応援者は昨日のわたし。
じぶんが弱い人間だということは、わたしが一番わかっている。
何百万種の生物のなかの、ホモ・サピエンス種のなかの、世界78億人のなかの、たった1人という、ちっぽけなわたしなのだから、とことん弱いのは当たり前だと、半ばやけっぱち気味にも思っている。
3年ぶりに、人生2回めのしんどいことが判明した。2週間ほど前にわかり、現在も継続中だ。わたしは弱い人間なので、じぶんの反応にハラハラしたが、前回よりはうまく対処できている。ご飯はちゃんとおいしいく感じるし、涙が出たり、動悸が激しくなる回数も以前より少ない。そうか、2回めだからか。2回ってそういうことか。ありがたい。
あれこれ考えても、先のことは誰にもわからんのだから意味がない。このことも前回より強く思えている気がする。これはコロナのおかげだろう。
そんな2週間をおくるなかで、ほぉと思ったことを記録的に記しておこうと思う。
まず、しんどいことが判明する前と後では、同じ写真を見たときの気持ちが変わっている。以前は楽しい気持ちだったのに、今は悲しい気持ちになる。
なぜだろう。写真という物体は何ひとつ変わっていないし、写真を撮ったときの出来事自体もまったく変わっていないのに。
まぁ、たとえば別れたカップルが、仲のいいときの2人の写真を見て切なくなるのと同じ現象なので、不思議じゃないといえばそうなのだけど、冷静に考えると、変だよね。それに、せっかくの楽しい記憶なのに。
思い出は、今と関連付けず、そのときのまま、個別で保管したい。そうしよう。そうでないと、人はみな死ぬのだから、人が映っている写真を見ると、ぜんぶ悲しくなってしまうよ。
もうひとつ。わたしの心がしんどくなるのは、未来のことを考えたとき、ということに気づいた。あれこれ考えても仕方がない、と頭ではわかっているのに、まだ来ぬ、誰も知らない未来を思って不安になる。
このしんどさを感じないようにするのは、フォーカスをあてる時間をずらすことだ。未来ではない別の時間に意識を持っていく。よく「今を大事にしよう」と言われるが、どうも現在のわたしの場合、今ではなく、直近の過去がいいようだ。たとえば、昨日。
昨日、おいしくご飯を食べることができた。
昨日、テレビを見て笑うことができた。
昨日、SNSで友人と冗談を言い合えた。
昨日ちゃんと生きられたのだから、今日も大丈夫だ。
昨日のわたしを、そのまた昨日のわたしが支え、今日のわたしは明日の昨日になって、わたしを支える。そこがちゃんとつながっているから、わたしはわたしを信じられる。
ありがとう、昨日のわたし。
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マレーシアのおやつ、オンデオンデ(ブア・ムラカともいう)。椰子砂糖のシロップが入ったやわらかい餅団子で、周りにまぶしているのはココナッツの実。南国の甘い香りがふわっと漂う人気の生菓子だ。マレーシア・オンライン料理教室でタリナ先生に習ったレシピで再現してみた。おいしい。つくづくレシピってすごいな、と思う。
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