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【声劇シナリオ】霞の花

内容

◆ラブストーリー│感動│
◆文字数:約3000文字
◆推定時間:20分

登場人物

◆男:知っている
◆女:覚えていない

スタート


0:白い部屋の中。
女: とても暗い、白を見ていました。
男:「起きたかい?」
女:「……なんですか?」
男:「起きていたかい?」
女:「ええ。ずっと前から起きていますよ」
女: 私の景色は変わりませんでした。
女: ぼんやりとした白の中で、ぼんやりとした声が迎えに来ました。
タイトルコール:【霞の花】
男:「いいことだね」
女:「何がですか?」
男:「変わらないことがだよ」
女: その人は近づき腰を下ろしました。私のベッドはずしりと沈みました。
女:「何の用ですか?」
男:「約束があるんだ」
女:「約束?」
男:「そう。約束」
女:「どんな……ものですか?」
男:「足を出してごらん」
女:「どうして?」
男:「君は裸足だろ」
女:「ええ」
男:「隣へおいで。裸足は投げ出した方が気持ちがいいよ」
女:「そうですか? わかりました」
女: 私の返事を待つ前から彼は布団を払いました。私の裸足を捕まえ、ベッドの外へと吊るします。
男:「どうだい?」
女:「何がです?」
男:「変わらないのなら、いいことだね」
女:「いいことですか?」
男:「いいことだよ」
女:「何がいいことなんですか?」
男:「また今度、教えてあげるよ」
女:「わかりました」
女: 彼はぼんやりと微笑みました。
男:「足は気持ちいいかい?」
女:「ええ。涼しいです」
男:「床に着けてごらん」
女:「何をですか?」
男:「足をフローリング……、床に着けるんだ」
女:「届かないです」
女: 彼は私の腰に手を当て、お尻をずらします。その手はとても暖かくて何かに似ています。
男:「どうだい?」
女:「暖かいです」
女:  彼は不思議そうな顔をしました。
男:「足は、冷たくないかい?」
女:「冷たいです」
男:「少し我慢してね」
女:「はい」
男:「……っふ」
女: 彼は私の脇から腕を差し込み、私の体を起こしました。ハグする姿勢になり、それでも私はぼんやりしています。ふらふらと彼は私を輪っかの付いている椅子に座らせました。
男:「ふう」
女:「どうしました」
男:「ん? どうもしないよ」
女:「そうですか」
男:「靴下は履くかい?」
女:「なんですか?」
男:「靴下。足は冷たくない?」
女:「足は、気持ちいいです」
男:「わかったスリッパだけ履こうか」
女:「スリッパ?」
男:「うん。スリッパ」
女:「……」
男:「嫌かい?」
女:「足は、気持ちがいいです」
男:「わかった。今日は裸足で出かけよう」
男: 彼女は何かを感じ取っている。彼女の世界にはまだ残っているものがある。
男: 冷たさや、眩しさや、いくつかの名残が生きている。
男: 彼女の後ろから車椅子を押そうとして、ふと振り返る。
男: 部屋を通る風が、少し窓を揺らした。
男: じっとりと重たい窓を閉めると、淋しい部屋が僅かに静かになった。
0:車、移動中。
女:「雨が降りそうね」
男:「……降りそうだね」
女: 彼の返事を聞いて、部屋の外がぼんやりと暗くなったことに気がつきました。
男:「寒くないかい?」
女:「今日は揺れますね」
男:「車に乗っているからだよ」
女:「車、ですか?」
男:「そう。今は車に乗っているんだ」
女: 彼の声を探すけれども、どこにいるのか見つけられませんでした。
男:「気分は悪くない? 大丈夫?」
女:「ええ。ちゃんと食べました」
男:「前を向いて。顔を見せて」
女: 私は正面を見ます。彼は見つかりませんでしたが、ぼんやりとした目のようなものが、私を見つめていました。
女: 私は怖くなり視線を外に戻します。
男:「飲み物はいらない?」
女:「はい。雨が降ってますから」
男:「ああ……、降ってきたね」
女:「……」
男:「君は雨が好きだったね。今も好きかな?」
女:「なんですか?」
男:「いや……、雨は好きかい?」
女:「雨は、冷たいですね」
男:「そうだね。冷たいね」
女:「なにがですか?」
男:「……少し暗くなってきたね」
女:「雨ですね」
男:「通り雨だろうね、風が強いからすぐに流れるかな」
女: 町の景色に水滴が浮かびます。タン、タン、と音を立てて、やがて滑り落ちていきました。
女:「どこに行くの?」(雨粒に対して)
男:「えッ? ああ。植物園だよ」(反応があって驚く)
