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愛されたい欲求について

由佐美加子・天外伺朗著のザ・メンタルモデルを読んでいます。
これまでの自分の人生というか価値観の根幹にもなってそうな、無意識の「痛み」について、本の解説と、自分のメンタルモデルのタイプについて考えてみました。


前回の『人生の目標』の記事も合わせて読んでいただけると嬉しいです。





メンダルモデルとは


人は生まれながらにして「痛みからの分離」による4つのメンタルモデルを持っていると考えられています。

A:「価値なし」モデル(私には価値がない)
B:「愛なし」モデル(私は愛されない)
C:「ひとりぼっち」モデル(私は所詮ひとりぼっちだ)
D:「欠損・欠陥」モデル(私には何かが足りない・欠けている)


その人の外側で起きているすべての事象は、これらのいずれかのメンタルモデルに基づいた「生存適合OS」による回避行動として現れるというもの。

回避行動には「克服」と「逃避」の行動があり、これらを状況に応じて使い分けています。

つまり我々は、生まれた時に身についた「痛み」から、4つのメンタルモデルに分類され、その「痛み」を回避するために様々な価値観・思想を学習し、現在の外側の自分を形成しているという考え方、と解釈できます。

この4つのモデルが綺麗に分類されることが目的ではないと本書にも書かれていることを前提として(どのモデルも多少なりとも全ての人が持っているとのこと)、自分の場合は圧倒的にBの「愛なし」モデルが当てはまると思いました。


「愛なし」モデルについて

キーワードは、”無条件の受容と真実を分かち合える真の関係性”

”幼少期の親との関係性が強く影響していると言われている。幼児の頃に自分が欲しい形で愛情をかけられることがなかった、抑圧したという経験があり、その欲求が満たされないまま成長したケース”

特徴として、”人を満たすこと、人を快適にすることで自分は愛されているはずだ、という奉仕によって愛情を得ようとする行動パターン”を持つと言われている。

他にも、
・恒常的な「寂しさ」があり、つながりを失って一人になってしまうのが怖い
・人に与えてばかりで疲れてしまう傾向がある
・思うように愛されずに失望したり、搾取されている感じになる
・真実を明かして欲しい、受け取って欲しい
・本当のことを人と分かち合いたい
・相手を不快にさせる言動はできるだけ避ける
・問題があるときはちゃんと話して分かり合いたい
・大切な人との繋がりは自分から一方的に切れない



特徴的な回避行動として、”自分を愛してもらうためにひたすら相手に奉仕するという形で、自己犠牲的に愛を与えようとするパターンに入りやすい”傾向があるとのこと。

本当に欲しい愛ある世界は、”人が互いにありのままを愛し、愛されるという無条件の愛の世界を深いところで求めてる”

この無条件の愛がはじまるところは、自分がまず自分自身を無条件で愛せるか、にあり、自分の中に何があるかを常に「感じて」、「ああそうなんだね」と、ただその「ある」ことを感じることで理解する、という自己受容を繰り返すことで、どんな自分の体験をしても自分の内側を観て、感じて、そこにあるものをそのまま受け止め、自分自身が求めていることを理解しようとする自己愛が育まれていく。つまり「無条件の自己愛」からその世界が始まる。「いい」「悪い」で判断するのではなく、「あるがままを分かち合い、共に感じられる」ことで、本質的な真の愛の世界に気づくことができる

ザ・メンタルモデルより引用


「愛されない」ことの「痛み」

以上までが本に書いてある解説の部分です。
特徴の部分は正に自分自身を表しているな、と感じましたし、そういう理想の世界を望んでいると実感しました。
一方で、その世界を作るための第一歩として、「無条件の自己愛」については、遠い現実なようにも感じています。
では、なぜ自分が「愛されない」ことの痛みを感じているのか、過去を振り返ってみました。
振り返りの前提として、自分が「愛なし」モデルであることを認識した上での振り返りとなるので、そっちに引っ張られてはいるかと思いますがご容赦ください。


