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ゴールのそばに、いつもコーチがいた。

ZaPASSコーチ養成講座でコーチングを学び、Stepup編まで終わりました。

振り返ってみると、私の人生は、私の強みを認め、伸ばし、支えてくれたコーチたちがいたからこそ、自分が目指していた以上の成果を出すことができました。

私を支えてくれたコーチたちについて、長いですが書いていきます。

1.他人と同じことをするのが嫌いなこども時代

私が「自分」と向き合うことになったのは、3歳になって幼稚園に入園した、その日のある違和感からです。

まず、「制服を着ろ」と言われたのが嫌でした。それまでは自分がその日着たい服を着ていたのに、毎日同じ服を着ろと言われたのです。

そしてキリスト教の幼稚園でしたので、登園すると「お祈り」の時間がありました。私はみんなとおしゃべりしたいのに、だまって「お祈りしろ」と言われました。

うるさくすると迷惑になるので、仕方がないので黙ってお祈り(のふり)をしていました。「まだかな・・・」と薄目を開けて、周りを見ながら。(神様ごめんなさい)

確か、みんなで集団で動いているときに、勝手にトイレにいって列を抜け、先生に「どこへ行っていたの!」と怒られたこともあります。困った子どもですね・・・

その後小学校に進んでもみんなと同じことをするのが嫌いでしたが、それでは集団生活ができないので、ある程度あわせていました。

こんなかんじで、「自分は他の人と同じでいたくない」という気持ちが強かった子どもでした。

2.中学時代:ソフトボール部のNコーチ

私とコーチの出会いは、中学時代に遡ります。私は中学の部活でソフトボール部に入りました。

ソフトボール部に入部したのも、今思えば「他の人と違う、自分らしい強みを持ちたい」という動機から、元々野球が好きだったのでやってみようと思ったからです。

1年生が終わったタイミングで、長年ソフト部を指導していた監督が他校に転勤になったため、外部からコーチを呼ぶことになりました。

なりましたと書いていますが、私より1年上の先輩方の親御さんたちが当時一生懸命探してくださったようで、特別支援学校で先生をされていたN先生がコーチに就任されました。

1年上の先輩方は夏の県大会に出場後引退され、私達の代になった2年生の夏、そのN先生は言いました。

「お前たちも、来年県大会に絶対に出場するぞ!」

N先生は、早速夏休みに練習試合をたくさん組み、まだチームとしてバラバラだった私達に実戦経験をたくさん積ませてくれました。

事あるごとに「県大会に行くんだ!」といい、やる気がないプレーには厳しく叱り、できた時にはこれでもかとほめ、励ましてくれました

今思えば、ご家族やご自身のお仕事もあるのに、土日返上、夏休みも冬休みも、春休みもほぼ毎日部の指導に来てくれたのです。大人になったいま、それがどれだけ大変なことか、情熱がなければできないことかと感じます。

多感な中学生女子の軍団ですから、先生に反発することもありました。先生は決して私達を見捨てず、粘り強く指導してくだった結果、目標としていた県大会出場を果たしたのです。

N先生がいなければ、私達のチームはバラバラ、県大会なんて夢のまた夢の実力だったと思います。

このNコーチは、私達チームメンバーの個性を1人1人認め、強みを見つけ、それを本人に何度も伝え、一生懸命伸ばしてくれました。ポジションも、「なぜお前がここのポジションなのか、それはお前の○○の強みが生かされるからだ」と伝えていたように覚えています。

サードなら人一番負けん気が強い、キャッチャーなら周りを見る視野が広い。センターなら、声が大きくて盛り上げ役。などなど。

私のポジションはピッチャーでした。私は先に書いたとおり協調性がないので、なかなか周りとの連携プレーが苦手でした。ピッチャーも連携プレーがまったくないわけではないですが、メインは打者にボールを投げることです。投げるボールのキレを磨けば磨くほど、ストライクを取れるようになります。1人で熱中するタイプですから、いろんな投球方法を自分なりに研究し、打者を抑えることができるようになりました。

