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現実に存在したとは思えないほど尊い記憶の集積「ボクたちはみんな大人になれなかった」

読んだ小説: ボクたちはみんな大人になれなかった 燃え殻

あらすじ

美術制作の会社に勤める主人公の半生が、過去と現在を行き来しながら語られる。著者の自伝的小説。

感想

 エッセイが良かったので期待が高まっていた。読んでみると、エッセイと被る部分が少なからずある。自伝的小説というのは本当のようだ。
 まず主人公が「自分よりも好きになってしまった」という彼女が素晴らしい感性と知性の持ち主で、そんな女性と出会えた著者が羨ましいことこの上ない。けれど、そんな彼女が「きみはおもしろい」と言うのだから、著者も当時から才能を感じさせる人だったのだろう。彼女の真似したくなるデートがこちら。

彼女のこの思いつき旅行に、ボクは季節の変わり目ごとに付き合わされることにな る。彼女の中で南はバカンス、北は駆け落ちということになっていた。その日の気分で駅を決め、降りた街を散策し、知らない公園でブランコに乗ってぼんやりしたり、 初めて入る古本屋で立ち読みをしたりした。店構えがいいラーメン屋を見つけてはふたりでよく食べた。美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。

 彼女は人生を楽しむ術を心得ている。エッセイで著者がゲリラ旅行を敢行する話がいくつかあるが、それは彼女の影響だろうか。「南はバカンス、北は駆け落ち」という言葉も出てきていたので、そうかもしれない。
 最後の一文がぐさりと刺さる。両手で優しく包み込めるような幸せがこのときの主人公にはあったのだ。

 「遠くに逃亡したい」と願っていた主人公の次の語りは、相応の年を重ね、過去を振り返ってはじめてわかることなのかもしれない。

今なら分かる。霞のかかった目的地は、いつまでも霞がかかったままだと。あの頃は行き先も分からない自分の人生を楽しむ余裕がなく、ただただ逃げたかったのだと思う。今思えば、それはきっと「眠れなかった」と言っていた彼女も一緒だったんだろうけど。

 社会人になってからが人生本番くらいに思っていたけれど、実際は色んなものに縛られて日々を楽しむ余裕もない。本という広い広い精神世界に逃げ込んで、身動きできないでいる。そんな時、どうせいつまでたっても霞は消えないのだから、今を楽しもうという気持ちにさせてくれる。
 そして、未来の主人公のかわりに、彼女はこう言葉をかける。

「宮沢賢治は死ぬまで遠くに行ったことなんてなかったんだよ」
 この日初めて、いつものやりとりの先に彼女が続けた。
「宮沢賢治?」 ボクがそう言うと彼女は腰を浮かして、後ろポケットから文庫本を一冊取り出した。
「病気だった妹を想って、この本を書いたんじゃないかな」
 ボクは彼女の体温の残った『銀河鉄道の夜』を無言でペラペラとめくる。「賢治はずっと東北の田舎町で人生の大半を過ごしたのに、銀河まで旅したんだよ」 車窓から差し込んでくる朝の光に目を細めた彼女が、カーテンを半分閉めながら言う。「きっと、妹を一緒に連れて行ってあげたかったんじゃないかな」そしてボクの目を見てこう続けた。「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかなんだよ」

 彼女は若くして生きることをわかっているのだ。作家の想いに寄り添い、その意図を汲み、大切なことを理解することができるのだ。

 彼女以外にも、ドラマや映画にしか存在しないような驚くべき人物、エピソードが登場する。例えば、彼女と別れてから出会った女性 スーはとてもロマンチストだ。彼女は主人公に、電報が高価だった時代に、妻が送った短い愛の言葉の話をする。その言葉はその場では明かされなかったが、スーが主人公の前から去ってしまったあとで、彼はその言葉を知ることとなる。

「1957年、日本初の南極観測隊が南極に近づいていました。当時、電報は高級なものでした。そこで南極に向かう夫に向かって、妻は短い電報を送りました。う~ん、ロマンチックですね」あの時の少し酔い過ぎて顔を赤らめたスーの表情が頭をよぎり、玄関の扉が閉まる寸前の、背を向けたまま手を振る姿が浮かんだ。「そして、その妻はたった3文字の電報に愛のすべてを託したのです。そう、たった3文字で愛を伝えたのです。『アナタ』と」 関口は、器用にタバコの煙をほんの少しだけ開けた窓の隙間から吐き出している。 あの朝、スーが伝えたかった意味を、ボクは時差を持ってカーラジオ越しに受け取った。儚いプラネタリウムのような天井を眺めていたボクが、ワゴン車のバックミラ ーに映った。スーは、もう二度とボクに会うつもりはなかったんだ。本当はとっくに分かっていた現実を、初めてボクは飲み込んだ。

 スーと最後にあった日、彼女は主人公に答えを、三文字の愛の言葉を伝えていたのだ。こんなふうに答え合わせができてしまうことってあるだろうか?しかし著者はエッセイで、友人のその後を雑誌で知ったという話もしていたので、そういう体質なのかもしれない。
 他にも、小学生の頃にいじめられ、びりびりに破かれていた主人公の教科書を修復してくれた女性が登場する。女性は教科書に気付いても何も言わず、配達の手伝いをしている主人公にただ、荷物置いていったら?と言う。そして翌日教科書を取り出すと、丁寧にテープが貼られているのだ。走って女性の元へ行っても、もうそこには彼女はいない。こういう無言の優しさに触れた経験が、著者に大きな影響を与えているように思う。ふとした言葉が、押しつけがましくない優しさをもっているから。


 長年一緒に働いた同僚 関口との会話は、こんな言葉を映画の中以外で発する人間がいるんだなあと嬉しくなってしまう。一応小説なので、フィクションの部分なのかもしれないけれど。若いころから関口は愛すべき人間として描かれている。著者は本当に人との縁に恵まれていたようだ。

「あのさ、知ってる?国会図書館には日本の出版物が全部あるんだ。 文芸誌から漫画にポルノ雑誌まで全部」「お前、本なんて読まねえだろ」 ボクのツッコミをスルーして関口は続ける。「俺たちがあと50年生きるとして、1日に1冊ずつ読んだところで読み切れない量の出版物がすでにもう保管されてるんだ。そして一方では世界の人口は70億を超えて今日も増え続けてる。俺たちがあと50年生きるとして、人類ひとりひとりに挨拶する時間も残ってない。今日会えたことは奇跡だと思わない?」そうだ、関口がこういう奴だったから、ボクは今日まで同じ場所に居続けることができたんだ。


メモ
中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』

総括
人間に希望を見出せる作品でした。

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