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インタビュー vol.02:おたづきの昔の風景を子供たちにも伝えたい〜おじいちゃん編

変わりゆく小田付と、変わらないものを探そうと始まった小田付探検。小田付の昔の風景を子供たちにも伝えるために、小田付のお年寄りにお話しを聞きにいきました。インタビューは、新金忠の大正浪漫調の洋室で行われました。

大湊泰吉さん
惜しまれつつ廃業した明治12年創業の豆腐店の4代目当主、昭和12年生まれ。

矢部栄助さん
祖父の代まで「大亀( 大阪屋亀吉の略)」呉服店、 南町の前町内会長 、昭和16年生まれ。

ーーーずっと小田付通りに住まわれているんですか?


矢部
 私は生まれ育ってほぼ70年小田付にいます。昔はお店をやってたけど、私の父の代からやってないですね。でも小田付は商店まちで、両隣のうちも正面も商店だったからそれを見て育ちました。

ーーーまちなみは当時から結構変わりましたか?


矢部
 変わったよ、その当時からはね。やっぱり小田付がいちばん変わったのは道路できてからかな。

大湊 そうだな。それまでは雪で使えなかったからね。

矢部 道路が通ったのは昭和40年代のはじめ頃だったかな。その頃道路が三浦さんから東に大塩街道が抜けて変わったね。その頃から通りにお店がたくさんできてまちなみが変わり出したんだよね。

大湊 通りに米屋とか酒屋に呉服屋があってショッピングモールみたいだったんだよね。夕方になるとみんな通りに集まって鯨ベーコンつまみにお酒飲んでて、それがうまそうで子供の頃憧れたもんだよ(笑)。

矢部 あと昔は水がほんと綺麗だった。まちのどこでも水が流れてたからね。

大湊 そうそう、だから子供の頃はプールなんてなかったから側溝で流されて遊んだり、行水したもんだよ。でも今は地下水もだいぶ減ったね。

矢部 あの頃はありがたいともなんとも思わなかったけど無くなってからありがたさに気づいたね。

現在のおたづき蔵通り


ーーー昔のお祭りって、どんな感じだったんですか?


大湊
 お祭りは出雲神社の小田付全体のお祭りと町内だけの小さいお祭りの二つあったんだよ。そこで縁日の日になると盆踊りやったり、芝居やったり、映画上映したり、まちの娯楽だったんだよね。子供の頃の思い出です。

矢部 そうだな、昔は各町内に小さい神社があって、地域をまとめるための拠点だったんだよね。それら全体を統括するのが小田付では出雲神社だったんだよ。その名残はいまでも残ってて今でもお祭りはやってるよね。

大湊 小田付のシンボルのひとつになるのは、やっぱり出雲神社じゃないかな。

毎年8月10日、8月11日の2日間にわたり祭礼が執り行われます
出雲神社


ーーーこの何十年かの間にすごく色々な変化があったんですね。


矢部
 良い変化もいっぱいあったけど大切なことを色々忘れないようにしたいね。

大湊 いちばんはそういったものを次の世代につなげていけるといいねえ。


Presented by 
みんなでつくろう小田付重伝建標識プロジェクト 2019
取材日時:令和2年3月26日(金)
取材協力:星さん、江畑さん

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