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ボランティア体験について

2023年2月掲載分。

【はじめに】

今回は漸く“NPO法人抱樸(ほうぼく)”さんのサポーターとならせていただき、『炊き出し』というボランティアの経験をさせていただく為に北九州の小倉に行かせていただいたお話を書きたいと思います。

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もしお読み方のなかでボランティア等にご興味がある方は是非“抱樸(ほうぼく)”さんでもよいし、遠方の方はお近くのボランティア団体に何かしらの形で参加してみてください。いっぱいの文字でお伝えしたいのは、それだけです。

NPO法人 ほうぼく[抱樸]
https://www.houboku.net/

【出発からの実況】

今、日本全国が寒波に見舞われているなか北九州の“抱樸(ほうぼく)”さんのボランティアに参加する為に新幹線に乗り込みました。こういう日になって「(自分)らしいなぁ」と思う訳ですが、ボランティアに従事しておられる方々は、寒波だろうが食料の配布等を毎週毎週行っているのだし、路上で過ごさなければいけない方々なんてこの寒さのなかで凍えながら暮らしているのだと思うし、家はあっても食料が買えないような方々は暖房も付けられずにいるのだろうと思います。そう考えたら、どんな日であってもボランティア日和となるのだろうとは思うのです。偉そうなことは何ひとつ言えないですが。

と調子よく俯瞰目線で書いているのですが、私自身が特にお仕事の諸々で結構ボロボロな感じでして、金魚で言えば、水面で口をパクパクしているような気分でなんとか生きております(それを笑っている自分も確かに存在するので大丈夫なのですが…)。だからというのもなんですが、不謹慎だとは思いつつボランティアに参加させていただくことで「元気を貰おう」と、いや、元気は貰うものではないので、「元気になろう」としているのだと思います。そんなのは間違っている、と言われたら返す言葉はないのですが、今の心境はご協力させてもらって、私自身が少しでも元気になって帰ろうと思っております。

この“抱樸(ほうぼく)”さんに参加しようと思ったのはいくつかの理由があるのですが、昨年に神戸で行われた代表の奥田知志さんが思想家の内田樹さんと宗教学者の釈徹宗さんのご講演で神戸に来られた際に、お話を聞かせていただき、とても楽しい時間を過ごさせていただいたことも大きかったです。

特に奥田さんのお話で路上生活者の方と共に小学校で講演を行った話がなんとも言えませんでした。子どもが「拾ったものを食べるのですか?」という質問をしたときに路上生活者さんが「拾ったものが食べれるかどうかという基準はだね…」と話し出したのですが、そもそも拾ったものは食べてはいけませんよね、と話されていました。深刻になり兼ねないことをこうやってユーモアを交えてお話してくださることに奥田さんの大らかさと優しさを感じることができました。そして“抱樸(ほうぼく)”の活動内容にも共感するところが非常に多かったです。

宗教学者の釈徹宗さんのお話では、なんといっても自殺しようと決意した人がひょんなことでパートのお手伝いをさせられるお話ですね。長くなるので割愛しますが、コントのようにとても笑えるのに示唆に富んだ要素を含んでいる素晴らしい話でした。

横道にそのまま逸れますが、内田樹さんのお話も大変興味深かったです。この講演をきっかけに内田樹さんの著書をひとつひとつ読んでみています。日頃感じている「うやむや」になった事柄を正確な言葉で表現されており、一種の快感を覚えるような文章だと、個人的には感じてきます(政治のことは未だによくわかっておりませんが)。曖昧だったことが言語化されるのはこうも爽快なのかと感動してしまいます。あれだけの守備範囲で思考するのは、大変だろうなぁと容易に想像できるとともに、勝手な想像ではありますが、様々な事柄について頭のなかに寝かせて、転がして、思考がつながり、明確な言語化がなされるのではないだろうか、と思ったりしています。内田さんの文章は、色んな事柄を結論付けずに頭に入れてる感じがします。

(うとうとしていたら、徳山駅です)

小倉駅に着きました

わたしのボランティアといえば、阪神大震災が起こった中学二年生のときに参加したことぐらいかもしれません。地震発生後1ヶ月とかでしょうか。友だち5、6人で荷物の仕分けをしに自転車で、中学生にしては少し遠方の学校の体育館に行きました。行ってみると、体育館いっぱいに山積みの服や毛布があり、なんとも言えない気持ちになりながら、「送ってくれるのは有り難いことだけど、仕分けするのも大変なんだな」ということを身を持って感じれた体験でした。

後日、そのボランティアに行ったことをそのグループの誰かが先生に言ったらしく、ホームルームの時間に先生がえらく褒めてくれたことを覚えています。ただ、わたしは「そんなん言わんでもええのに」と思っていたと記憶しています。正義の味方はわざわざ自分のよい行いを言わないというところからきているのかもしれませんが、なんとも素直ではない子どもだったなと、その記憶には眉にシワを寄せてしまいます。

