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捨てるのが苦手。

  『捨て置いた キャベツの芯も 花は咲く』。かつてこんな俳句を創ったことがあるくらい、とにかく捨てるのが苦手だ。部屋が片付けられないだけでなく、気が付くとお財布はパンパンに膨らんでいるし、カバンは紙の重みで型崩れしてしてしまいそうになっている。

 「多すぎるものの中で生活している人は、使わないものを保管するために、家賃を払っているようなもの。あなたはそんな状態です」。合理主義のひとが私の家をみたら、きっとそんな風に、怒られてしまうにちがいない。

  そんな片付けが苦手な私も、一念発起をして、ものを捨てる為の引っ越しを決めた。「いるもの。いらないもの。」線を区切って、どちらかに分けていく。いらないものは捨てればいいだけだ、きっと出来ると言い聞かせるのだが、「いるもの。いらないもの。」機械的に繰り返すうちに、やがて飽きてきて、ふてくされたように携帯をいじりはじめるのが最近の日課である。

 携帯をいじっているうちに、電話帳やLINEのID、サーバーに残るメールもずいぶんと整理をしていないことに気がつく。「そういえば、みんなはどうやって捨てているんだろう」とふと携帯を触る指が止まる。

 モノなら「いる。いらない。」を二分別して、いらない方は捨てればいい。ただ手紙や、誰かの電話番号は、二分別出来ないような気が私はする。「必要な手紙。必要でないけれども、何度も読み返したい大切な手紙。いまは見たくもない不必要な手紙だけれども、いつか必要になるかもしれない手紙。定型文しか書かれていない不必要な手紙。」この手紙の山を、例えば隣の住民はどうやって減らしているんだろう。そして、捨てられれないなら、いつか私は手紙の海で窒息死してしまうかもなと思った。捨てられない誰かの言葉で、窒息する。そんな死因も悪くないような気がしたので、今夜のお片付けは明日に持ち越し。今日も私は捨てるのが苦手だ。

まずは記事を読んで頂きありがとうございます。もしもサポートを頂く事があれば、次回公演の制作費の一部として使わせて頂きます。いちかわとも。