母親との関係(幼少〜小学生)

両親が30歳の歳に、姉と5歳差でこの世に生まれました。
後から両親に聞くと、男の子が欲しかった、姉が生まれてからなかなか子どもに恵まれなかった、という風に言っていました。両親からも、両家の祖父母からも祝福されて生まれてきたのだなと、昔の写真やビデオを見ても感じ取れます。
年少(3-4歳)から、自宅から30分ほどの幼稚園に通っていました。基本的にはバス通園でしたが、時々お迎えの時間に間に合わないのか「お預かり」みたいな形で職員室で先生たちのお昼ご飯と一緒におやつを食べるという日がありました。(当時は延長保育などの制度は無かったんじゃないかと思います。幼稚園のご厚意で、な気がします、多分。)
記憶が曖昧ですが、この頃から個人宅配のパートみたいなものを母が始めたのではないかと思います。夕方、母の車に乗って何軒かの家庭に荷物を届けるということがありました。
小学生に入ったら、母は本格的に仕事を始めます。保育園の職員として正社員として働き始めます。1年生から鍵っ子で、学童とかには行きませんでした。5歳離れた姉は当時6年生だったので、帰れば姉がいる、という環境だったのかなと思ってます。(断定できないのは、帰ったらすぐに遊びに行ってしまっていたので家に誰がいるかはあまり気にしてませんでした。)
もしかしたら、この時くらいから”母親が家にいる環境”に憧れ、寂しさを抱いていたのかもしれません。
小学生中学年〜高学年になると、両親の夫婦喧嘩が目につくようになります。一度、習い事に出かけようとした時、中々靴が履けずに玄関で四苦八苦していたことがありました。その時、両親は僕がすでに出掛けていたと思っていたんじゃないかと思うのですが、リビングで大声で怒鳴り合ってるのが聞こえてきました。内容までは覚えていませんが、当時の感情として、「自分は今ここにいるべきではない」「この状況が両親にバレたら嫌だ」という感情を今でも思い出します。そう、自分は両親の喧嘩の場面に居たく無かったんだと思います。

手作りの食事

書きながら、母親の食事に関することが長く引っかかっていることに気がつきました。
中学生になると、給食が無い学校だったのでお弁当になります。基本的には作ってくれていたのですが、時々寝坊したり準備ができなかったりで、自分で残り物のおかずを詰めたり(ウインナーとお肉を焼いただけのおかずの時に同級生の驚いた顔は今でも覚えてる)、コンビニのおにぎりを買って行ったりしてました。中学の途中から校内でお弁当の販売も始まり、ここぞとばかに買わされていたのを覚えています。当時の感情は、周りはみんな手作りのお弁当なのに、コンビニや買ったお弁当であったことにすごい嫌悪感を抱いていたのを今でも覚えてます。
高校生では、周りも手作り弁当の人の方が少なかったので、それほど気にはならなくなりましたが、もしかしたら心の奥で手作りの食事を欲していたのかもしれません。
食事は昼だけでなく、夕食にまで影響し始めます。
中学〜高校の間が母の仕事が最も忙しく、帰ってくるのが20〜22時となっていきます。「今日は夕飯済ましておいて」と連絡が入る時もあれば、全く連絡がない日もありました。適当に済ます時もあれば、意地で帰ってくるまで我慢するような時もありました。姉はもう当時高校〜短大なので、家で食事をすることの方が少なかったんじゃないかと思いますが、父の帰りが早いと大変です。機嫌が悪くなり、当たり散らします。母が遅くなって帰ってきた時にまた夫婦喧嘩になることも数知れず。僕自身も、母親に対して反抗した記憶が残ってます。

”手作りの食事をふるまう”ことが1つの愛情表現ではあると思いますが、今でもそのことが心に残ってるということは当時の自分はそれを欲していたんだと思います。

父親との関係性

幼少期〜中学生の父親との関係で、心に残ってる感情があまり思い浮かびません。一般的なサラリーマンでしたが、平日は仕事、土日は休みで家にいる父親でしたが、公園でキャッチボールをした記憶は1回あるかないか。サッカーなんてしたこと無いんじゃないかな。

