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"We Are The World"制作舞台裏の真実を紹介する件

USA for Africa "We Are The World"

洋楽に詳しくないかたでも一度は耳にしたことがある名曲中の名曲。
1985年リリースされたアフリカ飢餓救済チャリティーソングです。

この曲が作られた舞台裏を、当事者の最新インタビューを交えて当時の熱量そのままにまとめられたNetflixドキュメンタリー作品『ポップスが最高に輝いた夜』
これが最高に面白かったのでご紹介したいと思います。

この曲の制作過程で起こった様々なエピソードは既にご存知のかたも多いかと思いますが、「曲は知っているけど…」というかたに向けて、このnoteをきっかけに興味関心を持つ方が一人でも増え、改めてこの曲が少しでも多く再生されたら良いなと思います。

その一回の再生が地球上の大きな問題のひとつとして今なお続くアフリカ飢餓救済の支援になるので。


はじまり

この作品、冒頭こんなナレーションから幕があけます。

一流アーティストたちが一同に会した

エゴの強さと才能はピカイチ

目的は飢餓救済

与えられた時間は、たった一晩

まさに混乱の極み、創造性に富んだアーティストたちを一つのチームにまとめるんだから

これは歴史的な瞬間だった

ロック界のレジェンド
一流のスーパースター
個性的な若手の歌手

音楽界を彩るスターたちの共演です

「THE GREATEST NIGHT IN POP - ポップスが最高に輝いた夜」

いいですね!
期待感を大いにあおってくれるイントロです。

観終えての感想

早速ですが、観終えた率直な感想…

とんでもないドタバタ劇だった笑

80年代US音楽シーンをリアルタイムで通過していない自分でも良く知っている顔ぶれ。

そんな名だたるスターたちが集ってのチャリティーソングだから、それこそプロジェクトの立ち上げからリリースまで、そうとう綿密な計画のもと作られた曲だとばかり思っていましたが、、、
内実は”超突貫”で生まれたことをこのドキュメントで初めて知りました。

・曲が出来上がったのはレコーディングの8日前!
・レコーディングはたったの1晩!

そんな舞台裏のドタバタが個人的にかなり新鮮に感じたととも、裏方さんたちには、とんでもないプレッシャーだったんじゃないかと...

参加アーティストは自己顕示欲の塊、クセ強い個性派揃い。
しかも何が行われるかも知らされず集められた人もいたという笑

起こった出来事、数え上げればキリないですが、特に印象的だったエピソードをピックアップしてご紹介していきたいと思います。

その前に、改めて紹介するほどではないアーティストを含めて、本作品の主要登場人物紹介をば。

主な登場人物

ケン・クレーゲン

  • アメリカエンタメ界の大物マネージャー、プロデューサー

  • このプロジェクトの全体統括

  • レオナルド・ディカプリオやジョージ・クルーニーなど、多くの有名人のマネージメントも手がける

  • さまざまな社会貢献活動やチャリティー活動に関与し、エンターテイメントと社会貢献を結びつけるブリッジ役として名を馳せた人物


ハリー・べラフォンテ

  • アメリカの歌手、俳優、人権活動家

  • このプロジェクトの発起人

  • 1950年代から1960年代にかけてのカリプソ音楽の代表的な歌手として知られ、代表曲に「Banana Boat Song (Day-O)」などがある

  • アフリカ系アメリカ人としての公民権運動への支持と参加、人種差別や社会的不平等の撤廃を訴える活動で有名


クインシー・ジョーンズ

  • アメリカの音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、トランペット奏者

  • このプロジェクトの現場監督

  • グラミー賞を多数受賞し、作曲、編曲、プロデュースの分野で多大な影響力を持つ

  • マイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」や「Bad」のプロデュースを手がけ、世界最高のセールスを記録

  • アフリカ音楽の普及と発展にも尽力し、グローバルな視点で音楽産業を支えた人物

参加アーティスト(ソロパート歌った順)


ライオネル・リッチー
コモドアーズのリードシンガーとして成功を収め、ソロデビュー後も多数のヒット曲を生み出し、グラミー賞を複数回受賞
代表曲:「Hello」,「All Night Long (All Night)」,「Endless Love」

スティーヴィー・ワンダー
30以上のアルバムをリリースし、100以上の賞を受賞。ソングライターとしての才能と、独自の音楽性でソウル、R&B、ポップの境界を越える
代表曲:「Superstition」,「Sir Duke」,「I Just Called to Say I Love You」

