コロナ禍の遠隔介護⑦ 何もできなくなった時も使える幸せサイン
会えずに介護、、、という時代になりました。
うちの輝子(母)さんの介護施設は、県外から帰ってきた娘には「2週間滞在」後、「週に1度15分ひとり面会」ができる仕組みになっています。「週に1度15分ひとり面会」は地元に住む家族も同じですから、順番待ちをしていたら、会えるのは、1か月後、、とかになってしまいます(笑
もっと大変な状況の人も多いと思います。
会えずに介護の対策として、いろんな施設でWEB画像、電話とありますが、輝子さんの施設はWEBは対応がまだできず、電話はレビー小体型の認知症の母はついに携帯が使えないなったので、コミュニケーションツールは今はハガキとリアルのみとなりました。
実際に施設に行ってみると、ほぼ寝たきりで、ハガキもわかっていないような気はするのですが、送った年賀状は、四つ折りにされていて、その四つ折りが「見たよ!」という意思表示な気がします。
ここは、正しさより良いように感じることが大切(笑)
輝子さんとの会話は、なかなか難しいのですが、たぶん、彼女の中で何か脳内反応を起こして言葉になっていて、音として聞いていると、ちょっとしたおとぎ話のようです。ストーリーはわからないけど(笑 そこはは壮大な宇宙があるように感じるから不思議です。
会話が難しいので、ふと、輝子さんがまだ、元気な時にやっていたことをやってっみたら、どうかしら?と思いました。
輝子さんはよく鏡を見ながら『あれ?知らん間に、おばあさんになったなあ。お化粧しとらんからや』と眉を描く、と言うのをよくやっていました。
その気持ちがかわいい💕な、と。
もう、鏡は持てないけど、鏡を向けると『まあ、知らんうちにおばあさんになっとるわあ』と反応。
これはいいぞ!会話できる!
とこのネタで会話をたぐり、眉を描いてみます。ちょっと夢のような時間。
記憶を失くしたように見えて、少し会話をしていると、ことろどころ記憶を手繰りさせる、何か赤い糸があるようです。
こんなことが毎日できれば、輝子さんに何か希望が見いだせるかもなあ、と思ったりした時もありました。
でも、できないことを考えるより、できることの中で何か輝子さんとお互いにできる方が良いかなあ、と今は思っています。
何もできなくなっても、これ、お互いに幸せなんじゃないかな、と感じあうサインに気付けて今回の訪問はよかったです。
帰り際、輝子さんが『からだに気をつけてなあ』と言ってくれているような気がしてきました。
気はちからになる。
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