心がけていること

 大阪万国博覧会が開催された1970年、私は小学校4年生、10才の少年でした。その頃は、大阪にもまだ豊かな自然が残っていました。田んぼにはカイエビやカブトエビにミジンコ、水路にはカエルやザリガニやイトミミズもいて、公園の木にはカブトムシやクワガタ、空には無数のトンボが飛び交い、平成の頃には水質ワースト河川にいつも名を連ねていた大和川にも、当時はウナギがいたんですよ。
 ところが、小学校から中学、高校と進むうちに、川は汚れ、いくつもあった田んぼも基地を作った空き地も住宅となり、水路は暗渠となり、どんどんと自然が失われていきました。友達のサイトウ君が落ちて、全身うんこまみれになった肥溜めがなくなったのも、寂しかったなぁ。
 1997年に富良野に移住したときにまず驚いたのは、大阪では失われてしまった自然が、まだまだ残っていたこと。そして、今度こそこれを失いたくないと思いました。
 しかし、富良野でも河畔林は伐られ、とても必要とは思われない場所に砂防ダムができ、川は三面張りになりと、開発の手は忍び寄ります。

 富良野に移住後、アウトドアガイドを10年間していました。
 豊かな自然の中で過ごすと、わずか半日ほどでお客さんの表情は生き生きと、目はキラキラと輝いてきます。そして「あ~、楽しかった~!」と帰っていきます。
それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、富良野でも徐々に自然が失われていく中で、「楽しかった~!」の次にあるメッセージを伝えたくなってきました。
 ちょうどその頃環境教育のNPOが立ち上がり、我々のような富良野のガイドに向けて、モニターツアーを開催していました。何度か参加するうちに、ゴルフ場を元の森に還すという「開発」とは真逆の活動、地球環境をわかりやすく伝える活動に触れ、「自分がやりたいのはこっちだな」と思うに至り、2007年に移籍しました。
 移籍の決め手になったのが、フィールドにあった石碑の文。
 「生命の木って昔ァ呼んだもんだ
 子供が生まれるとその子の木を植えた
 子供は誰でも物心つくと親につれてかれて教えられたもンさ
 これがお前の木だ 大事に育てろ
 この木が枯れる時は お前の死ぬときだ」

 倉本聰の作品「ニングル」の中の一節です。
 私も、長男の木はエゾヤマザクラ、次男はトチノキ、長女はカツラ、次女はナナカマドと、子供が生まれるたびに庭に木を植えて、「これがお前の木だよ」と伝えてきました。この文に出会う前の話です。
 同じ思いを持った人が塾長を務めるNPO。ここで思いを伝えていこうと決めました。

 そんな私が、インストラクターとして気をつけている事。
 それは、環境に対して「こんなふうにしないとダメですよ」とか「こんなことはしてはいけません」などと、自分の主観を含んだ意見は言わないこと。「今、地球環境はこうなっていますよ」「このままではこんなふうになりそうですよ」と、普段皆さんが意識していない事柄を、まずは知っていただくことや、皆さんの生活が、環境に与えている影響を自覚していただけるように話をしています。
 でも、よく聞かれるのが、「では実際、環境のために具体的にどんなことをすればいいのですか?」という質問。
 そこで、自分なりにどんなことに心がけて日常を送っているのかを、お話しします。

