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強い祈りの緩和に推し香水

源実朝さんをイメージした香水を選んでもらったのでそのことを書きます。

登場人物:落ち着く
2022年の三谷幸喜による凄すぎ大河『鎌倉殿の13人』によって一年間をめちゃくちゃにされていた、三谷幸喜作品大好き人間。今は三谷幸喜がかつて主催していた劇団東京サンシャインボーイズの30年前の公演の情報を集め続けている。
『鎌倉殿の13人』は三谷幸喜の大河ドラマをリアルタイムで追いかける喜びを感じるという目的で初回から見ていたが、後半に突如現れた源実朝さんという存在に大きく情緒を狂わされ、彼がこの世を去る11月頃には一切リアルタイムでの視聴が不可能となり、毎晩空から降ってきた矢が人々の脳天に突き刺さったり、大勢の人間が刺殺されまくるような悪夢を見ていた。

※このように書いているが、ここで述べる「源実朝さん」という概念は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に端を発してはいるものの、この登場人物そのものを指す言葉ではない。
なぜなら私はこの作品を一切見返せていないし、他人の感想を見ることもできないし(何をどのように表現されても自分の中の感情を傷つけるため)、静止画の姿すら見ることができないので、私の脳内にある「源実朝さん」という存在は、私が半年間何も見ずに祈りを捧げ続けたことにより、おそらく本編とはほとんど別物のような存在になってしまっている。
なので『鎌倉殿の13人』本編の正しい解釈などはここには一切存在せず、ただあまりにも強い感情と祈りを一人の存在に抱き続けた人間の口から迸ったもの、として受け取っていただきたい。


もう推し香水を頼むしかない!

そう思い立ち、深夜に源実朝さんという存在に対する長文を救世主Celesへと送り付けた。本当に申し訳ないと思っているが、こういうサービスをやってくれているので甘えている。

自分は好きになったキャラクターや登場人物に対しては「祈り」の姿勢になることがほとんどのため、「推し」と考えたことはない。
しかしそんなことを言っている場合ではなく、ただこの感情を自分の中で客体化し、発散させる必要があった。
なぜならドラマ本編も写真も他人の感想もファンアートも見られないから。
今までの自分であればこの感情を発散させる手段の一つとして、「祈りの言語化」があり、そのたびにnoteに長文を綴ってきた。しかし今回はそれすらも難しい。なぜなら、言語化した瞬間に泣いちゃうからです。

そこでどこにも発散することのできない感情を酒の勢いで文章に起こし、読み返さずに目をつぶって送信した。本当に申し訳ないと思っている。こんなことをしている人間の意味不明な文章が日夜届いているのだと思う。
その時書いた文章をここに載せることはしない。なぜなら今見返すとこの感情の全てが許せなくなり、自分を殴りたくなってしまうから。
祈りの感情と同時に「彼に対して何も傷つくことのない場所から何等かの感情を抱いて消費する」自分自身に対する強い怒りを抱えており、だから他人の感想も見られないという状態に陥っている。共感と怒りが同時に沸いてしまうため。
しかしそれでは記事にならないので、冒頭と最後に書いた一文のみ掲載します。

「美しい魂を持つ高貴な人」
「強く、美しく、儚い人」

同じことしか言ってなくないですか。これ以外ほとんど何も言っていないようなもの。本当に迷惑な客であった。


そして一週間ほどして香水が届いた。

源実朝「さん」なのは、このように表記することで自分以外の人間が思い浮かべる対象とは別の概念として区別しておく必要があったため


ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


これが来た。

1人1人に価値があるという尊い命へのオマージュを体現する香り。
内なる静寂と、心を満たすやわらかな香りを求める人へ。

嘘……………………………………………………………………………………………


これを選ばれた理由は「平安時代ごろに日本に伝来し、当時の貴族が薫香として使用した高貴な香り」という一文が全てであって、おそらくこの理由で選ばれたのであろう。それはわかる。

わかるが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


源実朝さんという人は、最後は暗殺されることを半ば自ら選び取ってしまうのですが、三谷幸喜さんのこの場面の描き方ってものすごいんですね。
私は源実朝さんには絶対に美しい存在のままであってほしかったのですが、これ自体は本当に最初から最後まできっちりと貫かれていて、彼の死にゆく姿は本当に美しく、儚く、私はそれにかなり救われているんです。
しかしそれと同時に三谷幸喜さんは大河において常に「死」の描き方にこだわっていると感じていて、三谷さんは人の死を「定められたもの」のようには描かないし、「滅びの美学」のような方向には絶対にもっていかないんですね。命を落としてもいい人間なんて一人もいないし、彼らは本来であれば最後までその命を全うしてよかったし、すべきだった。そういう思想を全ての大河の端々から感じるんです。
そういう点が「天命」という言葉の扱い方に現れていると思っていて、源実朝さんは自らの死を天命として受け入れてこの世を去ったものの、その言葉を発したお婆は占い師として信頼のおける存在ではなくなっていたという点、このバランス!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 
夭逝した彼の生涯は儚く美しいもののように人々に語られるが、彼もまた当然のように人間であり、そこに「天命」なんてものはなかった、という、三谷幸喜さんの祈りのようなものが、この場面に感じられました。私には。
しかしこれを源実朝さん自身に自覚させることはなく、外側から見た時の描写で表現し、その上で死に際の姿をあれだけ美しく描いたという、これって、凄すぎる。どのように描いてもどちらかを取るような描き方になってしまうと思う。これを絶妙なバランスで描くのが、三谷幸喜という天才なんですね。


そういうことでこの香水の説明文に完全にやられてしまった。
そう、彼もまた一つの尊い命を持つごく普通の人間で………彼の眠りに内なる静寂と満たされた心があってほしいと毎日願っていて………ありがとう。全てわかりました。

肝心の香りはどうなんだという話だった。

まず最初に爽やかで瑞々しく清純な香りが漂ってきて、それからだんだんと柔らかな甘い香りが広がっていく、ような気がする。香りの表現は難しい。
そこにある説明や香水の名前から想起するものの影響が多分にあるので、全てが実際の感覚かと言われると断言する自信はない。でもそれが楽しいから良いですよね。甘い香りの柔らかな感触はたしかにシルクのようだった。

結果「全てわかった……」という感想にしかならなくなってしまった。だってこの、瑞々しい純粋さと同時に繊細で柔らかな甘さが漂ってくるって、それはもう正解だから。想像していた香りよりもその甘さはずっとロマンチックで、最初に漂ってくる爽やかな香りとの印象の違いに少し驚くものの、それにこそ源実朝さんらしさを感じる。


↑黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「人間」を、一つの香りの中に押し込めるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


自分の感情の迸りと怒りを同時に発散したため、これでプラマイゼロです。この半年間の祈りによる体調不良は少し解消されるかと思われます。ご清聴ありがとうございました。
皆さんも祈りに疲れたら香水に助けを求めてみてはいかかでしょうか?

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