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「励まさない」「応援しない」「背中を押さない」

特に2022年、私には悩みがあった。好きなアーティストの新譜がいまいち刺さらない。
"飽き"もあったかもしれないが、多分そういう問題でもなかった。
結局、良いと思えた曲(「POP SONG」に「KICK BACK」何故かどちらも米津玄師)を単品で聴きまくったり、新しいアーティスト(Kroi、小林私とか)に手を出してみたりして対処した。
2023年もその傾向は若干続いており、何を聴いても小林私に戻ってきている。
そんな小林私が歌詞について語ったコラムを読んで、目から鱗がボロンボロン飛び散った。

私は作詞におけるルールをいくつか設けていて、例えば「励まさない」「応援しない」「背中を押さない」といったものがあり、この歌詞もルールに則って書き出した。
ルールを明文化しているわけではないのでざっくりとした言い方になってしまうが敢えて言うのであれば「落ち込みすぎない」というもの。「悲観的になりすぎない」と言ってもいい。

あー、私って励まされたくないし、応援されたくないし、背中を押されたくなかったんだな。
正確に言うと、「されたくない」じゃなくて「されたくなくなった」んだ。


今回も音楽の話は主軸ではない。ここ数年の変化、そして仕事の話がメインになると思う。仕事の話…まあ言い過ぎないよう気を付けるね~。

2019年以前

私は薬局で働いている。別にこの業界に限ったことではないが、理不尽でグレーな世界だなと思う。適当な医者と我が儘な患者に挟まれると最悪だ。
まあまあ怒られる。でも自分が悪いわけではないことが圧倒的に多い。謝りながら「アタシは悪くないけどね~」と受け流す。
処方薬と患者の訴えが全く噛み合わないため病院に問い合わせしたら、「お前がおかしい!」と医者に罵倒されまくった。結果、病院が患者を取り違えてたのは本当クソだったな。最近一番腹が立った。医療ミスを防いでやったんだから感謝せい。

おっとおっと、ついキレてしまいましたわ。ほぼ毎日キレてるんだわ。
そういうストレスが積もりに積もった時、以前は"強い光を浴びること"が一番の特効薬だった。
宝塚なんかすごい。観ているこちらも発熱しそうなくらい過剰なライト、色とりどりのスパンコールが光るお衣装(衣装に"お"を付ける奴は皆ヅカオタだ)。グレーな世界を一瞬で照らす。
「キラキラしよう!」が口癖の男性歌手。こちらも宝塚に負けず劣らずのステージを作ってくる。私もドレスを着て踊り、良い歌と良い話を聴いて励まされて帰ってくる。
これらを浴びるために、毎月東京近郊まで飛ぶこともあった。光を浴びなくては。
今もまあ照明は好きである。ライブに行けば今年の照明大賞を決めるくらいは。アリーナ規模のレーザーを浴びることが多くなったけど、未だに宝塚の照明には未練がある。
そう、宝塚はもう観ていない。

2020年~

見出しから察することができるだろう。東京に行くどころか、仕事以外で家を出ることすら厳しくなった。医療従事者ゆえ、会社から行動に関しては厳しく言われた。
そもそもライブ・舞台は完全にストップ。そしてこのタイミングでバッサリジャニオタになった。ジャニーズは家から出なくても配信ライブ・YouTube・テレビ等で姿を見ることができた。ステイホーム期は各々凝った面白いコンテンツを出してくれた。
逆に微妙な気持ちになったコンテンツと言えば、「医療従事者やエッセンシャルワーカーに感謝を」みたいな趣旨でトップスター達がただひたすら拍手をしてくれる動画だ。かなりシュールだったし、最前線の医療従事者でもないのでひたすら微妙な顔になった。ジャニオタ一本に絞ろうかな…とトドメを刺した動画、今は見つからないので幻だったのかも。

