自分と、自分/病気判明、総動脈幹遺残症の記録
親になって感じること。子供がとても可愛い。そりゃそうですよね笑
それが故に自分の子供にはこうあって欲しいと、期待を寄せてしまうのです。
今はこれが苦しい。
今僕と家族に起こっている事を書き記していこうと思う。
それまでの主治医から大学病院へ
八月に出産予定の三人目の娘ですが妊娠中の定期検診で、異常が確認されました。心臓から出るはずの肺動脈が、見えないと。
それまでの健診では、体は標準的なものと比べて少し小さいものの、お腹の中では元気だったので先生からの突然の話に衝撃が走りました。
僕の住む街の地域病院ではこれ以上の事は分からないので、少し離れた場所にある大学病院の専門医を紹介してもらいました。
この時点ではまだ頭のどこかで、何かの間違いである事を願っていました。
大学病院での検診
一週間後、車で一時間余りで予約していた大学病院へ。
大学病院だけあって、だだっ広い迷路を小児科に進み、紹介書を出して、診察へ。
妻だけが部屋に通されて、僕は外で待機。
この時間が長かった。正味、40分ほどだったと思うが、体感としてはもっとあった。
余談ですが、二年ほど前、妻の脳腫瘍の摘出手術を待っていた時間を思い出しました。
あの時も永遠に続くかのような時の重さに胸が潰されそうになったっけな。
あんなに辛い手術を経て、よく三人目を授かったもので僕の妻はとても強く尊敬する人です。母って、凄い存在だな。
妻が部屋から出てきた。そして数分して、診察室の中に二人で呼ばれた。
優しそうな先生から、結果を知らされた。
お子さんの疾病は。。この時点で、ちょっと嫌な感じがした。
胎児なのに、まだこの世に産まれてないのに、この子は既にして「病気」なんだって。
総動脈幹遺残
ソウドウミャクカンイサン、です。
??
すぐに先生が、予め説明のために心臓の絵が書かれたノートに、漢字で記してくれました。
「総動脈幹遺残」
自分と妻が説明を受け、その後も自分たちで調べ理解できた限りの症状を書きます。
指定難病の一つです。
胎児の体が形成される過程で通常、一本の動脈が二つに分かれる。肺動脈と大動脈と。
うちの子は、先天的に動脈が一本の管のまま、分かれていない。
母体にいる時は母からの酸素があるので問題はない。それが産まれた途端、肺への酸素の供給が過剰になり、かなり危険な状態になる可能性が高い。
だから、産まれて間もなく外科手術が必要だと。体の大きさによっては何度かに分けないといけない。
先生からの説明を受けながら、どうも想像していたものより、深刻な状態なのが分かってきた。
とりあえずこの日は次の予約と、セカンドオピニオンを希望する場合の次の病院の情報を貰い、帰宅の途へ。
二人とも、特に母親である妻は、ショックが大きかったです。
まだ目の前に起こっていることが理解できない。
妻のお腹の中では、元気に手足をバタバタさせて、平均よりも小さいかもしれませんが、確かに小さな命がいるのです。
なんで、たった今こんなに元気なのに、産まれてきた途端に苦しみを味合わせないといけないのか。とても受け入れきれない。
苦しみの本質
正直に言えば、もしも他の家の子の話なら、今分かってよかったとか、産まれてきてすぐに対応出来たほうがいいとか、すぐに客観的に考えられたのだろうとも思いました。
受け止めることが、始まりであり、一番の苦しみですね。
僕の中で、この現状と向き合い始めたからこそ、みえたものがあります。親という生き物は子に対して深い愛があり、それと比例して親が思う幸せな人生を自分の子には送って欲しい。そう言うエゴがあるのです。
想像外のことが、自分の子に起こった瞬間、どでかい主観の雲に目が覆われて、悲しみ、苦しみ、悶えるものなのです。
人に話す事で少しづつ
宣告された瞬間から数日は、自分ごとの視点、主観が圧倒していました。
当日は、まさか人に話せるはずもなく、何度か、話そうとしたものの、頭と感情がバラバラで伝えきれなかった。自然と涙がこぼれたりもしていました。
