見出し画像

インタビュー vol.08:小田付まちのひと「皆で賑やかにして活気を取り戻せたらいいと思いますね」

重伝建に住むということはどういうことなのでしょうか。テクノアカデミー会津観光プロデュース学科の学生たちが重伝建にお住まいのみなさんに、建築・ 水路・ 小田付での思い出について伺いました。

風間 和子さん
県内有数の大地主であった風間家に嫁ぎ、代々受け継がれてきた建物・庭の継承に尽力。家事・育児に追われながらも、体の何倍もある水彩画を描き、随時見学が可能なギャラリーとして、大切に守ってきた蔵に展示。絵の持つ力強さに勇気を貰う。

ーーー風間さんは家の仕事の合間に絵を描かれているとの聞きましたが、具体的にはどんな絵を描いているのでしょうか?


水彩画です。そうねえ、ほとんど公募展に出品する為に描き貯めた作品で、サイズが50号から120号までの大きいサイズになります。絵は船を描いていて、中央・県・会津で入選、入賞した作品を自分の蔵に常設展示していますので、是非、見に来てください。

Zoomを使ってのインタビュー
インタビュアーは、テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年生

ーーーどうして、蔵を改造してギャラリーにしようと思ったのですか?


11年前の震災の時に絵を蔵に収納していたのですが、建物にヒビが入ってしまいまして。壁屋さんに色々、瓦や内部の壁を修繕してもらったのです。そこで家族や左官屋さん達が、「こんなにしとくなら、ここで展示したらどうですか?」という意見が出たので急遽ギャラリーに改造したのです。そこに展示して、個展を2回開催しております。

蔵のね、建物の中が良いんですよね。梁がガチっとしていて。不似合いかな、不釣り合いかなって思うけど、展示してみたら「蔵がよい」とおっしゃて下さって、つい常設展にしております。

作品は二階にもありますから、30点ではききませんね、40点かな。全部受賞した作品だけ飾っています。

ギャラリーの二階に展示してある風間さんの作品


ーーー蔵にまつわるエピソードはありますか?


うちの二番目の子供が言うことを聞かないときは蔵に閉じ込めて鍵を閉めてお仕置きをしていました。子供に蔵の中で何をしていたのかと聞いてみたら遊んでいたらしいですよ。真っ暗なのにちょっとした隙間から光が入るらしく、何かで遊んでいて平気で怖くなかったと言っていましたよ。なので、昔はお仕置き蔵でした。

ーーー子供の頃や学生時代にどのような遊びをしていたのか教えてください。


子供の数が多かったから、小学生の頃は冬に20人ぐらいが集まって、ちょっとした広場に雪で大型の滑り台を作りました。夜、そこに水をかけておくと、朝にはスケートリンク場になるんです。竹を割って縄で足を入れるつっかけを作ってダァーッ!!と上から滑っていました。夏は河原に町内の団体で行きました。私が生まれた所に昔、大きな川があったんです。行列を作って川遊びに行き、石で流れを作って一日中遊んでいましたねえ。女の子同士だと、かるたや双六をしていましたね。

ーーーお祭りや初市の思い出は何かありますか?


ありますねえ、お祭りは楽しかったですよね。子供のころはお祭り・初市が一番の楽しみでした。家族で小さい頃は見に行くだけでしたけど、結婚してからは子供たちが「山車(太鼓台)」を掛け声かけながら引いたりもしました。東四谷の通りは子供が多くて、山車を引っ張る縄が足りないくらいの人が引っ張ていました。私たちも明るいうちから集まって九時過ぎまでいました。子供の付き添いなんだけど自分たちも楽しかったから。当時は、皆が集まって子供たちが騒ぐっていうことだったような気がします。

あの頃はお客さんがいっぱい来ていましたよね。皆、お盆で集まってご馳走を食べ、大人の人はお酒を飲んだりして。お祭りは家族の一年間の行事の一つでしたよね。私が結婚してからは子供たちが中心で、親戚の子まで〝お祭りだー!!″って騒いでいました。私は食事作りに忙しくて、昼間は子供たちに付き添うことはできませんでした。でも夜の山車には楽しい思い出があります。100人なんてものじゃなく、すごい人でした。親戚の子供たちが、皆お洒落して来ていました。

一大行事でしたからね。よく写真がありましたね。ちゃんと撮っていたんですね。浴衣が正装だからね。お祭りの晴れ着として浴衣を着ていました。

ーーーご自宅でアピールしたいポイントを教えてください。


広いところと、来てもらった方をギャラリーに案内して絵を見てもらえることですかね。婚礼の際に建てられた建物があったのですが、今は壊してしまったので無いんです。ギャラリーにしている蔵とくっついていたから離そうと思って、建設業の方に見ていただいたんですけど、消防法に規定でひっかかると断られてしまったので、結局考えた末に全部壊して、更地にしてしまいました。二階建てで、中に洋式のバルコニーがあったりして、モダンで浪漫もあってよかったですね。残しておきたかったのですけどね。姑夫婦のために建てられたものを残したいから、引っ張って生かすように考えましたが駄目でした。

他には庭ですね。もう木が枯れて、大きい木はほとんど切ってしまいましたから庭の形だけ残っています。昔の五重塔とかがいいんですよね。石も見れば見るほど風情があって。何気ない石なんですけど、そういうのは残したいなあって思いますね。家は色々修繕・改造して中々大変だと思いますが、庭っていうのはいいですよ。石や灯篭なんかが。こういうのはずっと残したほうがいいと思います。

ーーーご自宅の前がかつて大通りがあったということですが賑わっていましたか?


