デューイ「哲学の改造」を読む
1. 社会の変化と哲学のあり方
古代の社会においては、人々は情緒的な物語や宗教への信仰を基にして行動していた。
現代の社会においては、実証された科学知識に基づいて人々は行動するようになった。
物語的な世界観と科学的な世界観は矛盾するものである。
宗教への信仰が強い時代、宗教への信仰によって、社会の秩序は保たれていて、社会は安定していた。
ソクラテスは、宗教への信仰を超えた本質的な知識を追求しようとして、
伝統を重視する人々から反発を受けた。
ソクラテスと敵対したソフィスト達は、実践的、世俗的な知識を重視したので、ソクラテスとは対立した。
戦争で考えてみても、現代では、国家への忠誠と戦闘技術のつながりは薄くなっている。
新しい哲学では、国家への忠誠に変わる、人々を行動に駆り立てる本質的な知識を探究しなければならない。
古代の哲学が宗教に対する信仰の正当性をサポートしたように、
現代の社会で行動していくために、役に立つような哲学を作らなければならない。
その時にプラグマティズムの有用性の観点は重要となる。
2.新しい哲学とは
哲学は「現実的でない、物事の本質」を追求するのではなくて、
「より良い社会にするための議論する材料」を与えるべきである。
そのために、哲学は「究極の目的をとらえる」ようなものでなく、
「社会における変化をとらえる」ものでなくてはならない。
ダーウィン的な生物学の世界観で社会や個人を捉える事、それが「哲学の改造」である。
哲学には、経験が行動や信念を導く要素であるという哲学(経験論哲学)と、
(経験ではなく)理性、知性に重点がある哲学(合理論哲学)があるとされる。
経験論哲学と合理論哲学の対立を超えるために環境へ働きかけをを重視する
ダーウィン的な生物学の視点を導入した。
経験がうまく行かなくなった時に理性が発動する。経験と理性は全く別のものではない。
変わらない事を探究するのではなく、変化に重点を置いて探究する。
人間の社会的な経験に重点を置く。
カントは、経験に先立つ考え方の分類(悟性)や理性の限界を主張したが、
デューイは、先験性や理性の限界よりも、実験を重視した。
理性の限界を決める事よりも、経験の多様性の方が重要であるとした。
ロックは経験論的な哲学者とされるが、経験の中で変わらない部分に注目しており、
経験の変化は重視しなかった。
ギリシャ哲学では観想的に変わらない事をとらえようとした。
物事の本質とは変わらない事とするのが、ギリシャ哲学の考え方で、
物事から距離を置いて観る事が重視された。
3. 変化のための哲学としてのプラグマティズム
現代の社会においては、対象を観る事よりも、変化させることに重点がある。
遠くから、俯瞰して対象の本質をとらえることよりも、目的を達成するために、
対象を再構築する事が重要である。
対象に働きかける事によってしか、対象の可能性は明らかにならない。
古典的な哲学では、変わらない本質の追求が理想とされたが、
プラグマティズムでは、現実を変革するのが理想である。
「こういう状態になったら良い」「こういうものがあったら良い」
という考え方を観念と呼ぶ。
観念が新しい可能性を提案し、新たな性質を見出す。
デューイは作品を見る見物人的なあり方よりも、
作品と絡まり合う芸術家的なあり方を提案した。
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