それでも我が家には救いがありました。4歳と2歳の娘がいることです。
無邪気な二人が保育園から帰ると、心が沈む間もなく、時間に追われ、同時に二人の可愛さに心が洗われました。
大丈夫な訳、ないやん
告知があってからの三日間、朝起きた瞬間に思うのは、「これは悪い夢だったらいいのに。」これです。
それでも、誰のもとにも毎日はやってきます。
一日の中で少しづつですが、この事を他人に話すように心掛けました。
前述の妻の脳腫瘍の時の経験が生きました。一人で下を見るのではなく、誰かと一緒に上を見て前に進むのです。
「下を見るから怖くなる。上を見ろ。」
この頃よく見ていた、「映画えんとつ街のプペル」にあったメッセージでもあります。
話すことは、心が受け入れられない状態の中ではかなり精神力を使います。何回も同じ事を話すのはしんどい。聞いては欲しいけど、聞かれたくはない。かなり複雑な心理状態でした。
心が不安定で、例えば、「大丈夫ですよ」って言われるのが辛い時があります。だって、大丈夫じゃないんだもん。そんなふうにどうしても、思えないんだもん。
それでも話して、少しづつ見えたもの
ただそんな事を繰り返すうちに、少しづつ、子どもの生命力を信じてやりたいと思えるようになってきました。
総動脈幹遺残とは指定難病のひとつで一万人に一人と言われています。
ただ僕ら、命はそもそももっと多くの、それこそ何億何兆のうちの一つが巡り合い、宿り、この世に生を受けるのです。
母親の中で元気にバタバタ動いているこの姿こそが、生存競争を勝ち抜いて、生き抜こうとする力そのものなのです。
僕らは生きる為に産まれてきた
この子は自分の人生を生きるために産まれていたんだ。
その為の力は持ってるはずだから、今、妻のお腹の中で成長している。親として、生き抜こうとするその娘に出来る限りのサポートをし、見守ろう。
そんなふうに考えるようになりました。
きっと主観とはまた別の客観の視点が育ち始めたのかもしれません。
だから、産まれてくる前に予めリスクを持っている事を知れた事が幸せに感じるようになりました。出来る限りの備えをしてこの子が生きていけるように環境を整えてやろうと思います。
今となれば、この心構えを作れたので、事前に知ることが出来て良かったと思えます。
大学病院の先生の意見も踏まえて、セカンドオピニオンを取りました。その分、一人の先生の意見だけでなく、何人かのお話を伺うことが出来ました。
その中で、よく最初の街の先生が異変に気づいてくださったと今は感謝の気持ちです。産まれてきてから知ったのより、予め準備できることが幸せなのです。
誰しも一回の人生
考えてみたら、みんなそうだよね。
産まれてきた時点で果てしない確率の中を生き残ったんだよね。辛い事があるのが人生で、苦しみは消えないけど、それでも生き抜いたから今があるんだよね。
この子は自分の人生をスタートさせようとしている。親として、それを応援出来ることを誇りに思う。
仕事がどうだとか、お金がどうだとか、確かに大切なことだけど、全て健康があった上での悩みですね。
今年見た映画の主題歌で、印象的なフレーズがありました。
「汚れながら泳ぐ生の中で、まあよくぞここまで、大事にして抱えてこれましたね」
だから、生きていこうね。
まだまだ下手くそで心のバランス崩しそうになるけど、下向いててもこの子に悪いメッセージになっちゃうよね。
うちに宿ってくれてくれてありがとう。会える日を楽しみにしているよ!
パパもママも不器用なりに一生懸命やっていくからね。
命の崖っぷちを目の前でみせてくれているから、ここにある全ての命が有り難い存在である事を感じます。
今はただ、母子共に生まれてきて欲しい。
了
この病が分かってからの記録を纏めていますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。
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