本当に見たかったのはラブコメだった…「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」評

語りたいことを語るんですが、要約すると

・「僕は友達が少ない」の無念を晴らしてくれてよかった

ということなんですが、まずこの作品はタイトルがよかった。ちゃんとタイトル通りにラブコメだった。巻が進む中で「これ、ラブコメなんか?」って思うこともあったけど、タイトルに「ラブコメ」という文字が入っていたことが、どんなにラブコメから遠のいても、結局はラブコメに帰結してくれるのだろうという安心につながった。いかにもラノベらしい長ったらしいタイトルも、終わってみれば秀逸だったと思える。

「ラブコメ」作品はいつでも世に溢れている。映画、ドラマ、小説にアニメ。「ラブコメ」というジャンルでなくても、大体の作品の肝にはラブの要素があり、「主人公とヒロインがいかにして結ばれるのか」、または「数あるヒロインの中から誰を選ぶのか」はその作品のエッセンスとなる。(「この作品に恋愛要素いらねーよ!」みたいな声が上がることもよくあるけど)

こういう恋愛がしたかったとか、したいとか、それを自分に重ねることもある。主なストーリーがどうなるかより、恋愛模様がどう決着するのかを見たくて続きを求めるみたいなところもある。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている(略称「俺ガイル」)』は2011年に刊行され、2013年にアニメ化された。00年代前半のセカイ系ブームから、半月、ゼロ魔、ハルヒ、とらどら、俺妹、はがない…とラブコメ人気は最盛期の峠を越え、ラノベ人気自体も落ち着ついて停滞した時期に世に出た作品である。

ラノベは読み手の理想や願望を叶える。そして、そういう作品、ジャンルに人気が集まりやすく、次々とフォロワーとなる作品も生まれてくる。

何も能力を持たない自分が異世界に飛ばされたら…自分だけの個性や能力を上手に駆使して強敵に勝つ…自分を見放したかつての仲間たちへ逆襲をする…自分を愛してくれるクセのあるヒロインが突然現れて…

この作品も簡単に言うのなら、平凡な日常を過ごしていた男子が大きな淀みに巻き込まれ非日常に出会っていく、というラノベでだけでなくあらゆる物語においてスタンダードなスタートを辿る。

しかしながら主人公の比企谷八幡は、何の変哲もないどこにでもいる普通の男子高校生…どころかぼっちでスクールカーストの最底辺。目つきが悪く不良と勘違いされ怖がられているから…とかではなく、現実世界のスクールカーストの最底辺の人たちと同様の理由でその位置にいる。しかも、自分のことを好きだと勘違いして女子に告白して振られるなど非リアにありがちなトラウマも抱えている。

「残念系」と呼ばれる『僕は友達が少ない(通称はがない)』から、「スクールカースト」や「謎部活」という要素を引き継ぎ、俺ガイルもまた「残念系」をキャッチにして、主人公、ヒロインの性格や境遇もハードな設定にされていた。ただ、同ジャンルとして括られながらも、八幡はちゃんとリアルにぼっちだったし、スクールカーストと闘っていた。そこからもわかるよう俺ガイルは『はがない』のアンチであり続けていた。「アンチラブコメ」であり続けた『はがない』に対し、ラブコメに対し誠実だったのが俺ガイルだった。

だって、『はがない』の主人公・小鷹って別にぼっちじゃないし、「ヤンキーに見られるから」ってスクールカーストの最下層にいる理由にならないし、「えっ?何だって?」を意図的に言っちゃダメだし、ラストは本来なら正ヒロインの夜空を選ぶと思うし、そして結局、本命とも結ばれないし。ずっと読者は翻弄され続けていた。

