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作られたフレイル

体はひどく傾き、左の腕は床につくほど垂れ下がっている。
あやうく椅子から転げ落ちそうだ。
明らかに前回訪問した時とは違っていた。

* 

彼女は、サービス付き高齢者向け住宅に住む90代の女性。
高齢だが、財産管理も含めて、身の回りのこともはすべて自立していた。
もともと社交的な人で、週に3回のデイサービスが生きがいである。
姉妹仲も良く、毎日のように携帯電話で連絡を取り合っていた。
たしかに、膝の障害で歩行器は手放せないが、
食事どきには1階の食堂まで歩いていた。

しかし、コロナ感染が彼女から「日常」を奪った。
通っていたデイサービスでクラスター発生し、
濃厚接触者5人のうちの1人になってしまったのだ。
運が悪いことに、PCR検査では、彼女だけが陽性。
部屋から出ることを一切禁じられた。
もちろん食堂にもデイサービスにも行けない。

彼女が唯一つながっていたのは、訪問診療の先生と看護師だ。
毎日のように彼女を訪れ、病状を確認したり、薬を飲ませたりしてくれた。

幸いなことに、感染はしても、発症はしなかった。

しかし、日ごとに食欲がなくなり、食事量が減っていく。
ついに、立つことも、歩くこともできなくなった。

ある朝、安否確認のため、住宅の管理者が感染防護服を着て部屋に入った。
彼女はベッドからずり落ちるような姿で横たわっている。
トイレに行こうとして、力尽きたのかもしれない。
すでに失禁もしていたという。

訪問看護が開始されたとき、すでに陽性判定から10日が経過していた。
しかし、念のため防護服で部屋の中に入った。

彼女はリビングの椅子に座っていた。
目の前の食事には手が付けられた形跡はない。
すでに朝の10時を過ぎており、食事は冷めきっていた。
せめて牛乳を飲んでもらおうと、ストローを口元に近づけた。
一口、二口だけ飲んでくれた。

「このたびは大変でしたね。」

ありきたりの言葉しか出てこない。

「何が何だかわからない。」

不安というよりも、「あきらめ」に似た表情。

感染がわかってから、お風呂にも入っていない。
洗面所でお湯を汲んで、全身を拭いた。
汚れていたおむつを交換し、シャツとパジャマも着替えた。
座りっぱなしなので、足もむくんでいた。
バケツにお湯を汲んで足浴をした。

「さっぱりした。ありがとう」

少しだけ表情がゆるんだ。

彼女の急変を発見したのは、2回目に訪問したとき。
体が傾いていたのは片麻痺のせいだった。意識も悪い。
その場で訪問診療医に連絡を取った。

感染時期から考えて、すでに感染力はない。
脳外科の病院が受け入れを許可してくれた。
結局、脳梗塞で入院となった。
脱水がかなり進んでおり、それが引き金になっていたようだ。

何度も言うが、彼女は感染はしても、発症はしていない。

しかし、「コロナ感染者」という事実とそれによる社会との断絶。
計り知れないストレスが彼女を襲ったことは事実だ。

栄養や運動に気をつけていても、社会とのつながりを持たないことで、
「こころ」も「からだ」もドミノ倒しのように弱っていく。
これが、フレイルだ。

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そして、社会とのつながりを失う「ソーシャルフレイル」はフレイルの最初の入り口と言われている。
大抵は、何か月、何年とかけて、この「ドミノ倒し」が起きる。
しかし、彼女の場合、わずか2週間という短い期間で、これが急激に起きた。

「どうせなら一気に逝ってしまいたい…」

救急車に乗る前、彼女はつぶやいた。

高齢者のコロナ感染については、重症化の問題ばかりが取り上げられる。
しかし、その裾野には、多くの「作りられた」フレイルが存在することを忘れてはならない。

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