【アイドルオタクと人種差別】2.アメリカにおける「人種差別問題」

こんにちは。仮初めです。
グラミー賞の前にもう一回くらい投稿したいとは言っていたのですが、ギリギリ投稿になってしまいました。

それにしても、色んな意味でメンタルを殴られまくった1週間でした…。
ホビさんの感染報告に続き、前乗りしていたグクまで…インスタを見る限りグクは元気そうだし、ホビも無事出国したようなので、このまま問題なく当日全員揃って参加できるといいなと祈るばかりです。

さて、来たるグラミー賞への期待感は一旦心の片隅に置いときまして。
まずは今週の3/28に開催されたアカデミー賞の平手打ちの件を踏まえてお話したいと思います。

1.アメリカにとっての「アジア人」とは


ネットニュースでも広まっていたのでご存じの方も多いと思いますが、3/28に開催されたアカデミー賞で、主演男優賞を獲得したウィル・スミスがプレゼンターのクリス・ロックに平手打ちをするという衝撃的なシーンがありました。
彼らはプライベートでも友人同士だそうですが、なぜこのような事態になってしまったのでしょうか。
以下は、素人が調べた限りの情報と私見をまとめたものです。認識不足等は目を瞑っていただけると幸いです。

クリス・ロックはコメディアンとして有名な方で、当時「白すぎる(白人ばかりの)アカデミー賞」と言われ問題視されていたときに、司会として起用されました。
クリスは以前にも司会を務めたことがあり、2016年当時の起用は「白すぎるアカデミー賞」が話題になる前から決まっていたそうです。

こちらは2016年アカデミー賞の開催前に書かれた記事です。彼がコメディアンとして名を馳せていることがよくわかります。
しかし、当時の彼が壇上で披露したパフォーマンスは「アジア人差別」を前面に押し出したものでした。

2016年、ロックは第88回アカデミー賞授賞式で「アジア人は数学が得意」といったステレオタイプを強調した寸劇を披露した。(プレゼンターを務めたサシャ・バロン・コーエンもまた、「アジア人は勤勉で性器が小さい」といった内容を含むジョークを披露していた。)これに対し、アジア系アカデミー会員たちが、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーに抗議の手紙を送った。映画芸術科学アカデミーはこれに対し、「アカデミーは懸念を知らせてくださったことに感謝するとともに、どんな要素であっても授賞式が侮辱的なものになってしまったことを遺憾に思っています。今後の授賞式では、もっとそれぞれの文化に配慮できるよう、全力を尽くします」とコメントした[2]。

【問題発言】より抜粋

いやいや、思いっきり前科あるやん…。

そんなエセ関西弁も飛び出すほど驚いたわけですが、更にこんな記事も発見しました。

 また、Asian Americans Advancing JusticeのトップであるMee Moua氏は、アメリカにおいては人種の話となると、黒人と白人の話になってしまうと指摘する声明を発表している。
 「昨夜の授賞式、特にアジア系の子供たちを巻き込んだ“ジョーク”は、アジア系とアジア系アメリカ人に対する有害なステレオタイプ以上のものを示しており、アメリカにおける人種についての話しの失敗の1つを露呈しています。人種関係とは黒人と白人の2つではない」
 コメディアンたちのジョークは政治や社会の風刺として使われることもある一方で、たびたび問題にもなってきている。その物事や人を対象にし、どう笑いを取り、どう使うか。それは難しく、スキルとセンスが求められることだが、ジョークであれば人を傷つけて良いということは絶対にない。

FRONTROWより

ほんまそれな。

と声を大にして言いたくなる納得の記事でした。

2016年当時のクリスがなぜそのような内容のパフォーマンスを披露しようと思ったのかはわかりませんが、穿った見方をするならば、

「白人・黒人の話題はセンシティブなので避けたい」
 ⇒「アジア人の話題なら問題ないか」

という短絡的思考が透けて見えるような気がしてしまいます。

現に引用の通り、「アメリカにおいては人種の話となると、黒人と白人の話になってしまう」と言われています。
つまり、「アジア人(=黄色人種)は蚊帳の外」なのです。

時を経て2022年。今回のクリスの発言は「人種差別」ではなく「容姿侮辱」に当たるものでした。
問題の発言は台本にはないアドリブで、リハーサルのときにはそのような発言はなかったそうです。
しかし、日本ではウィルに対して擁護する意見が多い一方で、現地であるアメリカでは擁護派・批判派の割合は五分五分だそうです。

米メディアによると、調査機関ブルー・ローズ・リサーチが2000人以上に「どちらがより間違っていたか」をネットアンケートしたところ、所得層別で大きな違いがあり、年収15万ドル(約1800万円)以上では54.2%がスミスと回答したのに対し、2万5000ドル以下では63.4%がロックと答えた。また、高学歴層ほどスミスに否定的な傾向も顕著となった[14]。
日本では「家族を侮辱されたのだからウィル・スミスがビンタしたのも理解できる」という意見が多いのに対し、アメリカでは「手を出したウィル・スミスが完全に悪い」という声が多い理由として、権力と富がある人、政治家やセレブリティーをコメディアンがネタにする「スタンダップコメディ」の文化がアメリカにはあり、また「許される暴力」という考え方がアメリカには存在しない事があげられる[15][16]。