ポール・サイモン
サイモン&ガーファンクルのメンバーとして「Bridge Over Troubled Water」などのヒット曲を生み出す。ソロ活動では「Graceland」でグラミー賞を受賞し、ソングライターとしての才能を証明
代表曲:「50 Ways to Leave Your Lover」,「Graceland」,「You Can Call Me Al」

ケニー・ロジャース
カントリーミュージックのレジェンドとして多数のヒット曲をリリース。音楽以外にも俳優としても活躍
代表曲:「The Gambler」,「Lucille」,「Islands in the Stream」

ジェームス・イングラム
グラミー賞を複数受賞し、マイケル・ジャクソンやキャリー・ロゴンなど、多くのアーティストとのコラボレーションでも知られる。
代表曲:「Just Once」,「There's No Easy Way」,「I Don't Have the Heart」

ティナ・ターナー
アイク&ティナ・ターナー・レヴュー時代を経てソロでも成功しロックとR&Bのクイーンとして世界的に認知
代表曲:「What's Love Got to Do with It」,「Proud Mary」,「Private Dancer」

ビリー・ジョエル
ロングアイランドのピアノ・マンとして知られ、多数のヒット曲と類まれなソングライティングで多くのファンを魅了する
代表曲:「Piano Man」,「Uptown Girl」,「Just the Way You Are」

マイケル・ジャクソン
史上最も売れたアルバム「Thriller」で8つのグラミー賞を受賞。キングオブポップとして世界的に認知される。音楽ビデオの制作においても革命を起こし、エンターテイメントの新しいスタンダードを創り出した
代表曲:「Thriller」,「Billie Jean」,「Beat It」

ダイアナ・ロス
スプリームスのリードシンガーとしての成功を経て、ソロアーティストとしても多数のヒット曲とアワードを受賞
代表曲:「If We Hold On Together」,「I'm Coming Out」,「Endless Love」

ディオンヌ・ワーウィック
ソウルとポップのクイーンとして、数々のヒット曲とグラミー賞を受賞
代表曲:「Walk On By」,「That's What Friends Are For」,「Do You Know the Way to San Jose」

ウィリー・ネルソン
カントリーの伝統を受け継ぎながらも独自のスタイルを確立し、数多くのヒット曲を生み出す
代表曲:「On the Road Again」,「Always on My Mind」,「Blue Eyes Crying in the Rain」

アル・ジャロウ
独特な声質とスキャット歌唱で、ジャズとポップの融合に貢献
代表曲:「We're In This Love Together」,「Mornin'」,「After All」

ブルース・スプリングスティーン
粗野で情熱的な歌唱でアメリカン・ロックの伝説とされ、心に訴える歌詞とパワフルなステージパフォーマンスで多くのファンを持つ。
代表曲:「Born to Run」,「Dancing in the Dark」,「Born in the U.S.A.」

ケニー・ロギンス
ソロアーティストとして、映画『フットルース』や『トップガン』のサウンドトラックで大ヒット。
他にも多数の映画やテレビドラマのサウンドトラックを手掛け、ソフトロックの代表的なアーティストとして知られる。
代表曲:「Footloose」,「Danger Zone」,「Whenever I Call You 'Friend'」

スティーヴ・ペリー
ジャーニーのリードヴォーカリストとして、多くのヒット曲を生み出す。
その情熱的なヴォーカルと歌唱力で、ロック界の一大スターとなる
代表曲:「Don't Stop Believin'」,「Any Way You Want It」,「Open Arms」

ダリル・ホール
ダリル・ホール&ジョン・オーツとして、多数のヒット曲とプラチナアルバムを記録。
R&Bとロックを融合させた独自のスタイルで、80年代の音楽シーンをリード
代表曲:「You Make My Dreams(Come True)」,「Maneater」,「Private Eyes」

ヒューイ・ルイス
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のサウンドトラックで知られるなど、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとしてロックヒットメーカーとして活躍
代表曲:「The Power of Love」,「Hip to Be Square」,「Stuck with You」

シンディ・ローパー
独自のスタイルと個性的な歌声で、ポップミュージックのアイコンとして多くのファンから愛されている
代表曲:「Girls Just Want to Have Fun」,「Time After Time」,「True Colors」

キム・カーンズ
「Bette Davis Eyes」でグラミー賞を受賞し、ポップミュージックのシーンでの成功を収める
代表曲:「Bette Davis Eyes」,「More Love」,「Crazy in the Night (Barking at Airplanes)」

ボブ・ディラン
フォークとロックの融合で音楽界に革命をもたらし、ノーベル文学賞を含む数々の賞を受賞
代表曲:「Like a Rolling Stone」,「Blowin' in the Wind」,「Knockin' on Heaven's Door」