 まずは通勤。公共交通が脆弱な地域で暮らしているので、雪が積もる冬場はもう、自家用車しか選択肢はないのですが、夏場はなるべく自転車で通勤するようにしていました。通勤路は片道約12km、山手線10駅分ぐらいの距離。往路の最後は標高差90mの登りが2km続きます。すぐ上は富良野スキー場。スキー場のゲレンデを自転車で直登しているようなものと思ってください。
 始めた当初は、ただでさえ疲れる夏場の朝一から、こんなに体力を使って大丈夫なのかな、と思いましたが、続けるうちにだんだんと疲れない身体になっていきました。
 57歳で始めた年は、事務所を山頂とすると、7合目辺りで力尽きて自転車を降りて押していましたが、続けるうちに8合目9合目と登れるようになり、59歳の年、ついに事務所まで漕ぎきれるようになりました。何事も諦めないで続けることが大事ですね。
 その次の選択肢は車よりずっと燃費の良いバイク。30年以上前に購入して以来、乗り続けているバイクです。同じ距離を走るなら、ガソリンの消費量は車の半分以下です。
 富良野に来る前は、東京に住んでいたのですが、当時住んでいた千歳烏山から職場の東北沢まで約7km、8駅分を、1時間半かけて徒歩通勤していた時期もありました。途中通過する「明大前」辺りには、学生相手の安い居酒屋が軒を連ねており、帰宅時にはついふらふらと吸い込まれてしまって、ずいぶん時間がかかったものでした。
 そこで思い出すのが、2019年9月。台風で電車が止まった時にニュースで見た、長いタクシー待ちをしているの人へのインタビュー。
「どれぐらい待っているんですか?」
「もう2時間ぐらい並んでます」
「いつもはどれぐらいで帰れるんですか?」
「電車だと10分です」
 「いや、歩けよ!」って思わずツッコミました。

 次に、電気。環境省によりますと、家庭での電気使用量の全国平均は、年間4,258kWh(2020年)、料金にすると¥135,000ほど。電気自動車の平均的な電費は7㎞/kWhなので、4,258×7=29,806km、地球3/4周の距離を走らせられる量。
 対して、一人暮らしのわが家の使用量は年間1,533kWh/¥50,138でした。

 冷蔵庫の温度調整は、1年中弱。エアコンはありません。2011年のテレビ放送地デジ移行時、わが家は対応せず、以来テレビもありませんし、スマホも持っていません。
 明かりは消費電力5WぐらいのLED電球を各部屋に1つ点けています。それも9時には寝るので消します。たまに知人の家に行くと、いくつもの照明が点っていて、必要以上に明るく感じます。
 「宇宙から見た夜の地球」の写真を見たことがありますか?是非ネットで調べて見てください。日本列島が煌々と輝いています。他の国に比べて異常な明るさです。夜を照らす明かりは必要かもしれません。でも、こんなにも明るくする必要はあるのでしょうか。
 うちでは、他に使うのは電子レンジやPCなど消費量が微々たるものばかりなのですが、やはり20年以上前に購入した冷蔵庫の消費電力が大きいのでしょうか、意外と使っていますね。
【ちなみに、24時間365日電気を使い続ける冷蔵庫は、最新型のもので年間使用量が260~300kWhくらい。】

 2021年6月、運転開始から44年経つ美浜原発3号機が再稼働しました。福島第1原発の事故後に、運転期間は原則40年、最長20年延長可能とするルールができて初の40年超原発の運転です。そして2022年11月、経産省はこのルールを大幅に緩和し、60年超も可能という新制度案が示されました。この案では年限に縛りがなくなります。背景にあるのは、近年の電力需給の逼迫だというのですが・・・。
 そもそも、日本で最初の一般供給用発電所(石炭火力発電所)が東京の茅場町に建設されたのが、1887年(明治20年)のことです。さらに、三種の神器と呼ばれた電化製品が一般家庭に普及しだしたのは、1950年代後半。まだまだ電気に頼らずに暮らしていた時代から、わずか60年ちょっとしか経っていないのに、そんなにも需要が逼迫しているのですね。何故にそんなに逼迫しているのでしょう。供給強化よりも需要の見直しが大事な気がします。

 ところで私は、2021年11月、急性心筋梗塞で倒れました。紋別郡からの高校生40名を引率して、環境教育プログラムを実施中のことでした。自然塾フィールドから緊急手術が出来る最寄りの病院まで60km、車だと1時間以上かかる距離をドクターヘリで搬送され、CT、レントゲン、心電計などの機械に囲まれてカテーテルによる手術は無事終わり、一命をとりとめました。これらの化石燃料を使った迅速な搬送、電力に頼った高度な処置がなければ、ひょっとしたら助からなかったかもしれません。
 電力をふんだんに使った救命措置は、一昔前の医療体制に比べると贅沢なことなのかもしれませんが、そのおかげで私は今も生きています。