女:「え?」
男:「植物園。昔、式をそこで挙げたんだよ」
女:「なんですか?」
男:「結婚式。憶えてない?」
女:「ああ。素敵ですね。めでたいです」
男:「……そうだね。とても綺麗な場所だったんだ。今は大したことないけど」
女:「そうですね。結婚は嬉しいですね」
男:「……少し、休憩にしようか。コンビニでお茶を飲もう」
女:「ええ、そうしましょう」
男: 降り出した雨の音は既に、雲間の光を空に覗かせていた。
男: 暗い地表から見上げる空は眩しくて遠い。
男: 風もある。この微かな夜はすぐに流される。
男: 優しい白が彼女を隠すように包むだろう。
0:コンビニの駐車場。
男:「お茶はどう?」
女:「はい、おいしいです」
女: 私が何かの返事をすると彼はハンカチを私の口元に差し出しました。
女: 柔らかい優しいハンカチ。白地に緑の刺繍が施された些細な彩り。
女: 可愛いと思いました。
男:「どうかしたの?」
女:「なんですか?」
男:「いや…………、これ? ハンカチが気になった?」
女:「可愛いですね」
男:「そうだね。これは綾さんが縫ったんだよ」
女:「可愛いですね」
男:「昔、君が、刺繍したんだよ」
女:「綺麗ですね」
男:「……持ってるかい? はい、落とさないようにね」
女:「ありがとうございます」
男:「……行こうか」
男: 期待があるわけではない。
男: 彼女が何を思い出そうとも、何も得られるものはない。むしろ、今より忘れ続けて、何もない彼女のまま、安らかであることが望ましい。
男: 可哀想なまま、無垢なまま、
男: ぼんやりと白いだけの世界で
男: 彼女は消えるべきなのだろう。
0:少し古くなった植物園。
男:「さあ、着いたよ」
女: 彼は私に何かを言っていました。
女: ぼんやりと白い言葉を落としていきます。
女:「なんですか?」
男:「着いたんだ。ここが目的地。植物園だよ」
女:「綺麗ですね」
男:「花なんてないだろう」
女:「ええ。綺麗です」
男:「そう、よかったよ。そこで式を挙げたんだ。見えるかい?」
女:「なにがですか?」
男:「手を出して」
女: 彼は私の膝の上に紙を……写真を置きました。ぼんやりと霞掛かった。しかし、懐かしい写真。
男:「思い出せないかな?」
女:「思い出せません」
男:「そうか。まあ、(仕方ないよ)」
女:「(遮って)貴方は誰ですか?」
男:「…………」
女:「貴方は、誰なんですか?」
男:彼女の膝元に光が落ちた。彩度は広がり輪郭をなぞり、今を浮かび上がらせる。
男:彼女はそれを見つけている。真実として、共にあるものとして。彼女自身の中にあるものとして。
男:そして、彼女の思いとして、言葉を投げていた。
男:「……写真を、見てご覧。君と僕が(並んで写っているだろう)」
女:「(遮って)違います」
男:「……ッ」
男: 間違いなかった。白色が揺らいだ幻想ではなく、本物の彼女の思いだった。
女:「彼は、貴方ではありません」
男:「思い出したんですか?」
女:「……いいえ。でも、彼は、貴方では、ありません……」
男:「……ええ……。僕は、彼の甥です」
女:「……彼はどこにいますか?」
男:「もう、いません。亡くなりました。何年も前のことです」
女:「そう、ですか」
男:「貴女と同じで、体は強くなかったですから」
女:「そうなのですね」
男:「すいません。思い出させてしまって……」
女:「いいえ。良かったです」
男:「良くなんかない。貴女が悲しむだけだった。彼との約束でしたけど、やはりやめておくべきでした……」
女:「そんなことありません。思い出せたから、良かったの」
男:「……」
女:「正直、思い出のほとんどが思い出せません。でも、私の過去に、彼がいたことは、ずっと彼がいたことは感じられます」
男:「……はい。間違いなくずっといました」
女:「……良かった……。私、彼にずっとこんな悲しい思いをさせていたのね。こんなに苦しいことを耐えさせていたのね」
男:「……」
女:「私、今までずっと幸せでした。知らないままで幸せでした」
男:「はい……」
女:「良かった。最期に、彼の気持ちを、知ることができて、本当に良かった」
男: 翌朝、彼女は亡くなった。
男: 白の世界に生まれ落ちた彼女は、穢れを知らぬまま純粋に生きてきた。
男: 無垢に、ぼんやりと、優しい霞の中で暮らしてきた。
男: そして、美しい一つの傷だけを抱えて、この世を去った。
男:
0:了。

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