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藻に「わたしは人類」と言わせたアート

【わたしは人類】とは、アーティスト「やくしまるえつこ」のアート作品です。2017年のアルス・エレクトロニカという祭典でグランプリを受賞しました。

この作品は2つのコンテンツで構成されています。

1つ目は、同名の
2つ目は、この曲を組み込んだ「藻」です。

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「藻に曲を組み込む」とはどういう意味でしょう。
まず先に、実際にその曲↓を聞いてみましょう。

この曲は、「滅んじゃった バイバイ」とあるように、「人類が滅亡した後」を想定しています。ところどころで、謎めいた歌詞が盛り込まれていますが、読み解くキーワードは以下の4つです。

キーワード① AGCT
キーワード② 滅び
キーワード③ 記憶(記録)
キーワード④ 進化

キーワード① AGCT

AGCTとは何かというと、遺伝子を構成する要素のうち「塩基」という物質のことです。遺伝子は、4種類の塩基の並び順で決まっています。

4種類の塩基とは、アデニン、グアニン、シトシン、チミン。この頭文字がAGCT、というわけです。

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なぜ唐突にDNAの話が出てきたのか、というと、冒頭で挙げた「曲を組み込んだ藻」とは、このAGCTを並び替えた藻…つまり、「遺伝子組み換えした藻」のことだからです。

どうやって、AGCTで曲を組み込むことができるのでしょう?

手順については公式情報を見つけられませんでしたので、私の予想ですが…

1.先程の曲を2進数に変換(001011010100…といった感じ)
2.頭から2桁ずつ区切る
3.00→A、01→G、10→C、11→T…と割り当てていく
4.3の並び順に、AGCTを塩基配列(遺伝子組み換え)する

といった感じだと思います。
この手順を逆から行えば、曲が再生されるという仕組みです。

歌詞の「0と1」や、冒頭のMVにも描かれた「AGCT」は、これらに由来しているわけです。

キーワード② 滅び

冒頭で説明したとおり、この作品は「人類が滅亡した後」がテーマです。ここで、人類滅亡後のIFストーリーを想像してみましょう。

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…地球から人類は滅んでしまった。数千年、数万年経った後、地球外生命体が地球を見つけて調査したら、ある藻から規則性のある遺伝子情報が…解読してみたら、なんとそれは音楽じゃないか!

あるいは…

…地球から人類は滅んでしまった。数万年、数億年経った後、生き残った生物、もしくは単細胞から進化し続けた生物が、やがて文明を築き、科学技術を発展させていった。ある研究者が、藻を調べていたところ、新種の藻を発見した。もともと一つの種と考えられていたが、遺伝子構造が微妙に異なる。…解読してみたら、なんとそれは旧文明のメッセージである可能性が!

はい、そういったストーリーを期待したのが、【わたしは人類】という作品なのです。

キーワード③ 記憶(記録)

「記録するのに わざわざ「藻」のDNA? 石じゃだめなの?」と思われた方もいるかもしれません。実際、原始時代に岩に描かれた絵画が残っていた事例もあることを考えれば、それも1つの手です。

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実は、記録を長期保存するというのは、かなり難しいことです。数年はともかく、何百年・何千年と時間が経つと、多くの媒体は風化してしまうからです。多くの人が考える「石」も、条件が揃わなければ長期保存は叶いません。

その点DNA情報は、物理化学的には50万年維持し続ける可能性があるとのことです。この作品で使われた藻「シネココッカサス」は、何億年も前から存在しているのではないかと言われています。過酷な環境下でも生存・増殖し続けた実績があるということは、この後何億年も生存し続ける可能性は、他の生物よりは高そう、と考えることができます。

キーワード④ 進化

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DNAが50万年維持できるとはいうものの、この保存方法に欠点がないわけではありません。増殖を繰り返していくことで、自分自身が変異(進化・退化)していく可能性があるということです。進化していく中で、組み込んだ曲情報が、欠けてしまったり変わってしまう可能性が高いでしょう。また、単細胞から人類へ進化したのは、推定40億年以上あるわけですから、情報伝達としては50万年でもまだ足りなさそうです。

その点について、ご本人は以下のようにコメントされています。

塩基配列は変異を起こすことも少なくありません。その結果もちろん遺伝情報にも変化が表れます。その点、情報の「伝達」に加えて、「変容」も重要な要素を担ってきた「音楽の拡散」の歴史において、塩基配列のこの「変異」の特性は非常に親和性の高いものでした。
『わたしは人類』の歌詞のなかでも、微生物『わたしは人類』さんは「進化を止めて/止めないで」と歌っています。変異は進化を促しますが、それは種が変わっていくことでもある。『わたしは人類』さんは自身が進化することにより、楽曲情報をもった塩基配列が失われ、「この歌を歌えなくなるかもしれない」と、進化の狭間で揺れているのかもしれません。
やくしまるえつこ「わたしは人類」公式WEBサイトより

つまり、DNA情報を維持し続けるためには「進化してほしくない」のですが、その反面「止めなくてもいい。それもきっと面白い。そもそも私には止められない」という思いも込められているように思います。

しかし実は、【わたしは人類】という曲には、突然変異をうながす「トランスポゾン」という仕掛けが組み込まれています(参考URL)。

このアートは、できるだけ ながーーーく状態を維持しておいてほしい、というのが基本趣旨なのですから、わざわざ突然変異を促すとは、大いに矛盾していますね。ここに、やくしまるえつこのイタズラ心を垣間見ることができます。

読み解かれることは、あまり期待していないのかも

【わたしは人類】。このアートをどう捉えるか? 人によって感じ方は異なると思います。「生命への冒涜」「人類の遊び」「存在の証」などなど…

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やくしまるえつこ自身は、WIREDで以下のようなコメントをしています。

小さいころ、よく外出先で、席についたテーブルの裏に、地図や暗号みたいなものを貼っておいたんです。基本的には、やくしまるにとって何かを世界に放つことは、そういう一種のパラレルワールドに対する“特異点”をつくるようなものです。いたずらをする感覚でやっています。

私はこの一文に強く共感しました。

例えば共同空間におけるこっそりとした落書きは、(えへへ、誰か見つけるかな…)という背徳感のあるワクワクが込められていると思うのですが、誰が見つけるか、という点には意外と頓着していない…でも、時々一人思い出してはフフッ…とほくそ笑む。そういう楽しさもあるのではないでしょうか。

実際、この【わたしは人類】が残したメッセージが、別の誰かに伝達できる可能性はとても低いでしょう。どういった法則で解読(デコード)すればよいかが相手には解らないからです。

しかし、…これは私の感想ですが…そもそも彼女自身は、読み解かれることはさほど期待していないのでは、という気がしています。「人類存在の証を残す」という目的の割には、多くの「遊び心」というムダが盛り込まれているからです。

でもイイじゃないですか! どうせ人類滅亡してるんだし、そのとき私達の意義や意味がどれほどの価値をもつというのでしょう? ムダなこと、面白いこと、しちゃおうよ。それもまた、生命の営みってヤツじゃない? …私はそんなふうに思いました。

【わたしは人類】は、「人類滅亡後」という壮大なテーマに、イタズラな仕掛けを施した、そんな作品なのではないでしょうか。


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