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Perfume「Reframe」はアートといえるのか?

先日Perfumeのライブ映画「Reframe」をみてきました。

Perfumeは、ファンといえるほど詳しくないのですが、「ライブパフォーマンスや演出がすごく印象的で面白い。いずれ見てみたい」と思っていました。しかし今回一番の目的は、「ライゾマティクスの真鍋大度・石橋素のお二人の解説を、副音声で聞く」ことです。

Perfume色にどっぷり浸かれる!浴びれる!

全体的なテーマは「Perfumeの過去・現在・未来をReframe(再構築)する」。いつもどおり、Perfumeの歌と踊りを、これでもかとテクノロジーが盛り上げてくれます。

しかし、おそらく他のライブと少し異なるのは、テクノロジーとライブの関係性が、単なる光や映像の演出だけでなく、もう少し根本的な部分にまで踏み込んでいる点ではないかと思います。

それが、もう一つのテーマである、「これまでのPerfumeの歴史を振り返りながらアーカイブ(未来へ記録を残すこと)していく」というものです。なるほど確かに、演出そのものが、そのテーマに沿っています。今見ているこのライブそのものが、アーカイブされていくもの(アーカイブされていったもの)と思うと大変感慨深く、長い歴史があるPerfumeならではと思わせてくれます。

副音声で聞けた面白い例を紹介…するまえに、ここでちょっとアートとは何か?を考えてみましょう。

アートとは?

恐らくアートに馴染みがない方にとって、本記事のタイトル【Perfume「Reframe」はアートといえるのか?】は、かなり面白くないタイトルに聞こえると思います。
「あんな美しくて感動を与えたライブが、アートじゃない訳ないだろう!」と…

しかし、アートに造詣がある方ほど、「アートか否か」という問いには一瞬躊躇されるはずです。

そもそも、アートとはなんでしょう?
それは「美しくて感動を与えるもの」…ではないのです!!

もちろん、美しくて感動的なアートもありますが、それはアート全体を指すものではありません。汚くて、気持ち悪くて、訳の解らないものも、アートとなりえるからです。

実際アートについて一定の理解をしているひとであれば、「Perfumeのライブは、エンターテイメントだ」と答える方が多いと思います。エンターテイメントは「お客様を楽しませる」ことが最重要だからです。

裏を返せば、アートはお客様を楽しませることが目的ではないのです…!

「Reframe」は、エンタメ80%/メディアアート20%

しかしその上で、私が「Reframe」を副音声込みで鑑賞した印象としては…

エンタメ80%、メディアアート20%

です。

基準は、「新しい、もの見方・捉え方を(暗に)提議しているのか?」です。その点は、まさしく、「Reframe」は表現しているなぁ、と感じた手法がいくつかありました。今パッと思い出せる範囲で書き出すと、以下のような技術の利用が挙げられます。

・来場者写真のポーズをAIで自動認識させ、ダンスとリンクするよう並べて表示
・いままでの歌詞で多く出てきた単語「僕」「光」「未来」、コンピュータでカウント
・ライゾマが保有する、これまでのモーションキャプチャデータ、3Dスキャンデータの表現
・虚像であるスクリーンの映像×Perfume本人達を照らす照明の非実像感

昔のポーズと、今のポーズが重なる

しかし、これらは単なる技術です。例えば、今までの3Dスキャンデータを表示させたからなんだ?と言われればそれまでですね。しかし、ファンがPerfumeの20年という歴史を振り返ったとき、「印象に残っている曲」には「印象に残っているポーズ」があるはずです。当時と全く同じ形をしたポーズデータ、そして目の前にいる本人達のポーズ、これを重ねて見せたとき、何を感じるのでしょう?

