幽遊白書――雷禅の名言について

一回書いた題材ですが、もう少し雷禅の話をしたいと思います。

今回は、雷禅の最後の言葉にして雷禅というキャラクターといえばこれだという名台詞についてです。

雷禅は魔界最強の妖怪で、しかもその力を競うのが大好きだったのに、ある時突然絶食を始め、どんどん弱っていく。

幽助の遺伝上の母にあたる人間の女にまた会いたいというのがその理由です。でもその女は出産後すぐに死んでしまいます。

霊界でも細かい魂の行方までは把握していない中で、また会えるまで人間は食べないと勝手に決めた思いつきを頑なに守り続ける。

大妖怪のスケールといえばそれまでですが理論的に滅茶苦茶な話で、気が狂っているとさえ思えます。

サンジの作る飯しか食いたくないから戻って来なきゃ餓死してやるという主張ならわかりますが、女に会えなきゃ餓死するというのはどうにもおかしい。

女に惚れた理由と雷禅の人食い妖怪としての性質が密接に関わっているので、一応断食を決め込む心情的な必然性はあるのですが、理屈の上では全く筋が通らない決めごとです。

だからこれは、生きているうちに会いに行かなかった自分への十字架であると同時に、いつしかよく似た生まれ変わりに出会えることを信じての祈りでもある。

そしてその祈りのために自らを痛めつけ、ついに死に至ったその姿が実に人間的だったと、そういう話を既にしました。

これはまくるめさんの言う3つの筋、すなわち理論・社会・呪術のうち3つ目の呪術軸においてのみ筋が通っている行動です。

子供が道路の白線の上以外は全部崖と自分ルールを作って頑なにその上を歩くのとあまり変わりません。

僕は小さい頃、そのルールを守っていさえすれば好きな子と結婚できると勝手に決めていましたが、それは決定というより願掛けに近いことは当時からわかっていた気がします。

そのような呪術的な祈りの果てに意地で弱り続けていった雷禅は、幽助に母親の話をしてこと切れるのですが、その時のセリフが『幽遊白書』屈指の名台詞となる

「あ————……ハラへったな…」

なんです。いたってシンプル、誰もが使える、けれども深い。そしてそのシーンには静けさの中に不思議とインパクトがある。

何気なくそう呟いたのを友達に聞かれると、1985〜1990年生まれくらいの世代であれば誰かしらが『幽白』の話に繋げるんじゃないかと思います。

この時の雷禅は幽助に昔話をしていたのですが、事切れる間際は意識が朦朧としているようで、ほとんど独り言の垂れ流しのようにしてこぼれ落ちた台詞です。

これが名言だぞと強調することもなければ、単純な話でかっこよくもない、そんな台詞なのに読者の心に残っているわけですね。

それはこの時の雷禅の心情なり生き方なりに何がしかの感情を強く刺激されてのことなのでしょう。

では、この時の雷禅の心情はどのようなものだったのか。

あるいは、雷禅は大妖怪としてこの最期をどのように思っていたのか。

それは確実に、幸せだったと思うんですよね。

確かに、後悔はあるでしょう。

悔やんでも悔やみきれないでしょう。

過去の自分の行動に対して許せない思いがあるでしょう。

会いに行かなかった、あるいは再び会う約束さえしなかった自分には、決して恩赦を出しはしないでしょう。

最強の妖怪として、どんどん弱っていく自分の力を全く嘆かないということはなかったはずです。

隣国としのぎを削る大国の国王として、不甲斐ないという思いも無かったわけではないはずです。

それでもなお人間を食べずにいた、意地を張り続けた、祈りを絶やさなかった。

そこには確かな達成感と、もしかしたらささやかな祝福めいたものが、あったに違いないと思うのです。

そしてそれほどまでに力を費やし、思いを向けて、激しい悔恨を生じさせる相手と出会えたこと、そして子孫を残せたことというのは、実に幸せな話ではありませんか!

だからきっと、意識は朦朧とし、正気もままならない状態だったとしても、「ハラへった」とうわごとのように呟いた時の雷禅は幸せな達成感に包まれていたのだと思います。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。