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先生がくれたもの


1993年、小学3年生の時。私が書いた作文が地区の国語教育研究部主催の『ひろっぱ』という作文集に載ることになった。各小学校から1〜2名の作文が掲載される、選ばれし者の本であった。

「亀山さんの作文が選ばれたからね」と担任の黒田先生に言われた時は、なんとも言えない高揚感でいっぱいだった。嬉しかった。

後日職員室に呼ばれ、母と2人で詳細を聞きに行った日のことを鮮明に覚えている。黒田先生が椅子に座っていて、「こちらがその作文です」と、母に原稿用紙を見せてくれた。私はすでに何の作文か知っていたので、隣でそれを読み進める母を見上げながら私のほっぺは真っ赤に膨れてリンゴのようだった。口をんっと閉じていても勝手に口角があがってしまう。

「それで」と黒田先生が続く。
「少し、訂正する箇所はあるんやけどね。作文の内容は変わらないからね。」と、母が読み終わった原稿用紙を私に見せてくれた。

私の言葉は、ひらがなは、漢字は。
赤ペンで塗りつぶされていて一面真っ赤だった。

今ならわかる。誤字脱字は当然のことながら、無駄に多い読点がどれほど文を読みにくくさせるか。不必要な接続詞や繰り返される同じ単語を削ることの大切さ。倒置法のような技法なんかもアレンジされていたように思う。

職員室に呼ばれたのは、先生の添削後の作文での掲載で問題がないかの確認だったのだろう。

(これは私の作文じゃない)

と、若干9才の私はハッキリとそう感じた。

その後のことはあまり覚えていない。
全校集会で校長先生に呼ばれ、前に出て紹介されたような気がする。母はひろっぱを何冊か買って親戚に配っていた気もする。

でもどれもボンヤリしていて確かじゃない。確かなことは(これは私の作文じゃない)ことだけだった。

そんな出来事などすっかり忘れて大人になった23才だか24才のころ。

最寄りのバス停で降りて家に向かって歩いていた冬の夜道、知らない番号からの着信でポケットが震えた。

不審に思いながらも出ると、黒田先生だった。

自宅に電話して私の携帯番号を聞いたそうだ。黒田先生と分かった瞬間にひろっぱのことを話されると直感した。すでに目頭がうるんでいた。ばれないように鼻はすすらなかった。15年ぶりに聞く黒田先生の声。こんなだったかなぁ。でも、すらすらと共通の話ができてるってことは、黒田先生で間違いないよなぁ。

「・・・あのね、今日電話したのはね。・・・あの時のこと、謝りたくてね。先生ずっとモヤモヤしてて。きっとあの時、亀山さんを傷つけたって。本当にごめんなさいね。今更になるんだけど、本当にごめんなさい。」って。黒田先生はひたすら謝っていた。

私は、「え!?ぜんぜんいいですよーお!なんにも気にしてないです、そんなことあったかなぁ、そんなのぜんぜん大丈夫です!!!わざわざありがとうございます!!」と、その日1番の元気な声でハキハキと答えた。目の前に黒田先生はいないのに、ぺこぺこと空気を切りながら何度も頭を下げて笑顔で応答した。

それから黒田先生が今どこの小学校にいるのかとか、教え子の○○君とはいまだに年賀状のやりとりがあるなどの世間話をして、電話を切った。

切った瞬間、とめどなく泣いた。暗い田舎の夜道を、家まで歩きながら、あんなに泣いたことはないくらい大声でしゃくりあげておいおい泣いた。

正直あの頃の自分は色んなことがうまくいってなくて情けないくらいに怠惰な毎日を送っていて、黒田先生の「元気にしてる?」「今何してるの?」にも堂々と答えられなくて、謝ってもらえるような人間じゃないんです、あの頃みたいなピュアな私じゃないんです、先生の知ってる私じゃないんです、と、ただただ情けなくて恥ずかしくて不甲斐なかったのだ。

と同時に気持ちに蓋をしてきた9才の自分と初めて向き合えて、あの時感じた思いはまちがってなかった、先生も分かってくれてた、私は悪くなかった、よかったね、あの時の自分よかったね、って9才の自分を抱きしめるような感覚で、いろいろぐちゃぐちゃでそりゃもう情緒も顔面も大変だった。

あの電話の日から15年も経った今どうしてこのことを書きたくなったのかというと、あの時の私は自分を偽ることしかできなかったなぁ。自分の気持ちにウソついちゃってたなぁって。本心をさらけ出せなかったなぁって思って。

先生、そうなんです。私悲しかったんです。
あれは私の作文じゃないって思ったんです。
でも言えなかったんです。
先生もお母さんも、すごく誇らしげだったから。すごく嬉しそうだったから。
それを言えなかったことも悲しかったんです。
くやしかったんです。
ずっとモヤモヤしてたんです。
傷ついたまま、大人になっちゃったんです。

でも、先生が電話してくれて嬉しかった。
先生が謝ってくれて、嬉しかった。
たくさん泣いて、あの時、傷はほとんど
癒されました。誰も気付いてないと思ってたけど、置いてけぼりにされたと思ってたけど、
やっぱり先生は気付いてくれてた。
それだけで、私の心は癒されたんです。

だけど私ウソついちゃったんです。
電話の時の自分は正直じゃなかったんです。
だからもう一度会いたいんです。
会って直接話したいんです。
今の私ならぶつかれると思うんです。
30年かかりました。
先生が担任だった時、何歳だったんですか。
もしかしたら、今の私はあの時の先生の年齢をすっかり追い越してるかもしれません。

後悔したくないから、行動します。
大好きな黒田先生、行動します。

ただただ書きたくて書きました。
ただただ書きたくて書いていいんでしょうか。

正解はわからないけれど、書かせてください。

ありがとうございます。
おやすみなさい。

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