レイ・チャールズ
ソウルとR&Bの伝説として、多様な音楽ジャンルを影響下に置く。多数のグラミー賞と名誉ある賞を受賞
代表曲:「Hit the Road Jack」,「Georgia on My Mind」,「I Can't Stop Loving You」

以上が主な登場人物です。

ふぅ、、、書き並べただけでも24人!
改めてすごい面子。

参加アーティストのデータ


・平均年齢 39才
  最年少マイケルジャクソン 26才
  最年長レイチャールズ 54才

・音楽ジャンル割合(ソロパート担当アーティスト別)
  ポップ 30%
  ロック 30%
  R&B,ソウル 20%
  フォーク 10%
  カントリー 10%

結構まんべんなくジャンル網羅している感じです。
ただまだこの時代にはヒップホップアーティストが入っていない、というのも面白いですね。

お気に入りエピソード14選

さてやっとここから本題。
この作品中に描かれた印象的だったお気に入りのエピソードをご紹介します。
メモっていたら14個もありました笑

①それは一本の電話から始まった

ハリー・べラフォンテがケン・クレーゲンへ電話したことから、このプロジェクトが産声をあげます。
その用件はアフリカ飢餓救済の力を貸してほしいという依頼。

ハリーは訴えかけます。
「黒人を救う白人はいるが、黒人を救う黒人はいない。問題だ。私たちが救わないと」

このハリーの言葉、思ったのは確かにこの前年のチャリティソング「Do They Know It’s Christmas」に集った英アーティストは、ボノ、ボーイ・ジョージ、スティング、ポール・ウェラーなどを中心にほとんどの参加アーティストが白人でした。

なるほどね。
ハリーは自分たち黒人のルーツであるアフリカ民の貧困問題に黒人のそれも若い人たちにももっと目を向けてほしかった。
そのためには白人だけでは無く肌の色関係ない、いま輝いているスターたちの力を必要としたという流れですかね。

②だれが曲作る?

ケン・クレーゲンの意向としては、ライオネル・リッチーとスティーヴィー・ワンダーに作曲を依頼したかった。
だがしかしスティーヴィーはいくら連絡しても捕まらない。

そこでライオネル・リッチーの提案でマイケル・ジャクソンとともに作ることに決定。(ライオネルとマイケルは同じレーベル出身(コモドアーズとジャクソンズ)で友人関係だった)

そしてスティーヴィー・ワンダーは後日、仮歌いれのタイミングでやっと登場、しかもシレっとそこに参加するという笑

いつの時代もいますよね、連絡しても中々でてくれない人。しかも悪びれた様子もないという笑

とっても自由人です。

③いつレコーディングする?

有名なアーティストほどスケジュールは数か月先もパンパンに埋まっている。

そこででた案としてはアメリカン・ミュージック・アワード(AMA)開催当日をターゲットとすること。

多くのアーティストがアワードに参加するし、しかも開催地ロサンゼルスの会場に集まっているためレコーディングスタジオまでの旅費交通費も抑えられると。

さすが合理主義のアメリカ、グッドアイデアです!

④誰に参加してもらう?

ここがチャリティーソングプロジェクトの肝ですよね。
回転式名刺入れを活用して、AMA出演アーティストを中心に当時のチャートのトップから順に交渉を行っていった。

特に当時人気を二分していたマイケル・ジャクソンとプリンスは絶対おさえておきたい。
これが後々トラブルにつながることに。
(プリンスと親交の深いシーラEも参加することになったが、シーラE本人がプリンスを参加させるための人質的な役割だと認識してしまい途中離脱...)

他にもマドンナもでてもらいたいけど、ケン・クレーゲンがシンディー・ローパー推しだったためオファー無し(残念。。。)

⑤焦るライオネル・リッチー

悠長にかまえていたらあっという間にレコーディングの10日前。
(小学生の夏休み宿題パターン笑)

ライオネル・リッチーの脳裏には参加アーティストの顔ぶれがよぎり、焦りまくった結果、曲の原型となったコードを思いつく。

そのコードをもとにマイケルの家で曲をつくりあげていくライオネル。

その家にはチンパンジーのバブルスくんや巨大ヘビのマッスルズくんが待ち構えていた笑

⑥情報漏らすな!

レコーディング場所はすんなりA&Mスタジオに決まったが、恐れたのはプロジェクト外にその情報が流出すること(特にマスコミやファンに対して)

プリンスやマイケル、ボブディランは到着時に人だかりを見ると絶対スタジオ入りしないとのこと...