これは真正面に受け取れば「お前ら物語に夢見てますけど、リアルはこういうもんですから」というラブコメへの皮肉だった。確かに現実世界は悪そうな奴が結局もてるし、しれっといつの間にかソコとソコができてたの?みたいなこともよくあるし。『はがない』は残念系をうたい、それでいて意図的にラブコメを俯瞰で見ながら「残念なラブコメ」へ仕上げられていった。謎の部活でワイワイする日常系を演じながらもフタを開ければ醜い思惑がめぐっていて、人間って、青春ってそういうおぞましいものでしょ?と囁いていた。それはそれで素晴らしい試みで革新的だったし、その姿さえもフェイクかもしれない。でも裏をかくとかそういうのを無しにして、やっぱり僕が見たかったのはそれじゃないんだよ、というモヤモヤがあったのも確かで。

なぜかといえば、ほんと単純に「やはりラノベは読み手の願望や理想を叶えるものであるべき」という想いがあるから。物語や登場人物が言葉をこねくり回しても、大筋のラブコメに対しては直球勝負でいいじゃんって思うから。

比企谷八幡は【僕たち】に近い存在で、僕たちに近いトラウマを抱え、リア充を憎み、恐れている。その現状から抜け出す術は持っていないし、抜け出そうとも思っていない。ただ、そんな人間が「本物」をつかむには?八幡は対等でいたいと思える人間を見つけて、そのために自己犠牲を惜しまなかった。

もちろんあんなダークヒーロのごとくかっこよく身を削ることなんてできないし、頭もキレないし、それを「わかっていますよ」と理解してくれる先生も、部活仲間も実際にはいない。あの方法を同じように辿るのは無理だけど、それぞれにそれぞれの本物を掴む方法はあるんだよ、と俺ガイルは教えてくれたのだ。

ちゃんと正ヒロインの雪ノ下を選んだところもよかった。個人的なことを言うと僕は由比ヶ浜の方が好きだし、由比ヶ浜をずっと応援していて、由比ヶ浜とのエンドを望んでいた。めっちゃ泣いてるところを見て、僕も一緒に泣くくらい悲しかったけど、でもやっぱり由比ヶ浜と結ばれていたら結ばれていたで、なんだよそれ、と感じたと思う。

「ラブコメへ誠実」というのは、正ヒロインを選ぶか否か、というのもある。ここでいう正ヒロインとは、1巻の表紙を飾っているとか、キービジュアルのセンターにいる、ギャルゲー原作ならパッケージで一番目立ってるとかそういうメタ的なヒロインのこと。正ヒロインだから、一巻を飾るしメインも張っている。

正ヒロインをちゃんと選んだ作品の中でも『俺妹』とかはラストが秀逸だったなあとか振り返りつつ、正ヒロインを選ばなかった作品といえば前述の『はがない』に加え『いちご100%』『キミキスpure rouge』『五等分の花嫁』などか。ごとよめに関しては五月を正ヒロインと呼ぶのかは微妙なラインだし、そもそも正ヒロインを選ばなくても成立し、「誰が正ヒロインなのか?」が物語のメインストリームという仕組みをとっていたところがうまかったけど、『いちご100%』や『キミキス』は、やっぱり納得いかなかった。メインヒロインを選ばないなら、やはりそれだけの理由が必要で、そこに納得できなかったから。もちろん西野も、摩央姉もいいんだけどさ。

俺ガイルは誰も選ばないエンドとかもあるんじゃないかと思っていたけど、ちゃんと決着してくれた。あと、あの「人生歪まさせてくれ」とか告白は最高だった。「好き」と言わない理由も、「『好き』だけじゃこの気持ちを表現できないから」ってクールすぎるでしょ。そしてラストは、由比ヶ浜ファンにも、いろはファンにも寄り添ってくれていた。

観測者の陽乃とか、読者の代弁者としてのいろはとか、匂わせの葉山とか、ダークヒーローとしての主人公とか、キャラの配置の妙も、当たり前だけどラストがクソなら台無しなわけで…想像を超えよいラストを迎えたことで本当に最高な作品になった。

変化球ばかり投げていたけど、最後は直球ストレートで三振。ありきたりではないけど、ありきたり。そして、スクールカースト最底辺だけど、最高の彼女を手に入れる。ずっと納得したかった。やはりこういうラブコメが見たかった。

詳細とかもっと語りたいことはあるけどこの辺で。


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