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出産の本当の意味

私が生まれた時、狭い病院の個室で助産師に抱え上げられて、良かれと思いその人は母親と私を繋ぐ臍の緒を切り、肌を守る母親の血を水で洗い流した。

この記事では、「人間の出産」の話をしたいのではなく、循環的な自然医学を考えたいからこそ、その始まりである「生物の出産や発生」に焦点を当てたい。人間の出産の意味は男性である執筆者では網羅できない。そのような神秘的体験はほぼ全ての母親が体験している。故に私よりも自分の母にでも聞くのが適切である。
私がこの記事で問いたいのは人間の野生的出産とは何なのだろうか?という疑問である。現代人において多くは病院で生まれて、家庭での出産を行う場合も多い。しかし、そのほとんどは私達が失った野生的感性の成す出産ではない。ここでは、あくまで西洋医療的な安全性を軽視して
病気を発生させない為の循環を考える事を主目的とした出産の話をする。

まずは、人間に最も近い猿という動物の出産だ。
猿は分娩直前になると、背中を丸め、お腹に力を入れる。
そのうちに胎児の頭部が見えてくる。
娩出の瞬間には、外陰部に手をあてがい、赤子の頭や両肩を持って
腹の前にするりと引き出す。

生まれたばかりの赤子を舐めてやり、
それにより鼻孔に付着する羊水などが取り除かれやすくもなる。
猿は基本的に一匹で出産を完結して、
出産後も腹の前に抱えた我が子を片時も離さない。


猿のような動物の出産の場合は、
生まれてくる個体数も少なく、自然的な循環と呼ばれるものは
目に見えて起こることは少ない。


ただ、卵として動物を産み落とし母親がその子らを育てられない生物も
少なくないのである。例えば、鮭という魚がいる。
この鮭という魚の一生とその出産行動は自然的循環を多く引き起こす。
鮭の親は川の上流で出産を行う為に、海から川を上り、
川上の場で生き残ったものと性行為を行い。力尽きる。

両親が出産時に力尽きる生物の多くは、出産する卵の数が多く、
捕食されても幾らかは自然界を生き残れるような構造になっていて生まれてくる稚魚が他の生物の餌ともなる。

また、力尽きた鮭の親は自分の體を、川上の動物達に喰わせることによって
その糞が廻りまわって川にプランクトンを発生させて、それを鮭の稚魚たちが食べるのである。

この循環を鮭の親自体が意図しているのか、知っているのかは分からないが、親の血肉が子を育てる循環を形成したのである。
私が問いたいのは、この循環のことだ。

子供を野生動物に食わせろと言いたいわけではない。
親が死んで子供の血肉になることを勧めるわけでもないが…
私達は現代文明に生まれた時から、認識できないような小さな自然的循環の可能性を放棄している。そこには西洋医療が出産に介入することによって
生存確率を高めてきたというお墨付きがあってのことである。


では、問いたいのだ。
野生動物達はどれほど出産行動で、母体と胎児が死んでいる?
私達は本当に自然循環に沿った人間的な出産をした上で、
出産時の安全性などと言っているのだろうか?

昔は塩素消毒も行われていないバクテリアが繁殖した水道水で子供を洗っていただろうし…手を洗う習慣も少なく、その為に病気になることも多かった。昔と今とでは衛生環境が全く異なるのである。

それに不自然にできた作物などを食べて、栄養不足になった作物を過剰に食べる必要が生じた体に…テレビやインフルエンサーに感化されて過剰なダイエットを行って…そんな母親が現代では多く増えて病気になり…
何も根本的な問題を解決しないままに西洋医療に頼り、医科学が遺伝的であるから仕方ないなどと太鼓判を押して、障害児を出産した母親を許容してしまっているのではないか?

その母親を責める為に言っているのではない。それが当たり前になってはいけないということだ。人間の目は節穴になっている。野生動物が障害児を出産することはほとんど無い事を一切考えていない。野生動物が食物アレルギーの赤子を産まない事を一切考えていない。

障害児を出産した母親とは、それまでに野生的な人間性を放棄し過ぎた人間の成れの果てなのである。それを勧めてしまっている現代文明に問題があることを未来の子供達を思うのであれば認識しなければならないのではないかと私は思うのだ。

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