お調子者な幽霊さん
きっとあなたの身の回りにも"自称"霊感のある奴がいると思う。夜の公園で、「あの木からなんか嫌な感じする」とか言い出して、嫌な感じってなんだよと思いつつ、怖さによるものとは別な鳥肌が立ちニヤニヤしてしまう。幽霊なんて本当に存在するのだろうか。仮に存在するとして、そいつの姿形はどういったものなのだろうか。
ポルターガイストなるものがあるが、それは幽霊的なものがやっているのか、それとも怨念的なものがやっているのか。仮に前者であった場合は恐るるに足らない。なにせ元は生きた人間だったのだから。きっと前世でお調子者だった奴がそういうのを引き起こしているのだろう。怨念的なものであった場合、もう手の付けようがない。恐ろしすぎる。除念的なのってよく聞くけど、あんなん胡散臭すぎるだろ。幽霊を祓うってんなら、幽霊と会話するなり幽霊の嫌いなものを置くなりでなんとかなりそう。無理でしょうけど。流石に念や想いを祓うってのは無理があるわ。
前述したように、全ての幽霊が元は人間であった場合は恐れる必要が無いのは間違いないだろう。とはいえ、生きた人間とはまた違った能力を有しているのではあろうから恐怖するに越したことはない。幽霊の持ちうるポテンシャルにはどういったものがあるのか考えたい。
先ず思いつくのは視認できないということだ。見えなければ対処のしようがない。そいつが何かしらの悪事を働いてくれる悪幽霊であるなら存在するかもしれないと勘繰ることが可能ではあるが、ただ居座るのみの正幽霊ならば存在に不安になることもないだろう。しかし、勘づかせないからと言って存在してもいい理由にはならない。幽霊が幽霊としてそこにいる以上、それには理由が必要だと思うのだ。ぼくは過去に『魂の数保存の法則』というnoteを書いた。これに則れば、死してなお新たな命としてこの世に生を受けていないのには何かしらの未練がなくてはならない。悪幽霊が存在する以上、そいつらはこの世に何も手出し出来ないのではなく、あえてしていないのだ。理由はいくつか考えられる。内の一つとして、見守っていると考えられる。その対象が家族であるのか恋人であるのかは幽霊それぞれであろうが、対象が大成するまでをそっと見守っているのではないだろうか。仮にそうであった場合、話は変わってくる。守護霊なんていてなんぼですからね。自分以外の人間を自分以上に優先して護りたいとなるのは相当な"愛"によるものだろう。ぼくは愛を否定出来ない。本当に大切に想える人間があなたにはどれだけいるか。それすらも分からない人間が守護霊をバカにするな。守護霊さんはそこにいていいよ。
次にコンタクトが不可能なパターンだ。正幽霊、悪幽霊問わず、元が人間であったならこの世に残されたそれらに身近な人間は接触を図りたいところだろう。イタコなんてよく聞くが、あんなんインチキだろうし二度と会話は愚か、姿を見ることすら叶わないのだろう。それが可能であるなら、死んで新たに来世を生きるよりも、前世で共に過ごしてきた者たちとまだ一緒にいたいと思い、それに応えた幽霊を含めた家庭がなければ説明がつかない。
幽霊が元は生きた人間であったということ自体がミスリードに思えてきた。この場合、恐れる必要が無いだけでなく、存在を否定すること自体間違いに思えてきてしまう。だって、見ず知らずの人を見た目や行動だけで勝手に嫌な奴だとか思い込むのってよろしくないじゃん?幽霊に怯えて生きてきたぼくの過去を過ちとせずに済むよう、幽霊は常に幽霊という存在で、それ以外の何者でもないという方が有難い。