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『ハンス・ヨナス 未来への責任』:現代に生きる我々は未来世代に対してどのように責任を負うべきか?

ハンス・ヨナスという哲学者が最近ちょっとしたマイブームだ。

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ハンス・ヨナスは20世紀のユダヤ人哲学者だ。
同世代を生きたユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントと同様に、欧米では有名な思想家だけど、日本ではそこまで知名度は高くない。

じっさい、ぼくも戸谷先生の『ハンス・ヨナスを読む』を手に取るまでは彼の存在は知らなかった。

そこから『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』と最近出た『ハンス・ヨナス 未来への責任』を立て続けに読んだ。

読む順番としては『ハンス・ヨナスを読む』をまず最初に読むのがいい。いちばん平易な文章で書かれているからだ。その上で、ヨナスのより詳細な議論に興味がわけば『ハンス・ヨナス 未来への責任』を、ヨナスやアーレントの生前について興味がわけば『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』を読めばいいと思う。どの本もヨナスについて大変わかりやすく、そして面白く書かれているので、もしぼくのnoteを読んでヨナスに興味がわけば、ぜひ手に取ってほしい。

以下ではヨナスの哲学の概要を踏まえつつ、自分の疑問点を書いていこうと思う。

【ハンス・ヨナスとは】

ヨナスは20世紀の始まりから終わりを生きた哲学者であり、「未来世代への責任を説いた哲学者」として知られている。
よく「未来の子どもたちのために」というフレーズがあるが、それを倫理学の形で落とし込んだのがヨナスだと言える。

通常の倫理学は「いま・目の前にいる他者」を前提に展開されるわけだけど、当然にして、未来の他者は現在において存在しない。
つまり未来への責任を正当化するためには、未来への責任を「未来の世代の同意を得ることなく」正当化する必要があるわけだ。

ヨナスの主張を簡単に三行で要約してみよう。

① 未来とは「予測不能」であり「対処不可能」であり「回収不能」である。
② 未来においても、責任の主体として人間は存在すべきである。
③ 従い、未来の人間を存在させるための倫理学が必要になる。


まず①について考えてみよう。未来はいったいどのようなものかを考えてみるとき、未来のテクノロジーについて考える必要がある。

テクノロジーは無限に進歩する。科学技術の進歩に限界はない。
なぜなら科学が技術に応用されるだけではなく、技術もまた科学に応用されるからだ。科学と技術は円環の進化構造を持っている。
これは、1940年代に当時の数学者によってコンピューターが開発されたわけだが、コンピューターを使って未知の分野を研究するのは当たり前になっているのを見ればわかりやすいだろう。ヨナスの言葉を借りるなら

「無限の進歩は存在しうる。なぜなら、より新しくよりよいものは常に発見されうるから」

ということになる。

ではテクノロジーは社会に対してどのように影響するのだろうか。

社会を構成する因子はさまざまに絡み合っている。よって、ある方面への影響がじつはべつの方面に影響を与えており、それがまた別の方面に影響を与え、意外な形で実を結ぶことになるかもしれない。そういった影響の経路は人間の理解力を超えて複雑であるために、人間にはどのように影響が現れるのかを予測することはできない(予測不能)
またテクノロジーが予測できない以上、人間にはその影響が生じたときの備えを講じることもまたできない(対処不可能)
そしてそういった影響が一度でも現れてしまったら、その影響をなかったことにはできないし、その影響が現れる前の状態に戻すこともできないのだ(回収不能)

ではどういったテクノロジーが危険なのだろうか。
そう考えてみたとき、だいたいの人は核技術などの「戦争につながりかねないテクノロジー」を思い浮かべると思う。しかし、ヨナスはそうではないと考えた。「一見、平和的なテクノロジーですら、未来世代において壊滅的な影響を与えかねない」、そうヨナスは考えた。

「テクノロジーに関して私を実際に驚愕させたのは、原子力ではなく、まったく普通で、平和的で、利益のために、喜びのために、快適さのために、生活改善のために、あるいは負担軽減のために向けられた現代技術の使用から、まったく意図せず、不可避に生じてくる副作用によって生じるものだった」

ヨナスは「伝統的な倫理学では、テクノロジーの未来に対する影響に責任を持てない。なぜならば伝統的な倫理学は同じ時代に生きる人間の倫理について考えるものであり、未来については考察しないからだ。したがい、未来の倫理学が必要になる」と考えた。

しかしここで難しいのが現在世代と未来世代は相互的な関係にないということだ。未来世代は現在世代によって影響を受けるが、それによって未来世代から現在世代が責任を問われることはない。
また権利の問題も難しい。そもそも未来世代はまだ存在すらしていないからだ。
存在していない未来世代に対して、なぜ現代世代が倫理的な配慮を行う必要があるのか。