父親は口数が少なく、基本機嫌が悪そうに見える。
仕事から帰ってきても、ムスってしてることが多く、あまり語らない。
だから、帰ってくるとすぐに自分の部屋に籠る習慣がついてしまった。
何か余計なことで機嫌を悪くしたら面倒臭いから。

高校生になり、試験の時期で自分がピリピリしていたことがあった。
こっちはテスト勉強しなきゃいけないのに、早くリビングに来いだとか言うこと聞けだとか言われたのかな?初めて父親に反抗して、「いちいちうるせーんだよっ」って泣きながら壁を殴って穴をあけるという大事件が起きました。当然、父親は今まで自分が反抗したことなんて無かったら、驚きつつも何とか威厳を保とうとしていた気がします。
結局その壁の穴はリフォームするまでずっとそのまま残されることになり、見るたびにその時の記憶が蘇ることになります。


愛情表現がわからない

結局のところ、自分にとって愛情表現というのは、「相手が自分にエネルギーをどれだけ費やしたか」で判断されるというものになっていったんじゃないかと思います。どれだけ相手に尽くしたか、どれだけ相手のことを考えたか、その絶対的な量によって愛情の深さを測っているんだと思います。きっと、両親は色んな形で愛情を注いでくれていたはずです。実際、欲しい物は大きなイベント(誕生日とかクリスマスとか)であれば買ってもらえたし、習い事もさせてもらったし(サッカーは嫌々やってたけど)、塾にも行かしてもらって私立の高校・大学にも奨学金なしで行かせてもらえました。どこかに遊びに行くといえば、お小遣いもくれたし、思春期の反抗期で少し道を外れたことをしてもちゃんと叱ってくれました。でも、その時はそれが愛情表現として受け取ってなく、本当に欲しかったのは自分と向き合う時間だったり、反応だったり、言葉だったり、そのエネルギーを実感したかったんだと思います。心の奥底で感じている寂しさを埋めるためには、どれだけ自分に向き合ってくれているか、自分を受け入れてくれるか、尽くしてくれるか、そういう分かりやすい愛情表現じゃないと「愛されている」という実感が湧かず、今もそれを求めてしまう状態になっているんだと思います。





無条件の自己愛を育むためには

ここからが僕の命題です。今はまだ実感として得られない、遠い現実のように感じている無条件の自己愛をどう獲得していくか、が課題となります。
本では、自己受容を繰り返すことで自分のあるがままを「いい」「悪い」の判断をせずに受け入れること、とありますが、まず自分のあるがままを受け入れることが難しい・・・。
物事を「良い」「悪い」で判断しがちだし、「こうあるべき」な考え方をどうしてもしてしまう。自分に自信が無いし、自分に特別な能力が長けている自覚もない。相手にどう思われるかが気になってしょうがないし、自分軸<他人軸で自分の行動パターンを考える傾向が強いと自覚しています。

トレーニングをしていくとなると、まずは「良い」「悪い」で判断しないことになるのでしょうか。「そういう考え方もあるんだね」という、少し上から俯瞰して見るような、そんな余裕が必要なのかもしれないです。
あとは、自分の感情が動いた時(特に、悲しみ、寂しさ、怒り、喪失感など)に、その感情を素直に感じて、受け止めて、「自分はそう感じたんだね」とまずは認めてあげる。「なんでそんな態度を取るの」とか、「もっとこうして欲しい」みたいな相手に求める感情を一旦我慢して、自分自身で消化する。今はそんなところが自分にできることかなと思っています。
その先に、完全なる自己受容というものが存在するのか分かりませんが、少しでも成長し、理想の世界に近づけるように、これからも自分の人生に向き合っていきたいと思います!









OT_aku


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