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50歳+12日 働くとはなんなのか

こんにちは
50歳を迎えてからなんか気分的に低空飛行が続いてます。とくに何かが大きく変わったわけでもなく、周りの人間でわたしがそんな節目を迎えていることを知る人もほとんどおらず、これまでと変わり映えのない日々ではあるものの、
気持ちはINにINに入り込んでしまってます。

前回のnoteで時間に対する感覚の変化や、それが行き着いた先としての仕事観の変化について書きました。今日はここについてもう少し書こうかなと思います。

リモートワーク主体の働きかたになったころでしょうか、自分の仕事にかける時間やエネルギー、モチベーションなどを考えてました。
リモートワークが増えることで、コミュニケーションを補う方法としてチャットの多用が始まりました。メールにチャットにzoomに。受動的に受けているとこれらがめちゃしんどくなるんですよね。クソめんどくさくなるというか。
別にF2Fのコミュニケーションを重んじているとかそういうわけではなく、一方的に流れてくるものに対して、対処が必要なこれらツールを使った交信に疲れた、というのがあるのかと思います。対処に追われる時間が増えてくると、なんのためにこんなことしているのか。そんな思いにとらわれます。

同じ頃に50歳が近づく自分を客観的に見た時に、こんな働きかたを続けることが果たして自分の求めていることなんだろうかという問いに変わっていきました。忙しくする毎日に対する疑問と、そもそもなんのために働くのかという問いと。ゴールとそこに向かう道のり、両方に対して迷いが生じているように思います。

今の会社は会社で恵まれた環境であると思います。会社の安定・成長性、与えられたポジション・責務、給与待遇。何が不満なの?と普通は問われるでしょう。ただそんな環境にあってもモチベーションの上がらない毎日が続いていることは確かで、自分自身の価値観と照らし合わせた時にモヤモヤモヤモヤしています。
メーカー。大量生産・大量消費。売上利益の拡大。成長。こうした事業として当たり前のことに疑問を持つようになり、自分の職務もつまるところここに通じるのかと思うと、そうじゃない方向を向きたいと思う自分がいるんだと思います。
もっと小さく小刻みで。もっとスローで。もっと人にダイレクトで。これでいい、くらいの量感で。
そういう働きかたを求めているのかなと感じています。それが具体的になんなのか、いくつかの方策を考えながらも、まだもがいている。そんな毎日を過ごしながら、まだ先に書いた会社に勤めている。
でももうそろそろゴマカシが効かなくなってきたというか、50になっちゃったしなあというか、なんというか。節目を節目として実行に移さないとこのままズルズルしてしまいそう。
あー、イヤだ、イヤだ。

なんか半分愚痴のような話になってしまいました。心苦し。
次回は「次」に向けて考えていることを書いてみましょうかね。
ではまた👋

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