このN先生は13年前に他界されました。当時私は京都の大学にいって地元を離れており、最後のお別れができなかったのが今でも後悔です。

3.高校時代の日本史・S先生

こんな個性が強い私ですので、地元の高校(当時は学区制だった)に通うという選択肢は1ミリもありませんでした。

どんなきかっけで見つけたのか忘れましたが、当時創立6年目の新設校で学区のしばりがない、単位制普通科の高校に出会いました。

校則がない、制服もない、時間割もない(大学と同じで、シラバスから自分で選ぶ)。自分が求めていた環境でした。ここしか入学したい高校はないと思い、必死に内申点を上げ、幸いなことに推薦で合格。

この高校の生徒はみなユニーク。個性豊かですが、自分の個性を大事にしたいからこそ、他人の個性を認めう風土がありました。いじめもありません。みなが好き勝手なことをしていますが、ゆるやかな連携もあります。

この高校では3年生で「テーマ研究」という、大学の卒論のようなものを書きます。テーマは自由。論文を書く人もいれば、作曲をしたり、舞台をつくったり、衣装をつくる人もいます。私は日本史や大河ドラマが好きだったので「武士精神」について研究するという、なんとも勇ましいテーマを選びました。

ゼミ(のような時間)の担当になった日本史のS先生は、私の研究テーマについて次のような指導をしてくれました。

・調べ方を教える。
・調べ方の視点、切り口のバリエーションを教える。

そう、S先生は決して答えを教えません。考え方を教えてくれたのです。

この視点を調べるなら、こんな教授の本がある、こんなテーマの本を読んだらどう?など。。。

その先生が教えてくれる視点が面白くて、私は受験勉強もそっちのけに研究論文をかきあげました(結果、浪人するんですけど・・・)。今読んでも、高校生にしてはしっかりした文章ではないかと自負しています。

こうやって、高校時代は「自分で考え、自分で判断し、自分で行動する」ことを存分に伸ばした期間でありました。

4.大学時代:居合道部のコーチ

大学では居合道部に入りました。学生時代、なんでもいいからなにかで1番になりたいと思い、初心者から始める人が多い「居合道」を選びました。

私が所属していた大学の居合道部は、学生居合道界で一番歴史がある大学であり、全日本大会(インカレ)でも団体優勝回数は今でも歴代一位です。したがって歴代の先輩方が掲げていたように、私も「個人戦・団体戦優勝」という目標に向かって日々稽古をしていました。

しかし、2回生まではレギュラーになれず。3回生でなんとかレギュラーメンバーになるも、西日本大会でも全日本でも、優勝はできませんでした。

3回生の全日本大会では、個人戦にも西の代表として出場しましたが、1回戦敗退。これが本当に悔しくて、今まで何をしていたのだろうと呆然としたことを覚えています。

その年があけた年賀状で、当時部のコーチをしていた先輩から、ある年賀状が届きました。その年賀状には「部のエースとして期待しています」とだけ書かれていました。

この言葉で私の意識は180度変わりました。絶対に後悔したくない。今度こそは全日本で団体戦・個人戦優勝するんだ。他のうまい人に引け目を感じている場合じゃない、私が自分でやるんだ

4回生になってからはそれまで以上に稽古に打ち込み、先輩たちも必死に教えてくれた結果、その年は団体戦と個人戦両方で優勝。これは部にとっても10年ぶりのことでした。

私の学生時代、私の可能性を信じ、支え、伸ばしてくれたコーチたちがいたからこそ、私は自分の強みを活かし、信じることができたのだと思います。

5.銀行(支店)時代:コーチがいない!!