ここは路線バスが通ってましたよ。会津若松行きが往来していました。ここは狭い通りですがバスが往来していて、私も乗って会津若松に行っていました。不思議でしょう?今の国道121号線は3m弱の砂利道に全部田んぼでしたよ。真っ暗で電気とか外灯がないでしょ、だからカエルの鳴き声がうるさくて。男の人なんかは会津若松にバイクで行く人が多くて、砂利道を通るから髪の毛がホコリで真っ白になっていましたね。それが今では道路が高くなったりして立派な国道になりました。ここからだと若松まで行くのに駅が遠いからみんな乗っていましたよ。

昔は会津バスの通るメインストリートで子供が50~60人いましたよ。すごいでしょう。夏休みに子供たちは人の庭に入って蝉取りですよ。あとは塀のところにキャッチボールのボールを当てて、女の子もやって遊んでいましたよ、遊ぶところがなかったので。あと、ここからちょっと先に大きな川が流れているんですよ。水路で男の子は水泳ぎをしていました。家の主人達も子供の頃、水泳ぎをしていたと言っていました。今はとても汚く、危ないので入れる川ではないですけどね。

ーーー水に関する思い出で、今と昔で変わったと感じるところはありますか?


うん、家の門のすぐ前に一段低く階段を作って、そこで自由に川の水が使えるようになっていました。その脇に井戸を掘っといて、水路に面して自由に使えるようにしていました。朝や夏なんかには4時ぐらいになると近所のお年寄りの方が口をゆすいで、顔を洗っていましたよ。川が綺麗だったので洗濯や野菜も洗ったりしていました。私、今でもびっくりしたのは、朝にお年寄りの方が口をゆすいで顔を洗っていることに衝撃を受けました。ここの水路ですよ。私もびっくり。毎日、口をゆすいで洗面器に水をためて顔を洗っていました。信じられないよねえ。今は素手でなんか水を触れません。50数年前には信じられない事もありました。私も嘘かと思って主人に聞いたんですよ。そうしたら口をゆすいだり、うがいをする人がいっぱい居たんですって。それほど奇麗な水だったんですよ。ですが今はなんとも言えません。小田付通りの水路はたくさんあるから全部が全部奇麗にするっていうのは難しいでしょうね。ちょうど、メインになる所だけでも皆で協力してやるしかないですよね。意識の問題だよねえ。

ーーー小田付は今と昔を比べるとやはり賑わいは少ないと感じますか?


私、喜多方に生まれ育ちましたが、ここにこういう場所があるって嫁に来るまで知りませんでした。環境に慣れることに必死で、当時は小田付を意識する余裕がありませんでしたからよく覚えていません。でも、静寂なまちになりましたよね。昔は、朝はこの通りのことは「あいさつ通り」と言っていましてね、小さい子供が声をかけてくれるんです。学校に登校するときにお年寄りが掃除などをしていると、「おはようございます!」と皆で声をかけてくれるので、こっちも「おはよう!」と言う、それで「あいさつ通り」と言われて朝は賑やかでしたよ。子供が沢山いて賑やかだったので、昔はよかったという思い出がありますね。

残さなくてはならないという意識は私たちにも芽生えています。残していきたいけど活気がないから、どうしたらいいんでしょうね。だから何か良い物は残していってほしい。国道からずっと奥のほうに荒壁の蔵があって、離れて見ると何か郷愁にかられるというのか、しばし立ち止まって眺めてしまいます。ピカピカの真っ白い蔵よりもちょっと奥まった所を遠くから眺めた時の蔵の荒壁を何か所か見れて、それが良い景色だなあと思います。だから何とかして残してもらいたいです。蔵のまちを改めて見ると、眺める場所によって風景が変わって良いですよね。


ーーー小田付で次世代に引き継いでいってもらいたいものはありますか?


私たちには次世代の方がどういう考えを持っているかは分かりませんから、我々には未知数ですね。ですがどうしたらいい、こうしたらいいと意見を述べる資格は私たちには無いように思います。今の現状を守るので精一杯でしたからね。折角これだけ皆さんがね、一生懸命になって重伝建地区に指定されたんだから、皆で賑やかにして活気を取り戻せたらいいと思いますね。年に何度かこの辺でイベントを起こして、知っていってもらうことが大切じゃないんでしょうかね。

Presented by
みんなでつくろう小田付重伝建標識プロジェクト 2021
取材日時:令和3年8月27日(金)
取材協力:テクノアカデミー会津 観光プロデュース学科2年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?