2次創作は何で存在し続けるのか

大した内容じゃないけれど書きたくなったから書きます。

結論は、見てもらえるから。
これしかない、というかこれ以外に理由が見つからない。

オリジナルで評価されるには環境が必要

独創的な世界観とか設定とか描いたって、最初は見てもらえない。
ゴッホみたいに、生前評価されずに没後評価されるなんて言うのもあるくらいに、絵の独創性というのは評価されないもんだ

今でこそオリジナルで評価されている人たちって、最初は二次創作から始めた人が多い(と思う)

有名な動画で、とてもでかいホールで演奏もしてるプロのヴァイオリニスト
その演奏を路上でやっても誰も足を止めず評価されなかったっていう動画

これは演奏したホールの環境もあるけれど、まず多く上がった声として「ホールという聞く環境で演奏していないから」っていうのがある
要は、映画を見るのに暗く締め切った空間で見るんじゃなくて、明るい場所で垂れ流しにしても振り向かない人がほとんどってこと
イオンシネマがドライブインシアターっていうのをやっていたりするけれど、あれも車だからまだ見れるのであって、もし路上で見たら虫が寄ったり、話し声が聞こえてきたりで多分気が散って集中できないだろう

これをイラストで例えよう。
自分の絵を見てもらえるようにするために、要は環境がいるっていうことだ。
現環境ではTwitterだろうが、Twitterは流動性という言葉を体現する化身だ。
今じゃ世界規模で使われているSNSで、一個人が描いたイラストなんて見向きもされない。

見向き去れないイラストはRTもされない。
いいねもされない。
そもそも存在したことすら知ってもらえない。
それは、路上ライブをしている無名のバンドと同じような状況だ。
宣伝にすらならず、ただ垂れ流しをしているだけなのだ。

じゃあどうするのか。
これも路上ライブでよくあるけれど、カバー曲を歌ってる人、見たことある?
かもしれない。

カバー曲って偉大だ。
自分は知らなくても、その曲は知っている。
歌い方も近いからちょっと聞いていこうかっ、ていう人が増えやすい。

その中で、たまにオリジナル曲を織り交ぜて歌う。
そうすることで、自分たちのバンドを認知してもらえるという手法だ

これはイラストでも同じで、それが二次創作になる。
自分という存在は知らない。
けれど、そのイラストのキャラクターは知っているから見に行こうっていう話だ。
それが二次創作の存在理由だ。

ただもちろん、これはその人が描きたいテイストと、描きたいキャラクターとのマッチ度にも関わってくる。
吉幾三みたいな歌い方する人が、なとりのOverDoesを歌わないだろう。
笑いものになるか下手だなああのおっさんみたいになる。
きっとそう。

SIXTONESだったらギリギリいいかも。
けれど、まあ賛否両論だろう。
ようは、上手くても方針がかみ合うかどうか。
もしくは自分のテクニックをチューニングできるのかも大事なのだ。

今自分はそのチューニングで必死で、今noteを綴りながら毎日液晶タブレットに向かって描いているけれど、見てもらえない
多分才能そもそもがないんだろうが、それはそれで悔しいのであがいているという状況。
自分語りすみません。

イラストでも例えよう。
パブロ・ピカソのような独特な思想に基づいて描かれたキュビズム
これが、バーチャルYouTuberのテイストで描いたっていいねがつくかどうかってことだ。
多分見ないし気持ち悪いで終わる、というわけだ。


オリジナルで勝負していいと思える線引き


個人的には、Twitterのフォロワー10万越え辺りからはそろそろオリジナルで勝負したほうがいい、もしくは勝負しないといけないと思う。

数字の根拠は正直直感だけれど、ある程度フォロワーの分母が増えるにつれて観客の価値観にずれが出るのは明白だろう。

そのオリジナルを投稿して評価が高ければ勝負していい。
だめならもっと同じコンテンツをよりスピーディーに描くべきだ。

2次創作っていうのは生ものと同じだ。
自分がいくら大好きと言っていたっていつか振り向いてもらえなくなる。

このご時世に「夏目漱石の『ぼっちゃん』の主人公萌えキュンだからめっちゃハイクオリティでイラストにしてバズる!」なんて人いないのと同じだ。
それで評価をする人はよっぽどのモノ好きに違いない。

その時に評価された二次創作のイラストは、その時代の人が活きている限りでした見てもらえない。
だから2次創作は、今が旬のキャラクターでないと評価されないものなのだ。

去年、2022年のこの5月頃の時期だと、スパイファミリーがすごい人気だった記憶がある。
じゃあ今このTwitter上でスパイファミリーのイラストめちゃくちゃ投稿しているところ、見たことある人いる???

自分が疎いだけというのもあるだろうけれど、見た記憶がない。
Twitterはそういう市場だ、時代の旬の価値がスーパーの生魚のパックと同じくらいの動きしかないのだ。
今だと推しの子が一番人気が出ているだろう。

じゃあ。
もしそういった二次創作でしか評価されないままで自分はいいかという話だ。

二次創作だけしか描かないと、二次創作のテイストでしか見てもらえず、自分のブランディングに失敗する。
だからオリジナルのイラストを織り交ぜる必要がある。
自分という存在をより認知してもらえるようにしないといけないんだ。
そうしないといつまで経っても抜け出せずに評価が中途半端でどこにも見てもらえない存在になる。
これが、勝負しないといけない理由だ。

好きな作品で勝負したい人

もし自分がこれが好きでこれを愛しているという場合。
その欲望はぐっと堪えておいた方がいい。
例えば、いくら地下アイドルが推しの子好きって言ったって注目されなかったとしよう。
それを中川翔子が推しの子好きって言ったら一気に作品の評価が高まるのと同じなのだ。

例えに地下アイドルを使ったのは失礼に値するが、しかしながら有名に勝る無名はいないんだ。

幾ら自分の絵がこの人よりうまいと自負できるクオリティがあったとしても、その人はTwitterフォロワー数十万人の有名人。
対して自分は二桁だった場合、いくら自分がこの作品が好きだ!って言ったって振り向いてもらえるのはその分母のうち数人程度しかないのだ。

だから、知っておいてほしいのはいくつかあって。
好きな作品を描きたくても、無名の状態じゃ共感を得られないという事実。
その共感がないことにより、自分の存在が知られないという事実。

だからこそ、無名のうちは他の人に共感してもらいやすい絵や作品を描こう。
路上ライブで自分の歌いたいように歌うだけじゃ世間はただの雑音程度にしか思ってくれないからだ。
大人になろうぜ。辛いけどさ。

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