 このように、十分な電力供給があるからこそ生かされている命もたくさんあることでしょう。必要なエネルギーを確保しつつの脱炭素。その線引きについて考えさせられる出来事でした。

 LPガス使用量の全国平均は年間27m3。カセットガスだと220本分なので、3日で2本を使い切る感じですね。
 うちの使用量は7.5m3なので、カセットガス61本分、1本あれば6日持ちます。料理用のコンロにしか使っていないので、まあまあこんなものでしょうか。
 【家庭用で一番大きい50kgサイズのボンベの容量が、約24.5m3。20kgサイズの容量約9.8m3】

 灯油は全国平均が144リットルに対して、うちは300リットル。家庭用の風呂桶になみなみ1杯分ぐらい使っています。
 ボイラーとストーブに使用していますが、お風呂は、自分一人が入るためだけに湯を張るのはもったいないので、自宅では冬でもシャワーのみ。温まりたいときは、近場にいい温泉があるので、そちらを利用。ストーブも最小限しか使わず、就寝時は消します。消火後は室温が氷点下になる日もあるので、5℃くらいに保たれている冷蔵庫を開けると、室温のほうが低いのでほんのり温かく感じます。
 寝室は室内に張ったテントの中。その中で厳冬期用の寝袋に包まって寝ていますが、呼吸のために開けている口元以外はポカポカで、全く問題なくグッスリ眠れます。
それでも灯油は、全国平均の倍以上使ってしまっているのですね。
 ちなみに、地方別にエネルギー種別構成比を調べてみると、やはり北海道の灯油使用比率がダントツで、約60%でした。

 生活用水の使用量は、全国平均一人一日約300リットルなので、これまた風呂桶1杯分。
 対して、うちは約40リットルなので、焼酎の大五郎10本分の水があれば一日過ごせます。
 先述のシャワーはヘッドを節水タイプにしてあり、洗い物は水量を全開にせずこまめに止め、洗濯の回数を減らすために必要のない着替えを控え、トイレの小用は何回かまとめて流します。

 華やかなファッション業界の裏側に迫った話題作「ザ・トゥルー・コスト」という映画を見ました。ファッション業界が環境や途上国の人々に与えるインパクトに驚き、アパレル業界が石油産業に次ぐ環境汚染産業というのも頷けました。
 自分が買う服は、下着などの消耗品、傷んで着られなくなったものの買い替え。以上です。買う基準は、冬は防寒性、夏は速乾性など、機能が第一。そしてコスパ。ただ安い物を選ぶわけじゃなく、長持ちするクォリティのものなら、多少値が張ってもそちらを選びます。映画を見て、今後はフェアトレード、公平、公正な貿易によって取引されていることも考慮して選ぼうと思いました。
 現在、冬の野外プログラムで使っているパーカとオーバーパンツは、20年ぐらい前に買ったもの。今どきは見かけない古いデザインのものですが、問題なく使えるし、お客さんの前でも恥ずかしくない程度にはきれいです。作業用に着ているオーバーパンツは、30年以上前のもの。あちこちテープで補修してあり、さすがにお客さんの前では着ませんが、機能に問題はありません。
 そんな風にまだ着られる服、まだ使える道具などを、「新しいものが出た」とか、「流行遅れになった」とかで買い替えることはありません。
 ちなみにスーツなるものは、礼服の一着以外は持っておらず、これを着て、スーツ着用が基本の大型二種免許の実技試験に臨んだときは、「なんで礼服やねん!」と、助手席に座る試験官の心の声が聞こえたような気がしました。

