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子育て雑感 #1

長男・陽は3歳半。

子育てを通じて、これまでにもたくさんの気づきや内省があったけど、それらの多くは、時間の経過と共に、記憶として曖昧でごっちゃになったり、思い出として美化されたりする。というか、毎日が目まぐるし過ぎて、ほとんどのことは右から左に忘れていく。
そんな中、いよいよ第二子の出産予定日まで1ヶ月を切り、怒涛の育児が再スタートしようとしている。(そしてなんといっても、何かを始めるにはうってつけな新年!笑)
…ということで、今年は気が向いた時に、子育てを通じて印象に残ったことなどをこの場所にメモとして残していこうと思う。

それって、本当に子どものため?

「育児」とか「子育て」、「躾」といった言葉は、さも「大人が施してあげること」のように聞こえる(気がする)。
けれど、そもそも子どもは年齢に応じてある意味で勝手に育っていく存在な訳であって、子育てとはむしろ、大人が親としての自覚を深めながら成長していく一連のプロセスなのだと思う。

で、その子育てにおいて、「子どもを甘やかし過ぎてはいけない」という約束事は、どんな親でも多少なりとも意識する、いわば社会通念だと思われる。だけど、いや…だからこそ、これが厄介なのだ。

というのも、子どものために「良かれ」と思って行なっているはずのことが、実は自分たち親の都合や事情を押し付けていることがあるかもしれないのだ。毎日ひたすら繰り返される子育てという営みの中にあって、そのことに自覚的でいることはなかなか難しい気がする。

例えば、食事を例に挙げると、「好き嫌いしないで食べようね」「ほら、ごはん中に遊ばないよ〜」「もう食べないなら、ちゃんと『ごちそうさま』って言わなきゃ」…こんなことをしょっちゅう言っている。
はじめのうちは優しい表情や声色を意識していたとしても、一向に食事を終えようとしない息子の様子に徐々に憤りを感じ、最終的にはかなりの形相になっていたりする。きっと、こんなシチュエーションは、多くのパパやママにとってあるあるなハズだ。

確かに、親が言っていることは正論かもしれない。
だが、3歳の息子にとっては、ロジックとして正しいかどうかは決して重要ではない。
彼は「したくないから、しない」のである。とてもシンプルで、とても明快。

ただ、親にもそれなりの事情や都合がある。
「今日は何時に家を出ないといけない」とか「何時までに資料を完成させないといけない」とか「今日は家事を一通り終わらせなきゃ」とかそういった類のやつだ。こうしたアレコレが頭や心の片隅にあると、子どものペースや子どもの気持ちに寄り添うことが困難になりがちだ。
そして、そんな状態に陥った時に、親は「子どもを甘やかし過ぎてはいけない」という社会通念を発動させることで、自分の行動を正当化しやすくなる…という構造が隠れているように感じる。

もしかしたら今日は美味しく感じるかもしれないから、一口だけ試してみよう

長男は、同年代からすると、好き嫌いは少ない方でそれなりに色々と食べるようだけど、例えば(最近は)キノコが入った料理では目ざとくそれをどけて、決して自分からは食べない。
食事を手伝う際に、違う食材でキノコを隠して口へ運ぶと、半分くらいの確率で、そのまま気づかずに食べる。(つまり、半分くらいはバレる。笑)

昨夜は、酢の物が二つあったけど、やはりそれも食べようとしない。
まず、食べるかどうかを彼に聞いてみた。
するとはっきりと「いらない」と言う。
普段はこの時点から、(せっかく作ったのに、とか、また食べず嫌いしてる、といった意識が働き)「なんでも食べないとダメだよ」とか「好き嫌いすると大きくならないよ」みたいな正論がもたげることすらあるが、昨日は変えてみた。

自分「なんで食べないの?」
長男「酸っぱいから」
自分「そうか、そうだよね、酸っぱいよね」
長男「うん」

確かに、酸っぱいよね。
わかる、超わかる。共感。
だけどやっぱり、食べて欲しいから…

自分「もしかしたら、今日はいつもより酸っぱく感じないで、美味しく感じるかもしれないね」
自分「ちょっとだけ食べて試してみない?もし、やっぱり酸っぱかったら、今日は食べなくていいよ」
と、そんな風に話しかけてみた。
すると、長男、食べてみてくれた。
で、やっぱり「酸っぱい」とのこと。笑

自分「じゃあ、今日はもう食べなくていいよ」
自分「また次回、酸っぱく感じるか美味しく感じるか、試してみよう」
そう伝えると、長男、ニッコリしながら「うん」と。

説教くさく諭したり、無理やり食べさせようものなら、食べたくない彼も全身で「嫌」をアピールし、ふてくされたり怒ったりする。それに自分も対抗してしまい、ぶつかり合うだけ。

でも、今日のようなアプローチをすれば、食べた量は一口だけかもしれないけど、自分の意思で口に含み、味わっている。きっとそれが食べ慣れるという経験や「思っていたよりも美味しい」という気づきに繋がっていくだろうし、彼の気持ちがみだりに傷つくこともない。
子どもの機嫌も損なわれず、周囲の大人もハッピーだ。

すごい簡単そうなことだけど、これが、普段、大人社会でロジックが優先されがちな中でせわしなく仕事をしていると、そっちの尺度がすっかり染み付いてしまうので、本当に難しいのだ…。

なんか、書き始めたらいろんなエピソードを盛り込みたくなったけど、今日はこんなところで。

ではまた。

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