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映画『エブエブ』で思い出したこと。

社会人になりたての20代前半。仲のよかった先輩とのおしゃべりでよく話題にしていたのが「菩薩になりたいか、なりたくないか」だった。

なんのこっちゃ、な会話だが、あのころのわたしは頭のなかにある雑念がとても苦しくて、ぜんぶ無にできたらいいのに、と妄想していた。だから、この世のあらゆることからの解脱を目指す菩薩になりたかった。

4つ年上の先輩は、最初は「何言ってんの?」だったが、「まだ菩薩になりたいの?」と慣れてきて、だんだん「私も菩薩になりたい」と菩薩派になっていた。


先週末、映画を観た。アカデミー賞で最多7冠を達成した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(通称エブエブ)』。アジア人俳優として初の主演女優賞に輝いたミシェル・ヨーはマレーシア人で、中学時代に映画雑誌『ロードショー』の切り抜き写真を下敷きに入れていたほど大好きだったキー・ホイ・クワンが夫役ということで、もう見ないわけがない! 

すごかった。予想の斜めうえをいく映画だった。こんな映画を初めて見た。ばかばかしくも愛しくて、笑いながら涙がじわっと出て、カオスのなかに真実があった。アカデミー賞に大拍手だ。


そして思い出したのが、冒頭の菩薩会話。そうなのだ、わたしにも、ジョブ・トゥパキのドーナツが近くにあった。きっとみんなの近くにもある。

あのころの雑念について思い出してみる。それらは今ではほとんど忘れているくらい大したことのないことだ。上司と合わない。仕事がつまらない。朝の満員列車がしんどい。そういう誰もが感じる普通のしんどさに押しつぶされそうだった。普通の、とあえて言うが、普通の、ちゃんとした苦しさ。もちろん若いがゆえの繊細さもあった。

ひとつ、しっかり覚えているのは、苦手な上司なことだ。彼はかなりの気分屋で、よく無視された。ときに、にこやかに話しかけてきて、そんなときでも、こちらの返答が終わる前に、ぷいっと立ち去っていくこともあった。その態度に、わたしは人間扱いをされていないように感じた。

大人になった今なら、そんなしょうもない人のことで感情が乱れるのは時間の無駄だ、と考える。世の中にはいろんな人がいるんだから、と知った顔でアドバイスをするかもしれない。でも、あのときのわたしだって、そんなことは十分知っていた。大嫌いだったのに、人として嫌っちゃいけないと思っていたから、だから辛かった。


あのころ菩薩になりたかったのは、それまで、大人=正しい、世界=すばらしい、のように盲目的に信じていたものが、少しずつ壊れていったからだ。結果、世界はすべて壊され、二度と同じように修復できなかったことを今のわたしは知っている。ありがたいことに、違う形で、また信じられる世界になったけど、それはあらゆるラッキーなことが重なったからに他ならない。傷ついていた過去のわたしをハグしてあげたいと無性に思った。

ストーリーの突飛さのなかで、娘ジェイのなんともいえない表情がとても印象的で、そこから過去のわたしを思い出したエブエブでした。

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ミシェル・ヨーの故郷、マレーシアのイポーに描かれている有名なウォールアート。おじさんの手にあるのは「ホワイトコーヒー」とよぶミルクたっぷりの珈琲で、マレーシア全土に展開するカフェチェーン「オールドタウン・ホワイトコーヒー」の原点は、ここイポーにある。

イポーのバス会社の看板で発見したミシェル・ヨー!

映画、ぜひ見て欲しいです!

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