いつになったら英語が話せるようになったといえるのか
こんにちは、大手町くずろうです。
今日は、「いつになったら英語が話せるようになったといえるのか」について考えてみたい。
個人的に、外国人と会話を持つことは緊張を伴う。この緊張は一体なんなのだろうと、友人に相談してみたところ、随分とスッキリする回答が得られた。
コミュニケーションに求める期待値が違う
日本人と欧米人ではコミュニケーションに求める期待値が異なる。日本人のコミュニケーションは、聞き手に責任があるコミュニケーションであり、欧米人のコミュニケーションは話し手に責任があるコミュニケーションである。
聞き手に責任があるから、日本人は、わけのわからない話をされても、一回でその内容を理解していないとならないという、ものすごいプレッシャーを聞き手が背負ってコミュニケーションをしている。
ただ、一回でその内容を理解することは難しいので、とりあえず、わかったふりをするようになる。半分くらいはよくわかってなくてもとりあえずやり過ごし、あとでその内容をネットで調べたり、人に聞いたりして、「ああ、なるほど、ようやくわかった。そういうことを言っていたのか。」と理解する。その場で、質問をすると、頭が悪いと思われる、みたいな感覚があるので、このようなコミュニケーションスタイルになる。
これ、英会話でも同じではなかろうか。欧米人がベラベラとしゃべってくれてはいるが、本当のところ、あんまり理解できていない。だけど、理解できていないのについうなずいてしまう。わかったふりをしてしまう。もはや癖だ。
100%わからない場合は、そうでもないかもしれないが、なんとなく50%くらいはわかるという状態であれば、一旦は、ギブアップせずになんとか理解しなければと聞き続ける。
しかし、50%くらいはなんとかわかっていたような気はしていたが、次第に40%になり、30%になり、20%になり、ついにはもう何の話をしているのか理解できていない。笑うしかない。「あはは。」と、こういった感じではなかろうか。
そして、その日の夜に思うことは、「もっとリスニング能力や単語力を向上しなければ・・・」みたいな感じだ。果てしない。終わりなき旅。
ベラベラと話させない
欧米人はおそらくこちらがわかっていると思って、ベラベラと話してくる。だから、英語を話すという上では、単語とか文法とか以前に、途中で会話を止める、というスキルが超重要だ。話の内容がわからない責任は、日本人のあなたにはない。理解できない責任は、話し手の欧米人にある。ゆえに、会話の途中で如何に上手く会話を止めて、何を話しているのかを丁寧に確認し、認識を合わせていく、という訓練がなによりも重要な気がする。
そんなことしていたら、一向に会話が進まないのではないか、と思うかもしれない。が、しかし、どうやら、それでもいいらしい。もし、相手が話していることがわからなければ、その場で会話をとめて、ベラベラと気持ちよく話させてしまう前に、とにかく何を話しているのかを確認することだ。この行為は失礼ではない。「私はあなたの話を聞く意思があります」ということを相手に伝えていることになる。逆に、喜ばれる。
あれ?
もしかしたら、日本人の生産性が低い理由のひとつは、これなんじゃないか? そもそも日本語はあいまいなものの言い方をするので、ちゃんと理解できていたとしても相互理解は完璧ではなさそう。
しかも、その場で質問や確認をすれば理解が深まったろうものも、この場で聞くのは失礼かもしれないから後でネットで調べたり、人に聞いたりしよう、となんとなくやり過ごす。
で、結果、あとで調査するならばまだしも、まあ、いいか、ってことにしてしまう。浅い理解が、認識相違を生む。そして、認識相違は、それなりに大きな問題を引き起こし、その問題解決にはそれなりの時間を要することとなる。おまけに、話し手は責任を感じないため、話し手がわかりやすく伝えるスキルを向上させるという機会は少ない。
時を戻そう。
私もあなたもきっと英語は話せる。ただ、コミュニケーションのやり方を教えてもらってこなかっただけなのだ。
以上、大手町くずろうでした。
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