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【小説】熊阪にわか2

 しろしろ、まっしろ、しろうさぎ。酒を飲んでも、わさびを舐めてもまっしろうさぎ。赤く染まっているのは、その生まれつきの目ん玉だけである。
 そんなうさぎが、球磨の大桜の下で酒盛りを始めた。宵の桜に群がる人、虫、ケモノ。桜はまだ、つぼみの時期である。風も冷たく、大地は凍えている。
 それでも、みな集まる。代々、夜な夜なこの季節に行う酒盛りは、春を迎えるための大切な祭り。寒ければ、ぬくめた酒を呑めばいい。季節はずれにぬくければ、冷えた酒を呑む。みな、酒にまどろみ、桜に祈り、芽吹きの季節を待ちわびる。
 しろうさぎが、さて、とみなに声をかけた。
「酒の肴を紹介しよう」
 懐から、満月のように丸いが、月よりは濃い黄色の果実を取り出した。
「晩白柚だ」
 晩白柚(バンペイユ)。丸々と大きなその果実は、熊本県は八代市の特産品である。
 しろうさぎの紹介を皮切りに、他の者たちも持参した自慢の肴を紹介していく。
 日奈久温泉街の旅館の女将は、ちくわ。
 南関町の狐は、そうめん。
 天草の漁師は、車エビ。
 熊本城城下町の川獺は、カラシ蓮根。
 甲佐町の狸は、鮎の干物。
 阿蘇の蝶たちは、ビオラやナデシコなどのエディブルフラワー。
 しろうさぎの用意した台に乗りきらないほどの肴だった。
「こりゃあ、ご馳走だ」
 みな歓声を上げ、ひとしきり互いの肴を評価しあったあと、全員がしろうさぎの方を向いた。
 ーーして、肝心要の酒は……。
 一同の注目がしろうさぎに集まったとき、その背後から、夜霧に紛れこめそうなほど白い熊が現れた。
「今宵の酒は、しろくま、よ」
 ざわつき、どよめき、みなが疑問を口にした。
 ーー「しろくま」とは……。
 白い熊は答える。
 ーー「しろ」は、真っ白のしろ、依り代のしろ。「くま」は、熊本のくま、球磨川のくま。四つの意味で四文字の酒。しろくま。
 狸が口をはさんだ。
「由来もいいが、聞きたいのは、その酒の味と……」
 みなが固唾をのんで静まる。しろうさぎがあとを引き継いだ。
「春神様に喜んでもらえるか、だ」
 白い熊は胸を張って答えた。
「無論、勿論、自信満々、よ」
 
 大桜の枝に朝露が滴り、その滴り一つ一つに朝陽が映りこむ頃、酒盛りはお開きとなる。腹もふくれ、泥酔の人、虫、ケモノたちは身を寄せあって眠りこけている。
 朝焼けのもやの中から、その色で染め上げた衣をまとった女神が、狸のそばに降り立った。
 女神が狸の頭を撫でると、茶色の冬毛が真っ白に染まっていった。狸が目を覚ます。
 ーー貴女が春神様ですか。
 しろうさぎと白い熊も起きた。
 狸が白くなり、春神様の光をまとっているのを見て、祝福の拍手をした。
 
 あたたかな春になり、白い狸は甲佐町の山で酒造りを始めた。この酒が、来年もまた、この世に春をもたらす希望となる。
 白い狸は、水を汲みに川へ向かう途中、しろうさぎと会った。
「やあ、しろうさぎ殿」
 白い狸は挨拶をした。しろうさぎも会釈をして、酒造りは順調かと聞いた。
「勿論だとも。春神様に祝福された身だ。しっかり務めるよ」
 しろうさぎはそれを聞いて満足そうに笑い、立ち去ろうとした。白い狸は気になっていたことを聞いた。
「待ってくれ。一つ聞きたい。しろうさぎ殿はなぜ、いく年もの間ずっと白いんだ? 白くなるのは春神様に祝福された者で、それも酒造りの務めがある一年間だけではないのか?」
 しろうさぎは、赤い眼で狸を見つめると、ぽつりと呟いた。
「俺は産山兎だからな。神をも産み出す山の兎はな、常に神様の遣いっぱしりよ」
 そう言うと、しろうさぎは空を見上げた。雁が、しろうさぎと白い狸の間にすっと降り立った。その背に跳び乗ると、もう一度、狸に顔を向け、
「酒造りを頼んだぞ。来年、春の一歩手間の季節になったら便りを出す」
 白い狸は、空に飛び立ち小さくなってゆく雁としろうさぎを見上げ、その姿が点になって消えてゆくまで、空を眺め続けた。
 

 

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