私の強みを信じ、支えてくれたコーチ。社会人になって銀行に入行すると・・・そんな人がいなくなりました

しかも、仕事は全て手順が決まっています。仕事を手順通り、素早く、間違いなくすることが最も求められる仕事です。

それまで学生時代で伸ばしてきた私の強みである「自分で考え、自分で判断し、自分で行動する」ことが一切できなくなりました。これが非常にストレスでした。自分がしたいようにできないし(銀行ですから、当たり前ですね・・・)、そもそも仕事の進め方もマニュアル通りが原則、マニュアルにないことであれば上司の許可が必要だったからです。

人事制度で「メンター制度」があり、5年上の女性の先輩がついていましたが、この人は職種が違ったので「私は職種が違うからなあ・・・ちょっとわからない」と話を聞いてくれませんでした。

私は試行錯誤が好きですから仕事も遅く、怒られて素早くやろうとすると、今度は間違えて怒られました。メンター役の先輩も上記のように悩みを聞いてくれません。

案の定2年半で「適応障害」になり、会社にいけなくなりました。半年休職ののち、支店から異動して本部配属になりました。

6.銀行(本部)時代:強みを認め、伸ばしてくれた上司

銀行では、休職をするともう人事に「バッテン」がついたようなものです。もう昇進できる見込みもないし、支店の仕事も嫌いだから戻れない。とりあえず異動先で仕事をこなしながら、どこかに転職しようと考えていました。

そこに、上司Kさんとの出会いがありました。

Kさんはメンバー1人1人の強みを見出し、その人のよいところを伸ばそうとしている人でした。
私には、事務的な仕事だけではなく「自分で考える仕事」を任せてくれたのです。

任された仕事は、当時声高になっていた働き方改革の一つで、TV会議システムを全営業店に設置する仕事です。Kさんは大きな要件定義と役員への予算承認までとったあと、「あとの設置はお前ね」と、まるっと任せられたのです!!

TV会議システムの設置工事の手順、システムの細かい要件設定、マニュアルづくり、活用の仕方まで全て前例がない仕事です。今思えば「自分で考え、自分で判断し、自分で行動する」ことを求められた仕事でした。

設置には本部の他の部や、もちろん営業店との調整もたくさん発生しました。調整で失敗して支店長から怒られたら、Kさんも一緒に謝ってくれました。無理強いをいってくる支店長には、逆にKさんが強く言ってくれたりしました

全店にシステムの設置が終わった時、私はくじかれた仕事への自信を取り戻すことができたのです。

この仕事がきっかけとなり、より経営を網羅的に学びたいと中小企業診断士の勉強をはじめ、今に至っています

7.チームメンバーの強みを認め、伸ばすリーダーを増やしたい

ZaPASSのコーチ養成講座では「クライアントの可能性を信じる」をいう言葉を何度も講師から聞きました。

人にはそれぞれ個性があります。強みがあります。

でも、その強みとなる個性も、会社にいるリーダー、特に経営陣や中間管理職が潰してしまう、または無視してしまっては、伸ばすことも活かすこともできません。

私が自分以上の力を出せたとき、側には「自分らしさと強みを認め、信じて伸ばす」コーチがいつもいました。人一倍自分の個性が強い私だからこそ、コーチの存在は大きいものがありました。

コーチとの出会いがあったからこそ、私は自分の強みと出会い、未来へ続く道への出会いがあったのです。

私はコーチングを通して、そんな私のような個性が強い人材、カラフルな人材を活かし、伸ばし、認めるリーダーを増やしたいと思います。

そうすれば、日本の企業・チームから数多くのイノベーションが生まれ、日本の競争力をより高めることができると思うのです。

日頃さまざまな中小企業にお会いする中で、イノベーションを生み出す組織には、メンバーの個性を認め合い、様々な意見や考え方をぶつけあう風土があります。その中には、個性を活かすコーチのようなリーダーが存在するのです。

そのリーダーは決して経営者だけではありません。むしろ、係長や主任といった、経営者と現場をつなぐリーダーがうまくピンのような役割をするからこそ、イノベーションが加速するのです。そんなリーダーをコーチングで増やしていきたいです。

長くなりましたが、これがコーチングへのLOVEです。

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