僕らのトラウマギーグは本当におっぱいなのか?――『MOTHER』

 ギーグについて考える日というのが定期的にやってくるのですが、今回初めて何か掴めそうだったので、おっぱいだといいな、と思いながら今までの考えをここに綴っておきます。

【ギーグとは?】
 任天堂のRPG『MOTHER』3部作の1作目と2作目のラスボスで、スマブラでお馴染みのネスによって滅ぼされた邪悪な宇宙人である。謎を解かないと永遠に倒すことができないギミックや、2作目での強烈なビジュアルやセリフは今でもゲームファンの中で語り草となっている。
 2作目と書いたのは、両作におけるギーグは同一個体とは思えないほどに姿形が異なっているからなのだが、製作者の糸井重里氏はインタビューにて両社が同一個体であることを明言しているらしい。
 また別のインタビューでは、2作目でそりゃあもうひどい有様となっているギーグについて、「あれはオッパイなんですよ」とも答えており、その斜め受けをいく回答がファンをますます混乱させた。

 今回は、1作目から2作目への変遷を、この謎めいた「おっぱい」のキーワードから考えていきます。


【1作目のギーグ】
 二足歩行の細長い白猫のような見た目をした宇宙人で、母星より地球侵略の命を受け襲来する。拒食症になったキラークイーンのスタンドといったらイメージが付くだろうか。培養液のカプセルに入った状態から正体不明の超能力で攻撃してくるのだが、主人公らの攻撃はまるで通らず、普通に戦っている限り絶対に倒すことが出来ない。
 侵略を生業とするギーグの種族には、目を付けた星の知的生命体を拉致して未来の侵略担当となる幼体を育てさせる性質がある。ギーグは地球人に育てられているわけだが、この作戦が仇となり、弱点を突かれて撤退を余儀なくされるのが1のストーリーである。
 その弱点とは、ギーグが幼少期に聴いていた育ての親の子守歌。主人公たちは冒険の中で復元した子守歌を合唱し、ギーグに戦闘を放棄させることに成功する。ギーグ本人はなぜ自分がそうなったのか、わかっていない様子だった。

【2作目のギーグ】
 再び侵略を開始したギーグは、意志も肉体も自らの邪悪な力に溶けてしまい、猫のようだった原形はどこにもなくなっている。その姿は、多数のドス黒い血にまみれたドクロのようなシミが画面の隅々まで広がるって、脈打ち蠢いているというもの。
 視覚的な恐怖や嫌悪感をバリバリに刺激してくる見た目がトラウマになっているプレイヤーも多いことだろう。「イナクナリナサイ」と呼ばれる不安を煽りに煽るBGMと、突然放たれる意味不明なセリフも、通常の人生では中々与えられることのない衝撃で心の奥深くまで抉ってくる。
 「イタイヨ」と訴えてきたかと思えば「キ モ チ イ イ !」と突然絶頂し、「ネスサンネスサンネスサン」と主人公の名前をメッセージウィンドウいぱいに連呼してくるのだ。ギーグは勿論、その先にいる『MOTHER』を作った人間への、驚異的に異質な恐ろしさに突き刺される瞬間である。
 長らくその恐怖の人物とは糸井重里だと思われてきたが、インタビューによって、糸井さんが子供時代に間違って見てしまったポルノ映画で揉みしだかれていたオッパイであることが明かされた。

 僕の知っているオッパイというのは、丸くてふっくらとしていてポヨンと柔らかい、かわいい物体のことなんだけど、そのオッパイがどういうわけで、あの血みどろ髑髏になるのだろうか?


【ギーグが何故おっぱいなのか?】
 2のギーグって、抑圧に弾けるしかなかった無力な人格だと思うんですよ。痛がる自分と気持ちよく感じる自分。二つの異なる立場にすり潰されて血だらけに爆ぜてグチャグチャに崩壊するしかなかった人格。そういう要素でギーグは揉みしだかれるオッパイと繋がっているんじゃなかろうか。

 1のギーグは圧倒的に強く、人類を簡単に消し去れる存在であると完全に見下しているんだけれども、その記憶の中には思いがけずに幼少期の奇麗な思い出が確かに残っている。それも穏やかな安らぎの形で残っている。それは侵略や戦闘とは対極にあるもので、邪悪生物の辞書にない、根源的に相容れない感情なのに、ギーグ自身の理解を超えた部分で存在の奥底に食い込んでしまっていた。
 邪悪な生まれと殺戮者としての使命。一連の流れを阻害するように入り込んだ、穏やかで愛に満ちた育ち。正と邪、相反するそれらがひしめき合う中で圧し潰されていったギーグという人格にはもはや成す術はなく、、膨大な負の精神力に存在を同化するしかなかった。それが2のギーグです。
 1で撤退したギーグがその後どうなったのか、どんな気持ちで逆襲を試みるのか、続編の構想でギーグの葛藤に思いを馳せた糸井さんの脳裏によぎったのが、あのオッパイの映像だった。自分にはどうすることもできない圧倒的で絶対的な外部からの力に蹂躙される、個の感情、個の存在。糸井さんはそれらの象徴として、無理矢理揉みしだかれるオッパイを我々に提示したのでしょう。
 単なる狂気のキャラ付けではなく、我々の多くが人生の中で大なり小なり感じることになる、理不尽と不条理がベースにあるからこそ、ギーグというキャラクターはゲームのトラウマとしてここまで数々のプレイヤーから支持を受け、これからもその心からイナクナラナイのでしょう。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。