薬局薬剤師はこの時点では塩素消毒くらいしかしていなかったと思う。皆外出ないから患者も減るし。ただ休みの日に引きこもることが使命。案外真面目なんだ私は。
「ずっと家にいるのだから家を良くしなくては」という思考が後のマンション購入にも繋がっている。
2021年からはこっそり(真面目というより姑息なのだ)県内のライブに行き始めた。ジャニーズ以外のライブもこっそり行った。邦ロックもHIPHOPもいいじゃないか。黙って一人で直行直帰するからライブだけは許してくれ。
そんな中、発熱外来の処方箋がジワジワ増え始める。

2022年~

正直2022年、特に後半がしんどかった。爆発的な陽性者。しかも対応に関して会社のマニュアルはなく、店舗独自で試行錯誤の日々だった。
電話で聞き取りと指導、駐車場で薬とお金(病院が公費のことを理解するまで時間がかかった)の交換。ガウンはすぐ尽きたのでやめた。フェイスガードだけは使いまわしせずギリギリ耐えた。対応後は処方箋とお金等廃棄できないものを全てアルコールにブチ込んだ。これで良かったんだろうか?
店舗の外に何箇所か「陽性者または濃厚接触者は外で対応するからまず電話してくり~」と貼り紙しても、突破されることもしばしば。「入っちゃダメなんですか?」ダメです。
5類になった今は、薬局に入れる。納得いってない。隔離スペースで無防備ゼロ距離の対応だ。
何も言わず激混みの薬局ど真ん中に陽性者が座っていることもある(処方箋だけでは何で発熱しているか分からない)。話を聞けないのか隔離スペースに案内しても薬局内を散歩する奴もいる。
あ~~~~クソクソクソ!!周りにいる乳児、高齢者、がん患者、免疫抑制剤飲んでる患者はどう思う??

それに加えて、ここ数年薬が全っ然入荷されない。毎日入荷日未定のFAXが積もっていく。相次ぐジェネリックメーカーの不正、倉庫の火災、戦争、パンデミック…圧倒的に出荷量が足りない。代替薬もも~提案できねんだ。
「なんで薬ないの?!死ねってこと?」「(お母さんヒス構文?!)ないものはないし、病院に情報提供してるのに無視されてるんだよ~ん;;」
なんか状況も良くなるどころか年々悪化してるし。「ニュース見たよ。大変だね。」って言ってくれる患者、ありがとう。迷惑かけます。

更にそれに加えてマンションを買うなんてややこしいことをやってしまったために、感情が一旦死んだ。明らかに2022年、自分の中で何かスイッチが切り替わった。
別に鬱ってわけじゃないけど。でも2023年、後厄が猛威を振るっているからしょげてはいるかな…。厄払い行ったのに。


ここまでつらつらと愚痴ってきたが、別に慰められたいわけではない。本当にただの愚痴だ。こんなんでも仕事は嫌いではないし、むしろワーカホリックの傾向にある。
そこで冒頭の話に戻る。励まされたくない。応援されたくない。背中を押されたくない。2022年を境に、どんどん他人に干渉されたくなくなってきたんだろうな。励まされないことに居心地の良さを感じてしまう。
そういえば実家に帰る回数も減った。仲の良い友人にも「落ち込んでるように見えることもあるだろうけど、特にそれについては触れなくていいよ」というオーラを出している。本当に励ましてくれないので大好きだ。

他人とはそんな感じで上手く距離を取っているが、別に音楽には励まされてもいいんじゃないか?
……やっぱり清い応援ソングって苦しいんだよな。あれはまず性格良く生きるところから始めないといけない気がして。どう頑張ったって性格はダークサイドに堕ちたままでした。キラキラできませんでした。
だがしかし、今でも聴ける応援ソングはある。泥臭ぇ、反骨精神溢れる曲だ。自分、反骨精神だけはむちゃくちゃあります!
キレてキレまくりながら、完璧に仕事を納めて定時に帰ってやるんだ。仲間内以外の悪口なら我慢しなくていいんじゃないか?ゥチらの"怒り"の結束力半端ねえからな。

