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皆無の長(おさ)

例えばクラスに「ねこ」「ポテト」「お餅」の3つの女子グループがある場合、それぞれに独特の空気感と結束感がある。ねこはねこ、ポテトはポテトで刻んできた歴史もある。ねこはねこで努力してきたし、ポテトもお餅もそうなのだ。

私はわりとグループ所属が苦手な人間だが、それなりにねこに属したし、別の場所ではポテトに属した。しかしグループ属性の中で常に異端児な存在だったと思う。

決してお餅を焼く網の上で私だけが火の当たらないはしっこに追いやられていたわけではない。四角い餅の中で私だけ丸かった、けど餅はみんな仲良し!という感じである。一度網に乗ると他の餅は私の存在を認めてくれるし、私も居心地がいい。火にかける時に網からころげ落ちてカピカピになる場合は居心地が悪いので、そこには属さない。

良かれと思ったことを思いつきで提案する時に限ってグループの長から一蹴され、言わなければよかったと反省することは多々あった。
それを繰り返してきた学生時代だった。
良い意味で慣れていった。


思い出したことがある。
高1の文化祭、クラスで慎吾ママのおはロックを踊ることになった。

当時のクラスにダンス経験者はいなかったが、だからこそ今まで開花されずにきたダンスの構成やフォーメーション作成のアイデアに光るモノを持つ人材が明らかで、その中から1人が自然とリーダー的存在になっていった。

空気を読めないダンス才能皆無の数名が「そこにコレを入れたら?」「アッ!ここでこうすれば?」と、余計なところで思いつきで口を出す。その内の1人が亀山である。

私は何もない平坦な道で自分の足と足を絡ませてズッコケて骨折した経験を持つ、ダンス才能皆無の長ともなれる人材である。

皆無の長がいらんことを能天気に発言するものだから、本番が近づくにつれ優しかったリーダーにも焦りと苛立ちがまとい、とうとうある日皆無の長を一蹴した。

おかげで文化祭は大成功、クラスの絆も深まった。

私は他に口出しする皆無の数名に対して(も〜未経験者が余計なこと言わんでいいのに)なんて思っていたので、それはもう見事なまでに真の皆無の長である。タイムスリップしたら「未来の長だよ」と言って長を教室から引きずり出したい。

そんな苦い思い出もあるのだが、大人になってもいいアイデアが浮かんだ時についその瞬間に放り投げたくなる衝動に駆られる。思いつきで投げてしまうところを歓迎してくれる場合もあれば、やっぱり今じゃなかったという場合もある。

それがクラスの友達じゃなくて一緒になにかを作っていくものであればやはりそれぞれの本物の長のイメージ、つくりたいもの、目指すものをしっかり理解した上で発言してゆくのがいいなと思う。今だ!という時を見計らって発言するからこそ採用される案の方が断然多い。

皆無の長も皆無の長なりに成長しつつあるのだろうか。そうでなくちゃ困る。

なお、今回例にした「ねこ」「ポテト」「お餅」は全て私の大好きなもので今たまたま浮かんだ順につけたグループ名である。

マクド買いにいこ〜


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