【炊き出しスケジュールを簡単に】

トラックなどに積まれている荷物を運んで準備。簡易テントを立てます。食料(お弁当・パン等)や毛布等を配って、片付け。円陣を組んで、スタッフの方などが活動報告、最後にはじめての方は挨拶。(約2時間強)

【炊き出し後の感想】

大志を抱いた訳ではないけれど、それなりに意志を持ってきたつもりだったのだけれど、逃げるようにホテルに帰ってきて、なんだか反省の連続となっています。

活動はとても有意義で、協力し合う時間はとても素晴らしい時間だったと思います。それでも、とにかく今回の参加が「偽善的」な感じに思えてきて仕方がなくアップするのをやめようかと考え出しています。旅エッセイを書くことについて「いやしくも文章を残そうとしているので、その覚悟が必要」みたいなことを著名な作家さんがどこかで書いていたことを思い出したのだけれど、そういった話に上乗せされた“偽善”があって、まいっています…(ああ、まいったまいった…)

*NPO法人ほうぼく[抱樸]提供画像_無断使用不可

―― 暫くの時間が経った。正確には5日後

こういった文章書くには、感じたことや頭に浮かんだあれやこれやの破片をいっこいっこ整理して、それなりに読めるものにしなくてはいけないのだけれど、先述したように私の支軸になる「これを書いて、ボランティアや活動へ繋げる」という純粋であるべきことが、私を着飾るブランドの一部にしようとしているような「疚(やま)しい心」が露骨にあることがわかって、とにかくショックが大きくて帰ってきてからも、まったく書けませんでした。

正確に言えば、そういった「疚(やま)しさ」は少しはあるけれど、それぐらいの「下心」のようなものも込みでいいじゃないか、と思っていたのです。でも、実際に活動に参加してみると、まったくダメでした。あまりにもやましい参加の仕方のように感じてしまったのです。それでも、ちょっとしたきっかけがあって、それも含めて書いてみようと気持ちを改めて書いています。でもしつこいようですが、神戸から小倉までわざわざボランティアに参加したのだから、それでいいじゃない、というような楽観的な気分には未だになれない、という事実はあります。更に云えば、今回のボランティア参加で物凄く『ずしり』と実感したのは、ボランティア自体を語れるのは、ボランティアを日々つづけている方々なのだという当然のことでした。

とことこ現場へ歩く

結論として、ボランティア活動自体は、参加させてもらうと気持ちが元気になるものです。とても動機が純粋で、その現場での行動は明確な「想い」から行動できます。日常のなかで感じる「でも」とか「だけど」とかいったエクスキューズが入り込まない、とても気持ちの方向が定まってくれるが故に、元気になることができるんじゃないかと思います。こんなに迷いなく、正しく行動できることに私自身もポジティブな心持となり、大きな充実感をもたらしてくれました。

で、一番大事な、活動についてですが、今回は“抱樸(ほうぼく)”さんのスタッフさんや関わるボランティアさんがもう本当に優秀で、初めてのボランティアの方は、キレイに舗装されている現場で「ただ動けばいい」というところまで当日の準備をしてくださっています。行きたい方は安心して、当日はスタッフさんや手慣れたボランティアさんの言う通りに動いていればよいようになっています。だから、はじめてのボランティアの方にとっても、とてもオススメの団体さんであると思いました。とても優れた集団のNPO法人さんです。

あとは、変わった多国籍語を話し、逐一ご説明をしてくださったおじさん(ご親切にご説明くださったのに御礼のご挨拶もせずに帰ってきてしまいました。大変失礼しました)に奥田さんの息子さんをご紹介いただきました。息子さんは本当に気持ちの良い人で、オープンな心がずんずんと伝わってくる人でした。初対面の私にも気さくに話してくださって、あれだけ心がオープンでかっこいい人ってはじめて会ったかもしれません(ご自身のご経験とかから来ているのでしょうね、きっと)。ちょっと感動的な感じのひと時でした。

思いついたことをざく切りみたいに書いているだけの文章になってしまいましたが、とにかく私にとっては、自分の「不純さ」も含めて、非常にいい経験となりました。

はじめに書いたように、心は凹んだのですが、最終的に中2から変わっていないのは、私はよいことをしたら「褒められたい」ということと、それをわからない感じで嫌味にならないように「鼻にかけたい」のだと思います。もう情けないけれど、仕方がないです。そろそろ本当に腹をくくらないといけないのだと思います。

だらだらとお書きしましたが、この度は貴重な経験をさせてくださった“抱樸(ほうぼく)”の関係者の皆様とボランティアの方々、本当にありがとうございました。多謝。

さぁ、こんな拙い文章でその気になるとはこれっぽちも思わないですが、次はあなたが行って、お話を聞かせてくださいませ。きっと素晴らしい体験になると思います。ぜひ。

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「ひとりにしない」という支援
NPO法人 ほうぼく[抱樸]

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お昼は"とりかつ丼”を食べました。

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