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生きることは無目的で非合理的だ

先週、万博記念公園の太陽の塔へ足を運んだ際、太陽の塔の製作者?(作った人)である岡本太郎氏の”作品に込めた想い”を目にし、彼についてもっと知りたくなった。

太陽の塔の塔内にあるお土産コーナーを物色。

目にした本の強烈なタイトルが頭から離れず、すぐさまKindleで購入。読破まで合計約2時間弱とのめり込んでしまった。

そして、文字を眺めているだけなのに心が動いた。



「自分の中に毒を持て-あなたは"常識人間"を捨てられるか-」
これがタイトル。

自分にとことん甘く、就活などでは一丁前に「皆が思う当たり前に対して、Whyを問いかける事ができます」なんてアピールしていたものの、自分は誰がどう見ても常識人間である。

そんな自分だからか、この本を目にした時、ドキッとした。

自分がどのようにこの本を解釈したかと言うと、この一言に尽きる。

「生きるとは」について述べられた1冊


 エコノミクスアニマル(経済を回す事だけに尽力してしまっている人間)となってしまっている自分達。何をするにも、"効率"であったり、"生産性"を重視してしまう。

そして、常識という暗黙の全体主義とも言える枠組みが存在し、身動きが取りにくくなる。

そんな状況に気づいていないわけではない。寧ろ皆気付いている。けど結局大切なのは自分、一番可愛いのは自分。
どう言うことかと言うと、

人々は運命に対して惰性的であることに安心している。つまり世間に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われている。

そんな風潮がある中、岡本氏は敢えて自分自身が”出る釘” となる人生を選択して来た。いや、出る釘であり続ける事が彼にとっての「生きる」であり、人生を賭けるという事であった。

多くの人は岡本氏が述べることを理解できる。ただ行動には移せない。

彼が偉人として讃えらえる所以は至ってシンプルと感じた。


そして、この本は自分を認めてくれている気がした。

下記3つの文章が、未熟な自分が、今まで言葉にできなかった考えや気持ち、不安を代弁してくれているように感じたからだ。

折角だから省略せずにそのまま抜粋したい。

1つ目はこの部分である。

持って生まれた性格は、たとえ不便でもかけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。内向性の性格は悪いことだと思っているから、ますます内向的になってしまう。強くなろうと思えば思うほど、余計コンプレックスを持つだろう。また、もともと大人しい性格なのだから、急に強くなるわけもないし、強くなろうと力めば、わざとらしい振る舞いになって、かえって周囲の失笑をかう事になる。だからそんなことをすれば逆効果になる。それよりも自分は気が弱い、怒れない人間だとむしろ腹を決めてしまう方がゆったりして、人からその存在が逆に重く見えてくるかもしれない。もっと極端なことを言えば、強くならないでいいんだって思って、ありのままの姿勢を貫いていけばそれが強さになると思う。
本当に自分のあり方を外に突き出していない、だから裏目が出てきてしまう。自分でもそれを感じるだろうし空いても裏目を感じて深く付き合おうという気にならない。つまり、自分を大事にしすぎているから、色々と思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら今度から好かれなくていいと決心して自分を投げ出してしまうのだ。

島国であり、同質化に囚われた自分達が無意識に作り出した暗黙の枠組みとやらが、社会と自分達を苦しめ、支配している今日の日本で、ありのままの自分を受け入れる ことの難易度の高さは想像以上だと思う。
ありのままの自分でいると、異質な存在になってしまうのではないか、少なくとも自分にはそう感じる。

そしてその不安が、自分達を個性のない無機質な同質人間への道を加速させている。

誰もが上記の岡本氏のような思考ではいられない。

しかし、就職活動の自己分析で「本当の自分を晒し出さなきゃ」と口酸っぱく言われても出せなかった、また「本当の自分」に気がつけない、一番最悪な企業や面接官に似合わせた虚構の自分を「本当の自分」として取り繕っていた自分にとって、この文章は心強く、言語化できない説得力があった。

