見出し画像

明日のわたしのために。

いいね!の数が気にならない。

比ゆ的な表現ではなく、そのまんまSNSの話しである。もちろん確認はする。いいね!の数が多いとうれしい。でも少なくても、あっそ、で流せる。

だって、そんなこと気にしてもしょうがない。そもそも有名人じゃないし。情報過多の世のなかで、SNSの投稿が読まれていいね!が推されるなんて、内容うんぬんより運だよね、とずっと思っていた。

でも。ふと思った。
だったら、わたしはなんのためにSNSで発信してるんだろう。

記録なら日記でいいし、友人とのやりとりなら違う方法をとっている。それなのにSNS投稿をしているのは、まぎれもない、伝えたいから。

いいね! を気にしすぎるのは精神衛生上よくない。でも、いいね!がないというのは、伝わっていないことだ。じゃ、どうすればいいんだろう……。と考え始めたら思考がぐるぐる回って止まらなくなり、気がつけば、森のなかに放り出されたような、右も左もわからない迷子状態になっていた。

それから、友人に相談したり、オンラインで勉強をしたり、映画や本を読んだり。今も、何かを見つけたくて模索中である。


4月から新しい挑戦を始めた。ここで大きな発見があった。それは冒頭の話し、いいね!が気にならない理由について。それは、わたしがずっと雑誌や書籍のライターの仕事をしてきたからだった。

かれこれ20年以上ライター業に就いているので、情報を発信することに慣れている。じぶんの投稿内容に完璧を求めず、頻繁にアップできるのは、締め切りという絶対ルールを守るために、ときに完璧でなくても終わらせていたから。また、完璧でない、と思っていたものが、意外に良いできだった経験もあった。そして、投稿後の反応が気にならないのは、紙媒体メディアの場合、読者の声はほとんど届かないため、出版してあとは、編集部やライターの手から離れる、という感覚だった。

つまり、そういう業界に長い間いるので、SNSでも同じ動きをしていた、というわけ。

なるほど、そうか。昔の経験が、今のわたしの行動のベースになっていた。それはもちろん、じぶんのスキルとして使えることもある。でも、わたしは伝えるために、変化をしていきたい。経験がわたしを作るとすれば、今挑戦していることが、明日のわたしにつながっていると信じたい。

ちなみに、SNS投稿で読まれるのは運だと思っていました、とアドバイザーの方に伝えたら、こんな返信がきた。

運といえば運なんですが、
仕掛けていってこそ、運を手にできますよ。

ぐぅのね(死語?)もでないほど納得した。そのとおりである。


みなさん、5月23〜6月30日まで、マレーシアに食の旅に出かけます。「Oto_Furukawa」のinstaでその様子を発信しますので、興味があればぜひみて下さい。

https://www.instagram.com/oto_furukawa

:::: 

ペナンで人気のカヤトースト店「多春 Toh Soon」。いっつも混雑しているので開店の8時前に行くべし。

この写真、パッと見ると、店の外に行列があるようにみえるが、正確にいうとそうではない。店は、この行列の先にある。つまり、建物と建物の間の路地、軒先のほぼ屋外にテーブルが横並びになっていて、にぎわっている。しみじみ思う、マレーシア人は路地にある店がとても好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?