知症)のようになったら、もう、終わりじゃ、あんな風にはなりとうない」
どうみても、意識がはっきりある方が苦しそうだよ。
晩ごはんのことは確かに不満ではあるけれど、一番は老いを受け止めきれない「自分」があるのだろう。ずっと実年齢より若く見えることが自慢だったから、余計にこたえているような気がする。
「死ねない時代の年の取り方は難しいのう」
その口は減らない
「お前が老いる頃の方がもっと大変だぞ」
そんなこと、わかってら~い。
そのうち、「着るものがねえ。毎日同じもん着とるんじゃ」ときた。
あんなに施設に入る時に洋服を買った気がするが、モチベーションのきっかけをつかんだ気がした。胸に🐊がついたジャンバーや🐶がついた春らしい色のシャツや春のパンツを何枚か買って、試着してもらったら、急に元気が出てきた。(洋服着る時にフラフラし始めたなあ)
子どもの遠足前のようにハンガーにぶら下げて「明日は施設に帰る」と。
「もう、あそこ(施設)しか、居場所はねんじゃな」少し寂しい声ではあったが、足取りは少しだけ軽くなっていた。
「死ねない時代の年の取り方は難しいね」
正解のないことだけど、イチローさんが良き教材になってることは間違いない。ココロから感謝です