傷ついていたり、悩まされていた訳ではないが、
「おってぃーって、理屈っぽい」
「彼女を口説く時も論理的に話してそうw」
と、よく言われる。 

間違いではないが、同時にポジティブな言葉ではないのだろうと感じていた。
(そう言った人達は何も悪くない、事実だから)

けどそんな自分でいいと思えた。


2つ目はこの文章。

結婚というのは形式であり、世の中の約束事。本当の出会いは約束事じゃない。例えば極端なことを言えば、恋愛というものさえ超えたモノ。つまり自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いだ。

人が人としての生きる喜びを味わうために欠かせない人生のイベントに結婚や恋愛がある。

今の彼女に強く惹かれる理由を簡単に述べると

今の自分に持ってないものを持っているから であった。

この文章を読んで、これをより具体化する事ができた。

長くなるので簡潔に述べると

自分が持ち合わせていない内面を持っていて、「自分にとっての理想像は今の彼女のような人である」という事実に気づく事ができ、今の彼女といれば自然とそうなれると思えるようになったから

だから強く惹かれるし、まだ22歳であるにも関わらず、結婚を意識してるのだと思った。

恥ずかしくて人にこんな事を言った事ないが、今の彼女との出会いは本当に運命的であったと思う。

奇跡で巡り合えた!とかではない。
恋愛を通して、こんなに恋愛に対して前向きになり、人として自分が一回りも、二回りも大人になることができているからだ。
そう思える出会いだから、運命的なのだ。


最後3つ目はこれ。

美しいとは些か無条件で絶対的なモノである。見て楽しいとか、体裁がいいというようなことはむしろ全部無視して、ひたすら生命が開き高揚したときに美しいという感動が起こるのだ。

海外旅行が好きな自分だが、その理由の1つに、”とにかくすごい建物”があった。

日本じゃ味わえない非日常空間で出会う、とにかくすごい建築物たち。

何がすごいの?なんですごいの?と、自分の思考に対して理由を求めたがる自分だからこそ、この問いの答えを言語化できないことにストレスを感じることもあった。特に就活中(笑)

とにかく凄い。世界史で習った、教科書の世界が目の前に広がっている。しかも教科書とは比べ物にならないスケールで。そして、世界中から多くの人がそれらを見に来ている。

この時、自分という生命が高揚していたんだと気づかされた。

理由なんてなくてもよかった。

自分のあの感動は、生きていると言うことだった。

幼稚園、小学校から常に順位をつけたがる競争教育(勝手に命名)の副産物なのか、我々日本人は、


競う能力の向上に比べ、感じる能力の向上にあまりにも無関心であると思う。

1番になる、あいつよりいい点数をとる、あいつより充実してる。

けど、大切なのは、自分自身から湧き出る絶対的な感情。

もはや理由なんていらない。

「今までで1番感動したことは?」

就職活動をする時に、自己分析を手伝ってくれるメンターの人に聞かれて、こう答えた。

「カナダで、数ヶ月前まで他人だった(俺の黄金台詞)友人が車で1時間くらいの田舎の中のドがつく田舎に連れてってくれて、日本じゃ絶対見れないような、とにかくすごい、言葉にできない凄さの星空、天の川を見せてくれた時、感動しました。」

メンターの人は、こう返してきた。
「へー、いいやん、けどそんなことじゃなくてもっとあるやろ」

この本を読み終えて思った。自分は間違っていなかった。寧ろ自分のあの感情、言葉にできず、ただ凄いとしか言えないあの景色、

自分の中から生まれた絶対的な、素晴らしいという感情であり、まさに生きるということを感じていた。

資本主義の中で合理的に生きていくことが間違いと言うつもりは全くない。自分もその恩恵を大いに受けているし、考え方は人それぞれだから。

ただ合理性だけを求めすぎるとどうなるのか。

岡本氏が述べる「生きる」と、現代の多くの人にとっての「生きる」

両極端に位置する『生きる』だが、本当に自分が求めていたものは、岡本氏の側にあったのかもしれない。


読み終わってすぐさまNoteを開き、ガムシャラに文字を書き連ねていたが、ふと我に帰った。何書いてるんだ自分(笑)

けど、上述の通り、この本は自分の背中をポンっと押してくれた、そう思える言葉が綴られていた。



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