 必要なもの、欲しい物があるときは、新たに買う前に、今あるものでなんとかならないかな?自分で作れないかな?と考えます。
 うちの庭には、ベンチとテーブルがあるのですが、ベンチは、事務所を建てるときに使っていた作業用の仮階段。使用後捨ててあったものを、棟梁に確認の上引き取ってリメイクしたもの。環境教育インストラクターとして木の大切さを語っている自分としては、用済みになったからといって捨ててある木材を、そのままにしてはおけませんでした。
 テーブルは、どんぐりから育てたミズナラを間伐したものを足に使用。天板は、取り壊す農家さんの納屋から「なんでも好きなもの持っていけ」といただいたミズナラの無垢材で作りました。
 その他、納屋や鶏小屋やいくつかある棚も、全て廃材を使って作ったものです。自称ハイザイおじさんです。
 ハイザイおじさんは、日々木を植える自然塾での活動を通じ、間伐したものや廃材も、利用してこそ循環が成り立つと考えています。
 インドに「ジュガード」という考えがあります。調べると色々な解釈が出てきますが、例えば、空き缶に穴を開けてシャワーヘッドにしていたり、アイロンを裏返して料理用コンロにしていたりと、要するに「ある物でなんとかする」という考え方だと思います。

 お金を出せば欲しい物が何でも手に入る今の日本、「欲しい物」があれば、すぐに「買う」という発想になりがちです。でも、我々のご先祖様も江戸時代ぐらいまでは「一つの物で何通りもの使い方をする」「あるものでなんとか工夫する」きっとそんな「ジュガード精神」のようなものを持ち合わせていたのではないでしょうか。

 家は、離農して移住された農家さんの家を購入して住んでいます。1960年築、古い家ですが、最先端のパッシブ換気システム(またの名を隙間風)がついており、風の強い日は窓を締め切ってあるはずのトイレの水面がゆらぎ、夏暑く冬寒い素敵な家です。

 食事は1日2食にしています。食べる量を減らすと、それだけ環境に与えるインパクトも少なくなる上に、健康にも良いらしいです。
 食べたものが胃に滞在するのは3~5時間、小腸で5~8時間、大腸で15~20時間なので、3食にすると、やっと作業を終えた臓器に休む間もなく次の食料が送り込まれ、まるでブラック企業のように働きっぱなしになりますが、2食だと、臓器を休ませることができます。
 でも、お酒は飲みます(「飲むんかいっ!」←皆さんの心の声)。
 また、牛肉と豚肉を買うことを、ほぼやめました。外食時に入っているものや、出されたものは食べますが、自分では買わないようにしています。牛肉1kgを作るのに穀物が11kg、水が20トン、豚肉1kgでは穀物7kg、水が6トン必要です。牛のゲップによるメタンガスの排出は、気候変動の原因にもなっています。
 健康の維持には、動物性のタンパク質も必要だと考えていますので、鶏肉は買いますが、必ず国産品を選びます。そして魚類。これもできるだけ北海道産のものを選び、チリ産の鮭など輸入物は買いません。

 スーパーでの購入時は、手前にある賞味期限の短いものから選びます。みんなが賞味期限の長いものを選ぶと、それだけ廃棄処分される食材、フードロスが増え、そしてそのコストは商品価格に跳ね返ってきます。
 野菜は夏場、庭からの収穫物で賄っています。庭に20坪ほどの家庭菜園があり、春先に、ナス、ししとう、トマト、ピーマン、大豆等いくつか苗を植えます。ありがたいのは小松菜。菜園の一角で食べきれないほど繁殖しており、花を咲かせては種をつけ、また芽を出すのでシーズン中に何回も収穫でき、新たに種を蒔かないでも翌年も出てきます。なので、夏場の私の身体の80%は小松菜でできています。
 フィールドにも食材が溢れています。山菜、きのこ、ニジマス、アメマス、ときにはいただきものの鹿肉や熊肉も。

 さて、いかがでしょう。衣・食・住・インフラ(電気・灯油・ガス・水道)について、環境保全、持続可能な社会を意識して、日常生活において自分なりに心がけていることを綴ってみましたが、決して「こんな風にすれば?」と押し付ける気はありません。やっていることが必ずしも正しいかどうかもわかりませんが、少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

 一人の100歩より100人の一歩。未来を生きる子どもたち、孫たちのために、こういったことを意識する仲間が一人でも増えればいいなあ、と思っています。

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