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入学式

ついに自分達の夢が叶った。


カフェのロゴも、お店の内装も、メニューも全部、自分の大切な友達と一緒に作り出した。

自分達の居場所を作りたい。

理由は単純明快だった。


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学生の頃に経験したかけがえのない思い出の数々は、何ものにも代え難い大切な宝物として心に残る。

それは、それらの経験が、一般的に”学生時代にしか経験できないもの”として人々に認識されているからだと思う。

自分は、

「大人になったから、もう学生ではないから、昔みたいに皆で集まることはできなくなったね」

そんな大人になるのは絶対に嫌だった。

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暇さえさればとにかく集まっていた学生時代とは対照的に、自分達は、皆で集まる機会が減ってきた。仲が悪いとかそういう話ではない。ただ単に、働く場所と時間がそれぞれ違うという理由を元に自然とそうなってしまっていた。

繰り返しになるが、皆と同じ時間を共有できなくなるのは絶対に嫌だと、心の中だけでなく、何度も口に出して言い続けていた。が、基本的に土日以外に自由な時間は確保できない学生時代の理想とはかけ離れた現実を目の当たりにし、なりたくない大人像に近づく自分自身に対して打ちひしがれていた。(特定の大人を揶揄しているのではなく、自分の理想とかけ離れた現実にショックを受けていたという意味)


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確かあれは5年前、東京の夜道を散歩しているときだった。

「一緒に何かはじめたくね?」

同期が話す、起業の夢。大学の友人と一緒に事業創造を行いたいとのことだった。

自分はすぐに影響を受けた。



その日の夜、なんとなく電話をかけて、なんとなくその話を友人に伝えた。


急に伝えた漠然とした目標であったが、友人も似たようなことを考えていたらしく、すぐに意気投合した。

自分がやりたいと思ったことに賛同してくれたことと、同じようなことを考えていたという事実が嬉しくて、薄暗い商店街を歩く自分はとんでもない位ニヤニヤしていて、その顔は変質者のそれと同じレベルだったと思う。

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とある日、夢を見た。

カフェをオープンする際、「入学式」という名前で人を集めるというものだ。

入学式に参列する友人たちは皆笑顔だった。自分達の幸せのためにつくったカフェに訪れ、周りの友人らも笑顔になっていく。

そんな姿に、今までの努力は無駄じゃなかったんだと涙を流す、カフェの創設メンバーたち。夢の中まで暑苦しい自分の脳みそは、人生で一番充実している。


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自分は、大学4年生の夏、虚無主義、所謂ニヒリズム的思考に脳内を侵略されていた。


就活が終わり、時間を持て余しすぎたこと、物事を深く考えすぎてしまう自分の性格が相まった故に起きたことだった。

ちなみに、ニヒリズムをWikipediaで調べると、
「人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値がないと主張する哲学的な立場のこと」とでてくる。


要するに、どうせ死ぬのに、なんで頑張って仕事したり、頑張って勉強したりするのか?と自分のすべての行動に対して自暴自棄になっていた。


当時の自分に言ってあげたい。そんなに考えなくても良いよ、と。

自分のすぐ周りに幸せは転がっていたのだ。いや、幸せは自分と自分の信頼できる仲間さえいれば、簡単に作り出せるのだ。


絶対にカフェはオープンするけど、失敗に終わったって構わない。夢に向かってこんなにもワクワクして、こんなにも前向きになっている。

その事実だけでも嬉しいし十分幸せだ。彼らの存在が自分にとっての生きる意味だ。


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別に起業がしたいわけでもなければお金儲けもしたいわけでもない。

ただ、学生時代の青春を過去の思い出にしたくないだけだ。

自分の幸せをとことん追求したいのだ。


自分に影響を与えてくれた周りの友人達と同じように、今度は自分がカフェを作って、誰かに勇気を与えたいなーーーーー





そして、数年後、記念すべき開店祝いの日に、皆の前でこのnoteを読み上げたいなー

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