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東京裁判 前編


今回は東京裁判について書こうと思う。
東京裁判と言うとアメリカなどの連合国が日本の戦争犯罪人を裁いた裁判、と言ってしまえばそれまでなのだが、詳しく調べてみると非常に奥深い。



1.戦争犯罪人の選定

マッカーサーは厚木飛行場に降り立った日、戦争犯罪人の選定を命じた。
だが、戦争犯罪人探しは難航した。GHQは日本の情勢をわかっていなかったからだ。
その後、大東亜戦争開戦時の内閣、東條内閣の大臣たちを逮捕すればいいと思い、内閣総理大臣兼陸軍大臣、東條英機の逮捕を命じると、東條は自宅で胸を銃で撃ち自殺を図ろうとしたが連合国軍に治療を施され、失敗に終わった。その後は(東條内閣の)海軍大臣嶋田繁太郎、外務大臣東郷茂徳と逮捕劇は続いた。
連合国の戦争犯罪人逮捕はこれだけに留まらなかった。
第二次戦犯指名、主要な大臣や軍上層部などが逮捕された。
皇道派のリーダー格荒木貞夫、真崎甚三郎
外務省の親独派松岡洋右、白鳥敏夫などだ。
さらに逮捕者は増えた。
第三次戦犯指名だ。これは戦時中の軍官民の有力指導者を網羅するもので日本人には検討のつきようがなかった。
ここで内閣総理大臣の平沼騏一郎、広田弘毅や
民間人の大川周明、進藤一馬、笹川良一なども逮捕された。
第四次戦犯指名、ここにきて東久邇宮内閣の大臣であった近衛文麿(12月16日に自殺)、緒方竹虎、重光葵が逮捕された。

この戦争犯罪人選定の問題点は戦争犯罪人の管轄を満州事変〜終戦までにしてしまったことである。例えば橋本欣五郎。橋本は三月事件や十月事件などのクーデターを起こそうとした人物だ。橋本はその後、大佐で予備役に追い込まれており全く大東亜戦争と関係なかった。大東亜戦争は支那事変や満州事変とは別で区別すべきであったと思う。中国が自国の法廷でBC級などの戦争犯罪者を裁く分にはいいが、連合国全体の東京裁判では不当である。

2.開廷

ついに東京裁判が開廷する。
裁判長はオーストラリアのウィリアム・ウェッブ、マッカーサーから信頼されている人物であった。主席検察官はジョゼフ・キーナンだった。裁判が始まると罪状認否に移る。「Guilty or Not Guilty(有罪か無罪か)」と言う問いに被告人全員が無罪と答えたのだが、松岡洋右は流暢な英語で「I plead not guilty on all and every account」と答えた。この日の裁判で一際注目を集めたのは起訴されたA級戦犯の中で唯一の民間人である大川周明、急に席を立ち上がったり、東條の頭を叩いたりで、退廷となった。

3.松井石根と広田弘毅

軍人と外交官、この人物の共通点とは何か。
どちらも南京事件の戦争責任を取らさせられた人物たちだ。
なぜ取らさせられたと言ったかというと、私はこの人物達の(南京事件関しての)戦争責任はないと考えているからだ。特に広田弘毅、広田は南京事件時の外務大臣、なぜ責任を問うのか。外務大臣としての警告義務を怠ったと。しかし広田は警告をしている。そもそもこの頃の外務大臣にはこれを止める権限がないのに、それを日本に関しての知識がなかった検察は知らず起訴したのだ。勝手に欧米の常識(欧米は軍人が文官をコントロールするのが普通)に当てはめ死刑になった広田弘毅は被害者とも言える。
次は松井石根、松井は中支派遣軍総司令官として南京を攻略した人物である。
松井も南京事件は組織的な虐殺ではないため、無関係と考えられる。
終戦後に初めて虐殺事件の話を聞いたほどである(諸説あり)。
彼のことはまた記事にする予定である。

                            次回に続く


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