記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

読書感想文 葉真中顕 ロスト・ケア

2012年に第十六回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した作品です。
もう、11年前に書かれた作品なのですが、私は未読で、映画化されたことで興味がわいて読んでみたのですが衝撃でした。

何が、衝撃かというと、11年前に書かれた物語にも関わらず、現在のことのように思えるほどリアルな物語である事。
そして、この物語が11年前に未来を予測した内容が、今もまるで変わらず、もしかしたら一層悪くなっているのではないかと思える状況であることに愕然としたからです。

ミステリーとしては、ソフトな感じですが、真犯人がわかった時には、え????ってなって見事に騙されていました。
「彼」と表現される真犯人の姿は、完全にある登場人物を犯人だと読者に思わせるように仕向けられています。
いやいや違うだろ、どんでん返しがあるだろと思わせておいて、あれ、やっぱりこの人だったのかと思わせたところで、大どんでん返し!
や・ら・れ・た!
お見事です。

42人もの老人を殺した殺人犯の裁判から物語は始まり、死刑判決が下されるのを、関係者がそれぞれの立場で聞いています。
そして、それぞれの関係者の目線で、その殺人が行われた過去の状況が描かれます。
在宅介護で苦しむ家族と介護される要介護度の高い老人の生活。
家族だから愛情もあるけれど、認知が進んで認識されなかったり、暴言を吐かれたり、汚物を巻き散らかされたりする。
家族による介護には限界があっても、解決方法がない。
そんな状況にある老人が、自然死と判断される事例が多発する。
それは、真犯人による「処置」なのだった。
検事である大友は、そんな不自然な自然死を不審に思う。犯人と目される男に話を聞くと、あっさりと犯行を認めて彼は言った。
「殺すことで、彼らと彼らの家族を救いました。僕がやっていたことは介護です。喪失の介護、ロスト・ケアです」

殺人犯は、正しいことをしていると言い、
大友は殺人犯が罪悪感を抱き、悔い改めることを望んでいる。
でも、二人の考えは、平行線のようでまるで交わらない。
大友は、殺人犯がこの殺人を起こし、自分が死刑になることで、世の中に一石を投じようとしていることに気づき、冷静ではいられなくなる。

もし、11年前にこの作品を読んでいたら、私の感じ方は今と少し違ったかもしれません。
11年前、私は仕事をしていましたし、義父母も母も元気一杯でしたから、親の老後を考える必要はあるけれど、今ではない。今は、まだ自分の仕事が大事だって思っていたと思います。
11年前の私は、いい年でありながら、親がいつまでも元気で頼りになる存在だと、どこかで思っていました。全く、甘い考えでした。
ですが、元気な老人が、一気に老いるということを知りました。この11年の間に義父と義母を看取り、母が老人ホームに入りました。たまたま、仕事にきりをつけた後の出来事だったので、この物語のような大変な思いはしていません。良いタイミングで仕事を辞めたといえるかもしれません。
あんなに元気だった母でも、認知の症状がでて誰かの助けを借りなければ安全に生活をおくることが難しいのだということを学びました。
そして、それは、私自身の将来、私自身に起こることだと母が教えてくれているように思っています。

それだけ、親の老後、自分自身の老後について思いを巡らせていた私にとって、この作品を読むのは衝撃でした。
在宅で介護される老人を、42人も殺した殺人犯。
それを救いだと、介護だと言い切る殺人犯。
検事の大友は、自分の犯罪を世に知らしめることが目的だったのじゃないか、救世主きどりじゃないのかと殺人犯に迫ります。
すると、殺人犯が言います。
「僕がたくさんの人を犠牲にして、自分の命すら賭してそんな物語を人々に語ったとしても、何も変えることができないかもしれない。もうなるようにしかならないのかもしれない。もしかしたら、今はまだ全然ましで、十年後、二十年後にはもっと酷いことになっているのかもしれない。いや、きっとそうなんだ。ひどく分の悪い、絶望的な戦いですよ」
11年前の作品の登場人物が憂えていることが、今現在一層解決の難しい問題となっている現実に愕然としました。
コロナ禍という、この物語の書かれた頃には想像もできなかった現実も発生したあとの現在。
どの業界でも人手不足が叫ばれている現実。
わかっていたことなのに少子化に歯止めがかからず、効果的だと思える政策がみつからないまま、様々な意見の船頭が多くて船が山に登りそうな状況。

11年前に、作者が憂慮した世の中の状況が、まるで改善されていない現実。
絶望的と訴えた登場人物は、今の状況をどうとらえるだろうか? などと考えていると、十年後、二十年後が一層の闇に思えてなりません。
その頃、私自身がケアされる立場であることは間違いないのです。
自分の最期を自分で決めておかなければ……と気が焦ります。

映画は結局みられなかったのですが、まさに、社会派の考えさせられる作品になっていただろうなと想像しています。

本当に、考えさせられました。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?