こんな感じで生きてきたら、清く正しく美しい曲が聴けなくなってしまった。これが私の2022年問題だ。ひねくれてたり、キレてる曲の方がいい。最近好きになったアーティストは皆どこか攻撃的というか、パンチが効いている。
2022年末に小林私にどハマりし、そこから半年ほど経ったところに「励まさない」「応援しない」「背中を押さない」をぶつけられて、床に頭を打ちつけそうになった。皆こうしてくれたらいいのに。
「落ち込みすぎない」の塩梅も良い。「絶望絶望絶望」と歌われたら「そ…それは具体的に対処すべきだよ…」と引いてしまう。
絶妙な暗さばかりを好んでいたら、小林私のコラムにある「最終的な希望」にはあまり目を向けていなかったことに気付く。盲信、楽観と言い換えられるとちょっと分かるが。
ここらへんは私の「人間は基本的に美しくない(美しかったらこんなに仕事でキレていない)」「今は良い感じに見えるけど、最終的には没落する気がして不安」という、小林とは真逆の思考から来ている気がする。根暗すぎる。

そう、前回記事でオードリー・若林のコラム「大丈夫だよ」に共感できなかった話を、小林私の曲に絡めてしたためておこう。書くって言ったから無理矢理ねじ込む。
若林の話を簡潔にまとめる。

お金がない状況を知り合いのおばさんに話したら、「あんたは大丈夫よ。面白いもの」とエクレアを貰う。壁に投げつけてぐちゃぐちゃになったエクレアを食べながら「ああ、俺は"大丈夫"って誰かに言ってほしかったんだな」ということに気付き、泣く。

これ、ドラマで見て、かなりショッキングな映像だった(知り合いのおばさんは若林のおばあちゃんに、壁は窓になってた気がする)。食べ物を投げて食べるなんて、私には絶対できない行動だ。
この「ああ、俺は"大丈夫"って誰かに言ってほしかったんだな」に対する私の考えはこうだ。

簡単に肯定なんてすんな
大丈夫なわけあるか ずっとそばにいるとか
そんな言葉なんか無責任じゃないのか

共犯/小林私

分かる。分かるけど。根拠のない「大丈夫」って余計不安になるんだよ。大丈夫なわけあるか。てか純粋に「大丈夫って言って欲しかった」という感情だけならエクレアを投げる必要はないのでは?
その後の若林曰く、「本当に大丈夫かの信憑性はどうでもいい。言ったことにより生じる責任を、負おう。」
うーん。ここまで責任感があるなら人を救えるだろうな。私にはそんな覚悟もないし、そこまで人を信じられない。
「今月、在庫金額大丈夫すかね?」「あと1回施設あるし、麻薬の金額引いたら大丈夫じゃないかな」「やった~~」
私を励ますなら、これが一番嬉しい。


少々とっ散らかった。
小林私を好きになってからは、わりと"歌詞ベース"で音楽の話をしてきた。
しかし、実は、私は元々メロディー重視の人間なのである(なにより短調信者だし)。だから正直、ファンクだったりEDMだったりカッケー踊れる曲なら歌詞の内容なんてなくていい。
パーリィ!メィッサムッノーイズ!!ヘイヘイ!!!
よく考えなくても、こういう曲って"歌詞"で励まし、応援し、背中を押す気なんてそこまでないんじゃないかな。
自分を励ますものの中で"人が放つ言葉"の必要性が低くなっただけであって。きっとサウンドやリズムにはまだ励まされてる。別に著しく正の感情が乏しくなったわけではなさそうだ。
「この世からワウペダルとギターソロがなくなればいい……」とか、逆に「小林私の歌詞、暗くてやだ……」なんて思い始めてから心配することにしよう。
まだ大丈夫。自分の"大丈夫"はいくらか信用してやろう。

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