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抱負らしきもの。

2023年は、もっと自由に、もっと自分基準でいこう。

自由に、という抽象的な言葉にこめた意味は、たとえば、そのことについての正解や不正解を求めないこと。正しさよりも、じぶんの心が動いたことを重視すること。伝統と流行、本流と創作のような相対する価値感を分けて考えないこと。伝統だから大事にしたほうがいいとか、流行りものだから一時的かもしれないとか、そういう情報よりも、そのものの美しさや輝き、おいしさに目を向けること。

そしてもうひとつ。一般的に求められているか否か、といった外の目を気にすることを止めること。広めるよりも、伝わることに力を入れていこう。

堅苦しく表現するなら、
わたしというフィルターを通して情報を発信していくことにちゅうちょしない。

簡単にいえば、
いいナ!と思ったことを素直に伝えていく。である。

なぜなら、だ。そもそも、わたしがマレーシアに惹かれている理由は、異なる民族がともに暮らすことでうまれた多様な価値観が共存する社会にある。そのコミュニティの基本にあるのは、人は人と違っていて当たり前、という考え方。正解はひとつではないから、他人をコントロールしないし、ある程度の無関心さとリスペクトを持って関係しあう。そういう環境で4年暮らしたおかげで、わたしはじぶんらしさを追い求めることをしなくなり、生きることが楽になったと感じている。

それなのに、だ。マレーシアに関わって17年という長い年月が経ち、いつの間にか、正確な情報を発信せねば、という気持ち大きくなりすぎて、無いはずの正解を求めてしまっていた。正解がひとつじゃない社会のおもしろさを伝えたかったはずなのに、真逆の方向を向いてしまっていた。


考えてみると、社会という外の世界が多様であっていいように、わたしという内なる世界も多様であっていいのだ。

つまり、わたしの正解も、経験や、環境や、年齢によって変わる。今のじぶんと10年前のじぶんの考え方が違っていて当たり前。それなのに、変化したじぶんは一貫性がない気がして、ずっと見て見ぬふりをしていたよ。


「別に誰かに頼まれてやっているわけじゃないのだから、ゆるく構えていればいいのだ。きっとなるようになる。ならなければならないで諦める。大きな志やら夢やら目標やらは必要ない。」とは、昨年末に受講したカレーの学校(第29期)で、校長の水野仁輔さんがプレゼントしてくれた言葉。その
とおりだ、としみじみ思う。

このnote、マレーシアごはんの会Webサイト、メルマガ。これらは誰に頼まれているわけではなく、わたしが好きで続けていることだから、もっと自由に好きに発信していい。あぁ気が楽になった。

そうやって多様なわたしをありのままに伝えていくほうが、もしかしたら多様性ウェルカムなマレーシアらしい気も……って、少し強引なまとめかもしれないけど、素直にそう感じてる2023年の年初めである。

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ペナンにて。人が列をなしているファイブフットウェイの歩廊の先にあったのは
ローストタイプのチキンライス店。文字どおり、飛ぶように売れていた

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