各アーティストへ向けた招待状にも集合場所は黒塗りにし直前に知らせたほど徹底した情報漏洩対策を行った。

⑦シンディー駄々こねる

レコーディング当日、AMA参加アーティストのうちシンディ・ローパーが参加しないと駄々をこねはじめる。

理由としては「彼氏に曲を聞かせたら"ヒットしない"と言うからスタジオには行きたくない」と...

ただこれは言い訳だったようで、真の理由としては
疲れ果てていた状態で「AMA後に直行なんて絶対ムリ!!」ということだった模様。

ライオネル・リッチーが必死に説得して、結局参加することに。
子供かよ笑

でももしライオネルが説得成功していなかったら、この曲のひとつのハイライトでもあるあのソロパートが聞けなかったのでライオネル、グッジョブ!!

⑧エゴは入口に預けろ

有名なエピソードですね。
レコーディングスタジオのドアに張り出されたポスターに書かれた言葉

"Check your ego at the door"

スタジオに集まる面々をみてポール・サイモンが言った。
「ここに爆弾が落ちたらチャートが変わる」と。
それほどのスター揃い。

その場にはマネージャーもエージェントさえも入れずアーティストのみがスタジオ入り。
幸か不幸かアーティストたちは無防備になり、幼稚園初日の子供たちのように大騒ぎ。
それをまとめる現場監督であるクインシー・ジョーンズ、お疲れ様です。

⑨御大レイ・チャールズの一言

総勢40名を超えるコーラス歌いれの現場は大荒れ。
スティーヴィー・ワンダーはスワヒリ語を入れたいと勝手に歌いだすし。
各々が歌詞についてイチャモンを付け始める。

大勢がイライラし始め、現場を去ったものも出てくる始末。

そこでさすがのレイ・チャールズ。
騒ぎに困り果てていた現場監督であるクインシーはじめ皆に向け

「クインシー思い出せ、つまりやろうってこと」

この一言で場が収まる。すごっ!

⑩フィッシュバーガー食べさせて!

コーラスパート収録完了で皆安堵したのか、各々空腹を満たす。
なかでもティナ・ターナーは「フィッシュバーガー食べさせて!」と騒ぐ。

あの~アフリカ飢餓救済というプロジェクトなんですけど笑

⑪プリンス来ないってよ

マイケル・ジャクソンとプリンス両雄並び立たず...

ライオネル・リッチーがプリンス本人に直接電話するも「別部屋でソロギター弾く」と譲らない。

結局没交渉となり、マイケルの後につづくプリンスが歌うはずだったソロパートはヒューイ・ルイスが担当することに。

でも、これも結果的には良かったのかと。
なぜならマイケル→ヒューイ→シンディー→キムのパートは、間違いなくこの曲の個人的ハイライトだったので。

⑫ボブ・ディランうまく歌えない

ボブ・ディランの世界観・曲調とまったく異なるこの曲にボブ混乱する。

どう歌うか?

ここで登場するのがスティーヴィー・ワンダー。
天性の耳の良さでボブ・ディランの歌いまわしをその場で真似てみせてガイドした。

そして皆をスタジオから出して、ボブ、スティーヴィー、クインシーの三人で歌いれ。

ボブの不器用さがチャーミング笑

ボブは、他にもコーラスレコーディング終了時に皆が盛り上がって、このプロジェクトの発起人であるハリー・べラフォンテ「Banana Boat Song (Day-O)」の替え歌を皆が歌いだして大盛り上がりする場面も、そこに馴染めず所在なさげに立ち尽くすボブ笑

⑬ダイアナ・ロス泣く

すべてのレコーディングが終了!
関わったすべての人たちが疲労と安堵に包まれているところダイアナは泣いていた。

「終わってほしくない...」

その一言で、一日奔走し振り回されまくったスタッフたちは心底救われたという。

ダイアナは、レコーディング中も常にその場を楽しんでいて、光のような存在だなと改めて感じました。

⑭寄付金スゴイことに

2024年この段階で、
この曲が集めた寄付金は約1億6000万ドルにも及び、いまもその寄付は増え続けている
とのこと。

ほんと音楽の力って素晴らしいですね!


ということで、今回はNetflixドキュメンタリー作品『ポップスが最高に輝いた夜』のレビューとしてお気に入りエピソードをご紹介しました。

レコーディング当日である1985年からすでに40年近く経っていますが、ライオネル・リッチーはじめ多くの関係者が、当時のことを今起こったことのように熱っぽく語っているインタビュー映像をみて、それだけ関係者みなにとって大きなインパクトのある一夜だったんだとじみじみ感じました。

音楽の力が世界を救うということをまさしく体現した一大プロジェクト。
その舞台裏の熱量を克明に切り取った良作でした。

ひとりでも多くのかたが興味もっていただけたら幸いです。

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