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人は意味付けをして生きている

在宅(家)で看取りを希望する時に、私たち訪問看護師が渡すパンフレットがあります。このパンフレットには、「最後まで耳は聞こえています」という文言が書かれています。
説明の時が来たらパンフレットに書かれた内容を、伝わるように言葉を選んで話すようにしています。


大切な人の声を聞くことは、最期を迎える人や遺される人、両方にとって、大きな力になることを知っているからです。


呼吸が止まる瞬間に立ち会うことは重視されていることですので、私たち看護師は、その時に大切な人が一緒にいられるように心がけます。

血圧が下がって弱った呼吸になっても、声は聞こえていると言われています。

家族が次々と集まる中、「〇〇さんが向かっているよ」と声をかけられて、会いたい人が来るまで呼吸を続けた方は多いです。
声をかけた家族は、この様子に「聞こえているね」と顔を見合わせて穏やかな顔になります。

私たち看護師は、顔や手足も触ってもらうように家族に声をかけます。
大切な人が近くにいることを感じて欲しいのです。
返事はできない、反応も少ない、でも大切な人の声は届いているのです。


少しずつ体がお休みしていくサインを肌で感じた家族は、かける言葉が「頑張って」から「頑張ったね」に変わります。私たち看護師は、遺される方が、お別れを受け入れたのだと感じます。

「頑張ったね」と言われた方は、今日まで生きてきたことを、大切な人に認められて安心できるに違いありません。


ところが、いくら私たち看護師が気を配っていても、立ち会えない方もあります。
それは意思の表れの一つで、仕事や学業など今大切なことを優先するように伝えるために、会えない時を選んで旅立つのだと思うのです。

以前、記事にしましたが、最期の時は本人が選んでいるとしか思えません。


遠方に住んでいる親族や知人、どうしても出かけなければいけない家族は会って話したい気持ちを抱えていると思います。
そんな時は、電話を使うと思いは伝えられます。

慣れ親しんだ人の声が電話で聞こえれば、弱った体になっても届いています。
遺される人にとっては、言葉を伝えられたという事実が、後の人生に大きな力になるはずです。
先に逝ってしまう方の最後の志を、この世に留めておくことになるからです。


ある方は、最後まで戦い続け、ある方は抗わない生き方を選びます。
どの方も、決められた自分の運命を全うしています。


私たちは何を伝えられたのかを模索することで、これからの生き方の意味を見出すのだと思います。
生き方を教えられ、大切な人の存在を抱いていくのです。


先祖に会うための墓参りで、訪問看護という仕事で出逢った方たちに教えて頂いたことを重ねて、心の中の会話をしています。

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