【アカデミー賞授賞式でのトラブル】より一部抜粋

■外見へのジョークでも許容されるワケ
 日本では、他人の外見、とりわけ病気による外見をジョークのネタにしたロックへの怒りが強いように見受けられる。だが、アメリカではそこへの抵抗は薄い。コメディアンらは一斉にロックへの支持を表明したし、この出来事の後、ロックのショーのチケットの値段が高騰したことを見れば、一般人の多くもロックの味方であることがうかがえる。
 なぜなのか。ロックが言ったジョークは、悪趣味かもしれない。しかし、強者が弱者を笑うものではないからだ。もしロックが白人だったなら、彼は大バッシングを受け、しばらく仕事を干されることになったはずである。アメリカではここのところがとても重要だ。
 黒人が白人をからかうジョークは問題ないが、逆は絶対にだめ。ストレートがLGBTQをネタにするのもトラブルの元。
スタンダップコメディアンのデイブ・チャペルは、最近それで問題になったばかりだ。
 だが、権力と富がある人、たとえば政治家やセレブリティーは、思いきりネタにしてもいい。いや、コメディアンからネタにされることを許容できないなら、政治家やセレブリティーになるなと言っていいくらいだ。

東洋経済オンラインより

は、はぁ…なるほど…。
こうしてみると、人種や立場の違いが大きく関係してくるということなんでしょうか。
確かにこれだけ価値観の違いが浮き彫りになれば、日本の価値観だけでこの問題を推し量るのは早計とも思えます。

日本では「はっきり『嫌だ』とその場で言えずに我慢して、後々後悔する」ということを、多かれ少なかれたくさんの方々が経験済みなのではないかと思います。
必死に感情を抑えて我慢してやり過ごすよりも、その場でしっかりと意思表示をしたほうが「勇気がある」と称賛されやすいのかもしれません。
「公平性を重んじる」という性質もありますので、「セレブや政治家は何を言われても許容しろ」というのは、いわゆる「有名税」的な考え方に近いのでは?と思うと、受け入れるのは難しいかなぁと思ってしまいます。

私自身は、
「推し(自担)のプライベートの話は私の人生に直接関わってくるような話ではないので不要」
「テレビやステージ上で本人が見せたいと思っている姿を見られるならそれで十分」
と完全に割り切っているタイプのオタクなので、特に「有名税」のような考え方は苦手かもしれません。

アカデミー賞主催団体は「いかなる暴力も許されない」と声明を発表し、壇上で暴力をふるったウィルの処分を検討しています。
その声明文にある「いかなる暴力」とは、ウィルが犯してしまった「物理的な暴力」だけをさし、クリスが放ったアドリブは「言葉の暴力」ではなく「笑って受け流すのが正解なジョーク」だった、というのがアカデミー賞主催団体の見解なのでしょう。
アメリカの価値観、それに関わってくる人種や立場の関係性…個人的に色々と考えさせられる出来事でした。


2.人種差別のヒエラルキー


すみません、アカデミー賞の話が長くなりすぎました…。
次は前章を踏まえて「アジア人(=黄色人種)は蚊帳の外」について掘り下げていきます。

人種の種類(と言うのもなんだか変な言葉)ですが、現在は大まかに分けると、白色人種・黒色人種・黄色人種と3種に分類されています。
もっと細かく5種に分類されて、その上で「白人とその他有色人種」とものすごく大雑把に区分されていたときもあったようです。

初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアのコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、かつ旧約聖書の創世記1-6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した[11]。
実際ブルーメンバッハは、様々な人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている[12]。

【学説史】ブルーメンバッハの項目より一部抜粋

このブルーメンバッハの考え方が「人種理論の嚆矢(こうし)」(嚆矢=「物事のはじめ」という意味)となっているそうです。
ここまで潔く白人至上主義的思想だといっそ清々しいですね…!
旧約聖書の文言も「白が善」「黒が悪」という、これまた潔いほどのステレオタイプ。
そして、アメリカにおける人種差別問題と言えば「白人と黒人だけの話になりがち」な傾向にあります。

白人>黒人>>>(越えられない壁)>>>黄色人

人種差別におけるヒエラルキーをざっくり表現すると、こんなかんじでしょうか。
インターネット老人会に余裕で参加できる世代なので昔ながら(?)の表現を使ってみましたが、「越えられない壁」を「対岸の火事」と書き換えてもそれほど違和感はないかもしれません。(その話はまた後日別の記事で…)
ちなみに、この壁は「絶対に越えられない壁」というわけではなく、「越えられそうな壁」になったこともあるようです。