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こちらは公式動画のキャプチャ(0:38辺り)ですが、手前の色がついているのが「ステージにいる本人達」たちで、奥のワイヤーフレームが3Dデータです。手前のカラフルな照明(恐らくプロジェクションマッピングだと思います)は高速で点滅を繰り返し、見続けていると、彼女らがそこにいる感じがしなくなってきて、これもまたデジタル表現のなにか、に見えてくる不思議さがあります。

この表現に何を感じるか?は、受け取り側に委ねられます。この、「クリエイターと鑑賞者と相互関係」は、まさしくアートといえるでしょう。

ただし、真鍋氏は劇中の副音声で、

【要約】普通であればアイドルがステージ前で、後ろでバックダンサーが盛り上げる、といった構造になっているが、Perfumeはバックダンサーの代わりに映像演出で盛り上げるという構造になっている。レイヤー的には映像が彼女らの手前にくることも多いが、映像がメインではなく、Perfumeを引き立たせることを意識している。

というようなことを仰ってました。

つまり、アート的アプローチは、お客様を楽しませるためのテクニックとして利用しているに過ぎません。「100%アートだ」と言うには、アート的文脈や歴史的踏襲が弱く、Perfumeという人物像のほうに注目が向くようにしているので、「Perfumeのライブは、メディアアートと言い切れない」というわけです。

「これはアートじゃない」は、さげすんだ言葉とは限らない

くれぐれも誤解してほしくないのは、「アートのほうがエンタメより崇高で偉くて価値がある」ということでは決してありません。

アートも、エンタメも、どちらも素晴らしいコンテンツです。この2つが様々な割合で共存することも少なくありません。特にメディア・アートは、エンターテイメントとの境界を明確にするのが難しいケースが多く、「あれはアートじゃない」「あれはアートだ」という論争は度々起こります。

しょうがないことではあるのですが、なんかスゲーキレイだったりカッチョイイもの等を指すときに「アート」という言葉が使われますね。そういう意味で、安直に使われることを、複雑な気持ちで聞いている人も少なくないのです。

私が今回Perfumeのライブ感想で伝えたかったのは、みなさんが今後、なにか感動する作品に触れたとき、それが、

「アート」なのか、「エンターテイメント」なのか。

自分の中で判別を試みてほしいということです。きっと、新しい物の見え方は、さらに作品を楽しく感じられるようになるはずです!

【2020/10/10 12:42 補足】

思いの外反響があったので、より正確に補足したほうがいいだろうと思い以下追記させて頂きます。

一、
アートについてあまり詳しくない方に向けて書いた記事のため、アートの解説はかなり端折っております。
記事内にも記載したとおり、今回、メディア・アートとして考察した基準は、「新しい、もの見方・捉え方を(暗に)提議しているのか?」です。それ以外の側面から考察すれば、よりアート的側面が垣間見れる可能性は否定しません。
よって、エンタメ8割/メディア・アート2割という私の感想は、視覚、テクノロジーという側面に限定して考察した話です。
楽曲や踊りなど、他側面からの考察はしておりません。

よってこの割合は、人によって変わると思います。音楽など、他ジャンルの芸術に詳しい方や、Perfumeファンの方ならば、私が見えていないものを感じていることも大いにあると思います。

二、
真鍋氏の、「Perfumeを引き立たせることを意識している」話については要約であり、抜粋ではありません。真鍋氏&石橋氏が直接「Reframeはアートではない」と発言したわけでもございません。

お二人の副音声を聞いて感じたのは、「常にお客様のことを意識していること」です。

エンターテインメントの定義を今一度確認すると、

エンターテインメント (entertainment) は、人々を楽しませる娯楽を指す。楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語とされる。

なるほど、言葉としては少し軽すぎる印象があります。(とはいっても、娯楽を生み出すには多くの労力が必要なので、実際には軽くないのですが)

単なる娯楽と呼ぶには「Reframe」は似合わないと私も感じます。記事に記載したとおり、「Reframe」のライブパフォーマンスは、単なる演出ではなく、概念に突っ込んだ表現を絡ませている点は、アート的要素であるといえます。

しかし仮にですが、100%アート的ライブだったらどうなっただろうかと考えてみると、それは「概念が演者と鑑賞者を超えて」しまうことではないでしょうか。でもそれって、Perfumeのライブとして相応しい形でしょうか? いやーそんなことはないはずです。ですから、エンターテインメント的要素は必要であろうと思います。

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