ここで「② 未来においても、責任の主体として人間は存在すべきである」について考えることになる。
上記の問いに対するヨナスの答えはシンプルだ。

「未来世代が存在することは、端的にそれ自体で善い、したがって未来世代は存在するべきである」というものである。

ではなぜ未来世代が存在することは、端的にそれ自体で善いといえるのだろうか。

そもそもヨナスがいうところの「現代世代が未来世代に対して負っている責任」とはなんなんだろうか。
ヨナスにとっての責任とは『生命に対する直観的な倫理的配慮』と定義される。
文字通り「直観的な」ものである。そのため、この直観を共有できない人間にヨナスの倫理学はなんの説得力も持たない。

こうした観点からヨナスがあげるのが乳飲み子への責任である。

「生まれたばかりの子ども。その呼吸は、ただそれだけで、周囲に対して反論の余地なく、自分を世話することの当為を向ける。見れば分かることである」

繰り返しになるが、これはヨナスの直観にすぎない。
「そんな直観は認めません」と言われればそれまでだし、実際そう言った哲学者は多数いたようなのであるが、いったんはヨナスの意見を受け入れてみよう。

ヨナスは「人間とはあらゆる動物の中で、唯一、責任の可能性を担う存在」と考える。
前述の通り、ヨナスにとっての責任とは『生命に対する直観的な倫理的配慮』である。そして、すべての生命は責任の対象足りえるが、責任の主体は人間でしかありえない。つまり、責任が可能であるためには、人間がこの世界に存続しつづけなければならない。人間なき世界に責任は存在しえないのだ。

「あなたの行為の影響が、地上における本当に人間らしい生き方の永続と両立するように行為せよ」

この考えはヨナスの倫理学の根幹である。責任のキャリアーとしての未来世代に対し、倫理学的な責任を現在世代の我々は持たなければならない。ヨナスはそう考えた。


【個人的な疑問点】

つらつらとヨナスの倫理学について書いてみた。ここからは個人的な疑問点である。

ヨナスは「責任の対象は生命であり、責任の主体は人間でしかありえない」というコンセプトから、未来世代への倫理学を説いた。

では未来世代への倫理学はどのように実践されるべきなのであろうか。テクノロジーは無限に進化する。従い、未来は予測不可能である。そうなると、未来に起こりうる悲劇の回避そのものが不可能になるのではないだろうか。そうなると、現在世代が未来世代への責任を担うことはそもそも可能なのであろうか。

これに対するヨナスの答えはシンプルだ。
「想定しうる未来のシナリオの中から最悪のものを選択する」ことで、現在世代は未来世代への責任を(少なくともある程度は)果たすことができると、彼は考えたのである。

しかし前述の通り、未来が予測不可能であり、テクノロジーが無限に進化しうることを考えると、「想定しうる未来のシナリオの中から最悪のものを選択する」ことによって、現代の自由を無限にせばめることにつながらないだろうか。
ざっくり書くと、「将来になにが起きるかわからないから、なるべく節約して、可能な限り貯金しよう」という考えである。しかし、貯金をすることで、現在世代の利益が損なわれてしまうのであれば、その定性的・定量的な貯金の基準はどこにおくのだろうか。未来世代の倫理学は現在世代の利益を無限に損なうことに理論上はなりはしないだろうか。

また「存在しない未来世代を、そもそも現在世代の論じる倫理学の対象にすべきなのか」という疑念もある。
実際、同世代のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは、彼の倫理学をこの点から批判した。「そもそも熟議とは成熟した大人が行うべきものである」というのが彼女の主張であり、ぼく個人もこの考えに同意している。
「そもそも人間の存在を絶対的な倫理的基礎に置くことが果たして本当に正しいのか」について、Yesと答えるのか、そうではないと答えるのかで、ヨナスの倫理学に対する受け入れ方は異なってくるだろう。

むろんぼくは「未来への責任を一切放棄しろ」という考えを持っているわけではない。そうではなく、現代に生きる我々は未来世代にしばられるべきなのか。もしそうであるなら、その基準はどこに置くべきなのか。
あるいは、現在世代が未来世代を慮ったとしても、それは「未来の倫理」ではなく、あくまで「現代の倫理」から「結果的に」そうなるべきではないのか。これがぼくの疑問である。

ここまでつらつら書いたが、ぼくは戸谷先生のヨナス本を読んだだけで、肝心のヨナスのテクスト自体にふれたわけではない。
ぜひ以下の書籍を買いたいのだが、高い。高すぎる。

この記事を読んだ人は、ぜひぼくにヨナスの『責任という原理』をプレゼントしてください。宜しくお願いします!!!これが最後に言いたかっただけのnoteでした。

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