例えば、日本の高度経済成長期。経済面で急成長し続けていた日本を脅威だと感じた当時のアメリカでは「ジャパンバッシング」という風潮が漂っていました。

1980年代、日本がバブル景気によって世界的にその市場を広げていた際、世界中の様々な市場が打撃を受けた。アメリカでも例外ではなく、とりわけ家電や自動車の市場が奪われると、その結果アメリカ国内では失業者が増え、その失業者や家族を中心に日本製(Made in Japan)製品の不買運動や日本人敵視の風潮が生まれた(ジャパンバッシング)。中国系住民のビンセント・チンが日本人と間違えられて撲殺される事件も発生している。これはアメリカ経済が立ち直った現在ではあまり聞かれなくなっているが、日本車の躍進で打撃を受けたゼネラルモーターズの企業城下町であるデトロイトでは、工場労働者がアジア系に対し非友好的な態度で接するなど、文化ではなく経済摩擦を発端とするイメージの悪化が根強く残っている[17]。

【アメリカ合衆国の人種差別】アジア系住民に対する差別の項目より一部抜粋

当時の日本は経済的にアメリカの脅威になっていたのですね。
私が生まれたときにはもうバブル崩壊してたので、体感では不景気の時代しか知らないのですが…。

エンタメ業界で言えば、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」がアカデミー賞の作品賞を獲得したことは記憶に新しいのではないでしょうか。
アジアの映画が米アカデミー賞の最高峰とも言える作品賞を獲る、なんてのは夢のまた夢だったわけですが、「パラサイト」は史上初米アカデミー賞作品賞を受賞したアジア(韓国)映画となり、叶わないと思っていた夢を現実にしてくれました。
韓国は以前から国を挙げてエンタメ業界に力を入れているそうなので、その成果が実った瞬間でもあったかもしれないですね。言われてみれば、海外でロケをしていることも結構あるので(「愛の不時着」はスイスのロケ地が有名ですよね!)そのクオリティーの高さにも納得です。

普段は「蚊帳の外」でも、こうしてアジア人の躍進を目にする機会が近年増えてきました。
グラミー賞でも、BTSが賞を獲れば、エンタメ業界の脅威となりうる。
そんなふうに考えている方もいらっしゃるかもしれませんね。


3.ステレオタイプ


説明の要・不要に迷ってスルーしてましたが、すでに何度か出てきたステレオタイプについてお話します。
「ステレオタイプ」とは、ざっくり言うと、先入観・思い込み・固定観念だけで人々をカテゴリー分けすることです。

ステレオタイプは人種に限らず、もっと身近なところでも十分に起こりうるものです。
日本では血液型によってそれぞれの性格のイメージがなんとなく浸透していますよね。ですが、実はこれもステレオタイプに当たります。
血液型で性格を分けて考える「血液型性格分類」は日本特有の迷信だそうですが、血液型占いとか、星座と血液型を組み合わせた占いを見かけたことがある方は結構多いのではないでしょうか。
あとは性別で傾向を分けることもよくあります。「男ってこうだよね」「女ってこうだよね」という固定観念は、間違いとは言い切れない部分もありますが、当然ながらすべての人に当て嵌まるわけではありません。

BTSのメンバーはアメリカに行った際に「お前ら英語喋れるの?」と揶揄された経験があると話していました。

確かに(韓国や中国の方はわかりませんが)「日本人は英語が苦手」というのは自分でも自覚があるのでそういうイメージがあるのはよくわかります。「日本の英語教育そのものが良くない」なんてことも学生の頃からたくさん耳にしてきました。
実際にアジア人自身にその自覚があるのであれば、白人や黒人の方々の間で「アジア人は英語が話せない」という印象を持つのも無理はないのかもしれません。

だからと言って、「アジア人は英語が話せない」というステレオタイプでわざわざ揶揄するというのは差別的行為ですので、許されることではありません。実際にナムは英語が堪能なわけですから、そのステレオタイプは破綻しています。

冒頭でお話した、クリス・ロックが2016年アカデミー賞で披露したパフォーマンスも、アジア人のステレオタイプを前面に押し出すものであり、それが「差別的だ」と批判されて問題となりました。
このように「枠」に嵌めるような価値観は、他人だけでなく自分をも不幸にさせることもあります。
ステレオタイプな価値観に囚われず、もっと広い視野で物事を見ていけるようになりたいものですね。


まだまだ書きたいことがいっぱいあるのですが、長すぎて読みづらくなりそうなので今日はこの辺で…!この続きはまた後日投稿します。
全然本題に辿り着けない!アイドルオタク視点の話がしたかったはずなのに、前提の話だけで一体どこまで書くつもりなんだ!終わりが見えない…!
今年のグラミー賞は何事もないといいなぁ…と願いながら、当日を楽しみに待ちたいと思います。


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